死のクリスマスイブ・2
二
待ち合わせの時計台の下には、麻美だけでなく多くのカップルたちの姿を見ることが出来た。そのなかでも麻美は一際目をひく存在のように思われた。それともこれはその場に存在しているカップル全てがお互いをそう思っているのだろうか。
「どうしたのよ、あれほど遅れないように言ったでしょう」
麻美は三十分ほど遅れて待ち合わせの場所に現れた克行を見るなり怒ったようにふくれてみせた。丸い童顔に流行にとらわれないショートカットの髪、それに紺のコートが手伝い、とても二十四歳には見えない。以前にも学生と間違われたと言って喜んでいたこともあったほどだ。
五十嵐麻美とつき合うようになってからすでに二年がたとうとしていた。麻美は人材派遣センターに登録されており、克行がよく伺う顧客先に彼女が派遣されていたことをきっかけに知り合い、つき合うようになった。
麻美の全てを克行は愛していた。今では克行にとって最も大切な人ということが出来る。ただ一つ難点をあげるとすれば、それは麻美が飼っている猫のことかもしれない。どこから拾ってきたかわからないような黒猫のルシファー。決して猫が嫌いなわけではないが、あの野性を離れ人間に媚びて生き、それでいて人の顔を見るとベッドの下へ潜り込むような険しさが克行には妙に気に入らなかった。あのルシファーの青い目を見るたびに心の奥底を覗かれるようなそんな不気味さがあった。
今、麻美のそばに当然ルシファーはいない。それでも気分はあまり良いとはいえなかった。麻美の顔を見れば心もなごむのではないかと思っていたが、心のなかに広がった暗雲はそう簡単に晴れてはくれなかった。
「ごめん……」
軽い鬱病にかかってしまったかのように、克行は暗い顔で頭をさげた。特権者優遇計画のことが頭から離れない。
「どうしたの?」
麻美はその克行の様子に、心配そうに克行の顔を覗き込んだ。
「い、いや……」
克行は麻美に特権者に指定されたことを隠すつもりだった。なぜだか、そのことが麻美に知られれば二人の仲が終わるようなそんな気がしたからだ。
「でも顔色が悪いわ。風邪、治ったんじゃなかったの?」
「大丈夫だよ。さあ、行こう。映画に遅れるだろう」
すると麻美は――
「あ、実はそれ嘘なの。本当は三時半から。きっと克行のことだから遅れてくると思って早めの時間を伝えといたの。だから本当はまだちょっぴり時間があるの」
そう言って克行のジャケットの袖をそっと摘んで、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「酷いな。そんなに遅れちゃいないだろう。時間までどうするんだ?」
「どこか喫茶店で休んでいきましょう。そうすればちょうどいいわ。克行もそのほうがいいでしょ? 映画までは元気になって、ちゃんと観られるようになってね」
麻美は克行の体にもたれかかると、克行を引っ張るようにして歩き出した。克行はそんな麻美を見つめながら、自分が特権者に指定されたことを麻美が知ったらどう思うだろうとしきりに考え続けていた。
そんな克行の元気のない様子に、麻美は口にこそ出さないものの密かに不安なものを感じているようだった。
二人は麻美の言うとおりに喫茶店で少しの間時間をつぶすと映画館へと足を運んだ。最近、仕事のほうがあまりに急がしすぎて好きな映画を観ることもなかったので、克行にとっては映画館に足を運ぶのも久しぶりだった。だが、映画を観ながらも、どうしても克行は今朝の通知のことを忘れることが出来なかった。スクリーンと自分の間に常にあの白い用紙に印刷された文字がちらついて見える気がした。
『――今年はみごとあなたが特権者として――』
そんなもの俺は望んじゃいない。
映画を観ている間中、克行はこれから自分がどうなってしまうのだろうという不安に取りつかれていた。
「克行、どうしちゃったの? やっぱりなんだか今日はいつもと様子が違うわ。何かあったの?」
映画が終わったあと入ったレストランで、麻美はまじまじと克行の顔を見つめた。すでに六時を過ぎ、外は暗くクリスマスシーズンにだけ光る街路樹に付けられたイルミネーションが美しく街を彩っている。
「そうかな……べつに何もないよ。最近忙しかったからちょっと疲れてるだけさ」
克行は麻美が不思議がるのを避けるようにつぶやくと食後のコーヒーに手をのばした。実際に自分の今日の態度がいつもと違っていることは克行も気がついていた。けれど、それを隠そうにも今の克行には隠しきれなかった。それほどまでにあの通知は克行の心をしめていたのだった。
(どうしてあんな一枚の通知のために俺はこんなに苦しまなきゃいけないんだ!)
