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死のクリスマスイブ・20

   二十


 築二十年といったところだろうか。

 二階建てのアパートの手摺りは真っ赤に錆び、あちらこちらに蜘蛛の巣が見受けられる。隣には真新しい白いおしゃれなマンションが建ち、なおさらみすぼらしく見える。

(ここだな)

 克行はそのアパートの一室の前を用心深く伺った。

 表札は出ていないが、通路に郵便受けからこぼれ落ちたハガキによってその部屋の住人の名前が読み取れた。

<磯井正隆>

 その名前を見ながら克行は自分の勘が正しかったことを改めて感じた。

 昨夜、マンションの管理人杉本の死を発見したあと、克行はすぐに警察に連絡をいれた。それが特権者による殺人であることは克行にも当然わかっていた。だが、克行はそれでもあえて一般の殺人を目撃したかのように警察に連絡をいれた。杉本を殺した若者の姿がやけに頭にちらついて離れなかったからだ。あの若者が自分にとって大きな意味を持っているようなそんな気がした。

 連絡するとすぐに警察は現れ、克行も事情聴取を受けた。だが、その場で弾丸が発見され、すぐに現場検証は打ち切りとなった。弾丸には特権者優遇計画のコードが彫られており、その弾丸で殺された場合それは殺人ではなくなるからだ。克行もまたそういった展開を予想していた。予想というよりもそうなることを期待していたのだ。克行が知りたかったのはその弾丸のコードだった。弾丸のコードは一発づつ違っており、そのコードによって誰が使用したものかわかるようになっている。そして、克行が涼子からもらった特権者のマスターリストにはその特権者の使用する弾丸のコードもまた記されていた。

 克行は警察官から何くわぬ顔で弾丸のコードを聞き出した。

 TR13-TX-6254とTR13-TX-6255。

 それが弾丸に彫られていたコードだった。それは麻美の名前の入ったリストを持つ磯井正隆のものであった。

 そして今、克行は会社の帰りに磯井の住むアパートを訪れている。特権者優遇計画が終わるまで会社へ行く必要はなくなった。つまりそれだけ麻美を守るために動けるということだ。

 克行はそっと中の様子を伺うようにドアを左手でノックした。右手はポケットのなかの拳銃を握っている。

 返事がない。

(いないのだろうか……)

 まだ十一時を回ったばかりで、真面目な学生ならば大学へ行っているはずだ。

 克行はもう一度ノックしてみた。

 やはり返事はなかった。

 克行は軽くドアノブを回してみた。鍵はかかっておらず、ドアは簡単に開いた。鍵がかかっていたとしても簡単に開くのではないかと思うほど傷んだドアだった。

 たった四畳半の部屋に物が散乱しているのが目についた。布団は敷いたままになっており、雑誌や服が辺りを足の踏み場もないほどに埋めていた。

 そこに磯井はもちろん誰の姿も見えなかった。

(大学へ行ったんだろうか?)

 克行はそう考えながら一歩部屋のなかへ足を踏み入れた。

 確かに磯井は学生なのだから大学へ行ったと考えるのが一番正しいように思える。しかし、昨夜見た磯井の姿、そして杉本の死がその考えを否定しているように思えた。杉本の部屋はあまりにも荒らされすぎていた。一人暮らしだったため詳しくはわからないが、おそらく相当の金品が磯井の手によって奪われたことだろう。

 磯井は特権者優遇計画で得た権利を金を盗むために利用しているはずだ。今日もまたそのために出かけているのかもしれない。そして、それが麻美のところでないとは限らない。克行はそうでないことを祈った。

 克行は後ろ手にドアを閉めると土足のまま部屋のなかへ入りこんで行った。部屋で磯井の帰りを待つつもりだった。

(帰ってきたところを……)

 磯井をこのまま放っておくわけにはいかない。昨日の二人に続き磯井にも消えてもらうつもりだった。

 部屋の中心に立ち、どこから狙うかそれを考えようとぐるりと部屋を見渡した。だが、その時、克行はぎくりと身を固くした。

 カチリという小さな音が克行の背後から聞こえた。それはまぎれもない拳銃の撃鉄を起こす音だった。

(しまった!)

 克行は自分の軽率な行動を呪った。

「あんた、誰さ? こんなボロアパートに泥棒かい?」

 すっと押し入れの戸が開く音が聞こえ、若者の声が聞こえた。それこそ克行の狙いである磯井の声だった。

「……」

「誰だよ……答えろよ」

 多少、声が震えている気がする。その声から磯井がすぐには克行を殺すつもりのないことを感じとった。

 克行は相手を刺激しないように少しづつ体を回し、顔を後ろへ向けた。両手でしっかりと拳銃を握った青ざめた若者の姿が押し入れのなかから覗いている。拳銃に弾丸が装着されているのか、また、装着されているのが何発なのか、それは拳銃の性質上外から見ただけではわからない。だが、昨夜二発は使用しているため最高でも四発のはずだ。

「答えろ!」

 磯井は拳銃を克行の顔面に向けるようにして、答えを強制した。

「……磯井……君だね」

「ああ……おまえは?」

「風間克行」

「風間?」

「君とは以前会ったことがある」

「知らねえな、あんまりいい加減なこと言うなよ」

 ゆっくりと身を押し入れのなかから少し出して磯井は怪訝そうな顔をした。

「嘘じゃない。先週の月曜……市役所で会ってる」

 言葉を選びながら克行はゆっくりと答えた。ともかく相手の自分に対する殺意を消し去らなければいけない。

「先週の月曜? それじゃ特権者優遇計画の説明会で?」

「そうだ」

「で、あんた、何なんだ?」

「君と同じ人間だ。俺も特権者なんだ」

 その言葉に磯井の目が疑わしそうに克行を観察している。

「あんたが特権者?」

 その言葉のなかには自分と同じ種類の人間に対する安心感と、その言葉が嘘であった時の不安感の二つが入り交じっていた。その様子は克行にとって想像した通りのものだった。昨日の波川もそうだったが、相手が自分と同じ特権者だと知ることでかなりの安心感を得るらしい。特権者が特権者を殺すという図式が彼ら特権者のなかにはないのだ。

「本当だ。特権者ナンバー0042、風間克行。思い出してくれ、君は窓側の席に座っていたはずだ」

「ふぅん、どうやら嘘じゃないらしいな。だが、いったい何の用だ? 同じ特権者だからって他人の家に勝手にあがりこんでいいはずはないだろう」

 磯井はある程度克行に対して警戒を解いたようだった。だが、相変わらず拳銃は克行に向けられている。

「……」

 克行は答えに詰まった。何と言えば磯井が自分に対してまるっきり警戒を解くかそれを考えていた。

「何の用だって聞いてるんだ!」

 再び磯井は脅すように拳銃を突き出して見せた。

「よせよ、危ないじゃないか。同じ特権者なんだ」

「うるせえ。そんなの関係ねえよ。勝手に人の家にのこのこ土足であがりこんで来やがって。どうもあんたは信用できねえ。言えよ、何の用だ?」

「……君の特命者リストを見せてもらいたいんだ」

「何だって?」

「君の特命者リストを見せて欲しい。誰の名前があるかそれを知りたい」

 苦し紛れに出た言葉だった。けれど磯井は克行が想像以上に興味を示した。

「特命者リストを見せろ? 俺のか?」

「ああ」

「何するんだ?」

「噂を聞いたんだ。友人の名前が特命者リストに入っているって……」

「それで?」

「出来たら友人を助けたい」

「助ける? どうやってだ?」

「もし、君のリストに入っていたら――」

「入っていたら?」

「君が友人を狙わなければそれだけ友人の危険が減ることになる」

「で、俺がそいつを狙わないことで、俺にはどんな得があるんだ?」

 すでに磯井の興味は取り引きに向いている。そして、当然、磯井の欲しいものは金だろう。

「少しばかり礼はする」

「いくら?」

「いくら欲しいんだ?」

 克行の言葉に磯井は思わずにやにやと笑い始めた。その拳銃を持つ手がだらりと下がった。

「そうだな、ま、そんなに高くは言うつもりはないが……百万かな?」

「無茶言わないでくれ。君を含めて友人を狙うことが出来る特権者は五人いるんだ。五人全員に百万づつ払ってたら五百万にもなるだろう。出来たらもう少し値を下げてくれないか?」