不安で微かに苛立っていた。
「それならいいけど……仕事そんなに忙しいの? 来週はともかく、再来週はちゃんと予定空けといてね。仕事で会えないなんてこと言わないでね」
克行の心を解きほぐすそうとするかのように麻美はしきりに冗談めいた口調で喋り笑顔をみせる。
「再来週? 何かあったっけ?」
「やあね。冗談のつもり?」
「え?」
「クリスマスじゃないの」
美しい夢を見る少女のような口ぶりで麻美はつぶやいた。けれど、そのつぶやきさえも克行の耳には恐ろしい呪文のように聞こえ思わずギクリとした。その日こそが「特権者優遇計画」のメインともいえるフィナーレとなるのだ。人々はクリスマスの華やかさに心を奪われ「特権者優遇計画」などのことなどまったく忘れ去り、そして知らず知らずに何人もの特命者たちが凶弾に倒れることになる。
まるで――
(鼠取り!)
このクリスマスのきらびやかな光が餌になるわけだ。今更ながらにクリスマスを利用する国のやり方に腹がたった。
「そうだね。もうすぐクリスマスなんだね」
弱々しく呟く克行を不思議そうに麻美は見つめた。
「どうしたの? 本当に今日は変よ。クリスマスに嫌なことでもあるの?」
「いや、そうじゃないけど。ただ、今日部屋を出るときにちょっと嫌なニュースを見たんだ」
「嫌なニュース?」
「特権者優遇計画さ」
さりげなく言った克行の言葉に、さすがに麻美も少し表情を曇らせた。
「そう……そうね、もうすぐその季節だったわね」
特権者優遇計画のことを知らない者は世の中に誰一人としていないだろう。だが、誰もが極力口に出さないようにつとめているし、実際にはその当日まではほとんどの人たちが忘れてしまっている。また、もし口に出すことがあったとしても、単なる話題の一つとして喋るだけで、決してそれに対しての不平不満を語ろうとはしない。いつどこで誰がその話を聞いているか、そしてまたいつどこで自分が特命者リストに載るかわからない。そんな恐怖が知らず知らずのうちに心を支配しているのだ。克行も麻美も昨年まではそんな中の一人に過ぎなかった。
「何人くらいが対象になるんだろうな」
克行の何気ない言葉に麻美はびくりと体を震わせた。克行自身その言葉が特権者に対するものなのか、それとも特命者へのものなのかわからなかった。
「やめてよ、怖くなっちゃうじゃない」
そう言った麻美の顔が克行には少し青ざめているように見えた。無理に笑顔をつくろうとする麻美が愛らしく見えた。
克行はそんな麻美の顔を見つめながら、ふとつぶやいた。
「もし僕が特権者に選ばれたとしたら……どうする?」
言ってしまおうか? 言って少しでも心の重みもとってしまいたい。克行の心の中にそんな衝動が走った。
「克行が?」
麻美は驚いたような目で克行の目をじっと見つめた。その目はひどく怯えていた。コーヒーに砂糖をいれようとする彼女の手がぴたりと止まった。
「例えばの話だよ」
「例えば?」
「そうさ、実際にそんなことあるわけないだろう」
麻美の怯えたような態度に克行は真実を語るのを避けた。あえて麻美に伝える必要はない。ほんの一週間のことだ。麻美を不安にさせる必要などない。何とか自分一人で全てを解決してみせる。
「やだ、そんな冗談言わないでよ。そんな話しても仕方ないわ。またいつもみたいに知らないうちに過ぎてゆくわよ。もうやめましょう、その話は」
麻美は再び笑顔をつくると話題を別のほうへともっていった。
(俺だってそう思いたい。だけど、今年だけは去年までのようにはいかないんだ)
克行は麻美の話に耳を傾けながらも心はいつまでも離れることが出来ないでいた。