 磯井の拳銃が狙いを外した今、いつ克行が磯井を狙っても構わなかった。しかし、あえて克行はもう少し待つことにした。もう少し、完全に磯井が克行に警戒を解き、油断しきって拳銃を放すまで。

「ん――」

 磯井は難しげな顔をして見せた。その顔は本気で悩んでいるようだった。けれど、その顔には自分が得た立場の利益への喜びも混じっていた。

「なあ」

「だめだ! いくらかかろうと俺はそいつの命を握っているんだ。少しくらい高くついても生きていたければ払える金額だろう。それにあんただって特権者なんだ。その友達のために金を作るくらい出来るじゃないか」

「……確かにそうだが」

「百万だ、それ以下なら俺は誰だろうと狙うぜ」

「……わかった。だが、まずは君のリストにそいつの名前があるかどうかだ」

 克行は諦めたふりをしてみせた。払うつもりなどあるはずがない。

「そうだな。それにしてもあんたどうやってここを見つけたんだ? まさかあのあとすぐに俺のあとをつけたわけじゃないだろ」

 磯井は克行の言葉にすっかり安心し、押し入れから出ると拳銃を散らばった床に無造作に置き、再び押し入れのなかに頭を突っ込んで特命者リストを捜し始めた。

「この前偶然そこの通りで君を見たんだ」

 克行はその磯井の姿を見ながら用心深く回り込むと磯井の置いた彼の拳銃を取り上げた。そして、磯井が振り向くのを待った。

 やがて、磯井は特命者リストを取り出して振り向いた。

「あったぜ。で、あんたの友人の名前は何て言うんだ?」

 一瞬のうちに磯井の顔が曇った。

 今、磯井の顔面には克行の握る拳銃が構えられている。

「おい、何のつもりだよ! じょ、冗談よせよ!」

「冗談? 俺は本気だ」

「待てよ。そ、そんなのってありかよ」

「おまえがいなくなればおまえは誰を殺すことも出来ない。おまえに金を払う必要もなくなる。違うか?」

「わ、わかった。金はいい。金なんかいらない。あんたの友達は殺さないよ」

「信用出来ないな。おまえは金のためなら誰だろうと殺すつもりなんだろう。特命者を殺し、金を奪う。今夜もまたそうするつもりだったんだろう。おまえなど死んだほうが世の中のためだ」

「何言ってるんだ?」

「昨夜、一人の年寄りを殺したろうと言っているんだ」

「昨夜? おまえ、何なんだ? なんでそんなことまで知ってるんだ?」

「憶えてないらしいな。おまえはずいぶんと慌てていたからな」

 克行は拳銃を磯井の顔面につきつけた。話をしながらも磯井の顔は血の気を失い、青く変わっていく。やけに情けないその姿が克行には心地好かった。

「……あんた見てたのか?」

「おまえがマンションから飛び出して行くのを見かけたんだ。運が良かったよ」

「じゃあ、あんたは昨日の爺さんの親戚なのか? 爺さんの復讐に来たのか? さっきの話も嘘なんだな!」

「友達の話か……あれは本当の話だ。おまえを昨夜見かけたとき、なぜだか気になってな。わざわざ警察を呼んでおまえがどこの誰なのか調べたんだ。嬉しかったよ、おまえが俺の捜している奴だとわかった時は」

 自分の心のなかで残虐な殺意が目覚めようとしていることに克行は気づいていた。だが、気づいていながらも押さえることが出来なかった。克行はなおも相手の命をもてあそぶように、拳銃を磯井の目の前にちらつかせてみせた。

「よせ……頼むから止めてくれ」

 目が赤く涙が潤んでいる。足ががくがくと震えているのがはっきりとわかる。

「何人殺した?」

「え?」

「この拳銃で何人殺した?」

 磯井は黙って首を振った。すでに死の恐怖に理性を失いかけている。そして、理性を失いかけているのは克行も同じだった。他人の命を握る。その狂喜に理性が消えかかっていた。

「何人殺した?」

 なおも克行は強く問いかけた。

「……殺してない。昨夜の爺さんだけしか俺はまだ……頼む……やめてくれよ……なあ、いくらだって払うよ。頼む……」

 消え入るような弱々しい声。その声で克行の理性が再び蘇った。死に脅えるそのあまりの人間の弱さに克行はそこまで彼を追いこんだ自分自身が怖くなった。

 一瞬、自分のやっていることが間違いではないかという考えが頭をよぎった。その瞬間、磯井もその克行の心を読み取ったのか突如、隙をついて飛びかかってきた。

「ちきしょう!」

 拳銃を握る右手を磯井が両手で掴み、拳銃を奪い返そうと力任せにねじあげようとする。克行もまた懸命にその磯井の体を突き放そうと力を込めた。


 ぐぁーーーん


 どこか、くもったような爆音が克行と磯井の争う間から響いた。

 磯井の体が重心を失い、弾かれるように仰むけに倒れた。

(火薬の匂い……)

 克行の握る拳銃から一筋の煙がうっすらとのぼっていく。

「……ひ……ひぃ……」

 磯井の白いシャツの腹の部分が紅く染まっていく。全身が麻痺したように磯井は体をひくつかせた。まだ痛みは感じてはいないようだが、体はすでに自由を失いかけ起き上がることも出来ずにいる。

「……お……おい……体が動かねぇよ……俺、死ぬのか?」

 克行は黙ってじっと見つめた。何も言うことが出来なかった。

「な……なぁ、助けてくれよ。お願いだ、びょ、病院連れて……連れてってくれよぉ……そうだ、救急車……救急車呼んでくれよ……なぁ」

 哀願する磯井を見つめながら、それを振り切るような思いで克行は拳銃をまっすぐに磯井へ向けた。

「や……やめてくれよぉ……」

 微かに左手を克行へ伸ばし、それを盾にでもするかのように磯井は後ろへとさがり逃げ始めた。

 克行はそんな磯井へ狙いを定め、今度はしっかりと自分の意志で引き金を引いた。

 弾丸は克行に伸ばされた手のひらをつらぬき、心臓を撃ちぬいた。手のひらから赤い筋が走り、次の瞬間磯井の頭はがくりと落ちた。目だけがやたら悲しげにじっと克行を見つめているように感じられた。

 なぜだか途端に怖くなってきた。

 どんなホラー映画よりもその部屋のなかは恐怖に満ちているように感じられた。

「違う! 俺が……俺がおまえを殺したわけじゃない! こ、こんな……こんなことになったのは俺のせいじゃないんだ!」

 それが何に対する恐怖なのか、それは克行にもはっきりとつかみとることは出来なかった。いや、感じ取りたいと思わなかった。それを感じ取ってしまったとき、自分の心がどこか途方もない方向へ向かって進んでいきそうな気がしていた。

「俺は……俺は……」

 克行はそのままその場にしゃがみこんだ。頭が痛かった。

 多くの人々が克行をなじる声が聞こえていた。

――人殺し!

――おまえこそ人殺しだ!

――いったい何人殺したんだ? そんなに人を殺すことが楽しいのか?

――わしを殺したのはあんただ! 誰でもない。あんたが殺したんだ!

――おまえの正義感なんてそんなのは嘘っぱちさ。おまえは楽しんでるんだ! それを認めたくないだけだ!

 坂本が、波川が、磯井が、そして杉本老人までもが叫んでいる。

(そうだ、俺が殺した。俺の心のなかのもう一人の俺が楽しんでる)

 心のどこかでそんなふうに思いはじめていることに克行は恐怖していた。それを認め、受け入れてしまうことが怖かった。

「違う! 違う! 違う! 違う! 違う! 違うんだ!」

 克行は叫び続けた。

 パトカーのサイレンの音が微かに聞こえていた。


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