死のクリスマスイブ・19
十九
十二月 二十一日 (木)
一夜明けた朝もやけに気が重かった。
たとえそれが法に背いてはいなかったとしても、それでも殺人には変わりないのだ。
すでに十時を回っている。
エレベーターのなか、克行の頭のなかに会社の人々の顔が浮かんできた。彼らが自分のことをどんな目で見るのかそれが想像出来た。そして、それが決して暖かいものでないことを克行は知っていた。
「おはようございます」
オフィスに入って行った克行を待っていたのは、想像した通りに同僚たちの戸惑い表情だった。
(そうびくついた顔をするな、何もこんなところで拳銃をぶっぱなしたりするもんか)
驚いた顔で見つめる同僚たちを無視して克行は自分の席へ歩いて行った。
「風間!」
西崎が真剣な眼差しで克行に声をかけた。その声は緊張のせいかいくぶん震えているように思えた。
「おはよう」
「おまえ、どういうことなんだ?」
「どういうことって?」
出来るかぎり心のなかを隠し、平然を装った。それが周りの人々にどんなふうに見られるかは予想出来た。
「わかっているんだろう! 昨日、おまえがやったことだ!」
「ああ、あのことか……」
わざと惚けたように答える。
「なぜなんだ? なぜあんなことを――」
「べつにおまえに非難されることじゃないだろう」
「なんだって?」
「おまえだって特権者優遇計画のことくらい知っているはずだろ。俺は特権者になった。そういうことだ」
西崎は茫然と克行を見つめた。その瞳に失意の色があった。やがて、がくりと膝を落とすと椅子に倒れ込むように座り、それからぽつりとつぶやいた。
「部長が呼んでる……おまえが来たら会議室に来るように言われてた」
「そうか」
克行はすぐに席を立った。西崎の辛そうな表情を見ていたくなかった。西崎の様子に克行は友人の信頼を失ったことを感じ取っていた。
会議室の前、すっと深呼吸してからドアをノックするとすぐに返事がかえってきた。
「どうぞ」
課長の田辺のものだ。声はすでに怒りに満ちていた。
克行はすっと深呼吸してからドアを開いた。だが、そのなかの様子は克行の想像したものとは少し違っていた。多くの上司たちが待ち受けているものと考えていたのだが、実際にそこにいるのは部長の桜川と田辺の二人だけだった。田辺はかなり険しい表情で克行を睨んでいるが、桜川のほうはそれほどではないように見受けられた。
「座りなさい」
克行はテーブルのそばにいき、席を三つばかりあけて椅子についた。
「いったいどういうことかね」
田辺は怒りを押さえるように努めているような声で尋ねた。
「……はぁ」
「はあ、じゃないだろう。昨日、IMMから連絡があった。君はなぜあんなことをやったんだね!」
まだ課長としては若い田辺は感情をうまくコントロール出来ないらしく、その声から克行に対する腹立たしさがひしひしと伝わってくる。
「なぜと言われても……」
「理由がなく二人を殺したというのか? IMMもKINICもお客様だということがわかっているのか?」
この男は理由もなく俺が人を殺したと思っているのだろうか。常日頃から人を見下したような態度をとる田辺の言葉に克行はしだいに腹をたてはじめていた。
「そんなことは関係ないと思います」
「関係ないだと?」
「今は特権者優遇計画の実施期間です。特権者優遇計画は国家行事です。私のやったことは犯罪じゃありません」
その克行の言葉に田辺は一瞬ぎくりと言葉を切った。その田辺の様子に克行は田辺もまた、自分のことを恐れているということを知った。もちろん、それは当然のことといえる。殺人の権利を与えられたものが自分の目の前にいるのだ。相手の気分次第では自分もまたターゲットになる可能性すらあるのだ。
田辺は再び感情を押さえるように声のトーンを落とした。
「……た、確かに君が特権者だということは警察からも連絡がはいって知っている。君がやったことは犯罪なんかじゃない。だ、だが、彼ら二人を……殺す……ということがこれから我が社にとってどういう意味があるのかは君にもわかるだろ」
答える気にはなれなかった。そんな一般的な考えで乗り越えることが出来るなら、克行もそうしただろう。だが、それが出来なかったからこそ殺人という最後の手段をとることになったのだ。それが田辺にはわかっていない。また、麻美のことを説明する気にもならなかった。田辺を納得させるためにはもっと別な方法を取らなければならないだろう。例えば拳銃を突きつけるとか。いや、それともそのまま撃ち殺してしまうか? おそらくこの男ならば何のためらいもなく殺すことが出来るだろう。
「風間君!」
「待ちなさい。彼にも彼なりの理由があったのだろう」
さっきまで黙って聞いていた桜川が怒鳴ろうとする田辺を制してやっと口を開いた。
「は、はあ……」
「風間君と少し話をしたい。悪いが少しの間席を外してくれないかね」
「は? しかし――」
ちらりと田辺が犯罪者を見るような目で克行を盗み見た。克行と二人では危険だと言いたいのだろう。克行もそれに気づき、わざと視線をそらすことなく田辺を睨み返した。
「構わない。さあ」
桜川も田辺の言いたいことに気づいたようだったが、それでも気にならないようで田辺を追い払った。
「やはり、特権者に選ばれたのか……」
田辺がいなくなると自分の考えを記すように桜川はぽつりとつぶやいた。
「やはり? どういうことですか?」
「先週の月曜だったかな、あの時なんだろう? 特権者の指定を受けたのは」
「なぜ部長はそんなことを知っているんですか?」
「この歳になるといろいろなところからいろいろな情報が入ってくる。なかにはただの噂だったりするものも多いからそれほど役にたつものばかりじゃないがね。ただ、特権者の指定が近々特権者に発表されたという話しはニュースでも聞いていたし、少し考えればわかることだよ。それに今年は私の名前が特命者のリストに入っているという噂も友人から聞かされていたんで気になってたんだよ」
「……」
「噂を聞いたとき初めはそれこそ動転してしまってね。よく考えてみたらもう八十に手が届くんだ。君たち若い人から見れば十分に生きたと言える年齢だ」
「なぜそれほどまで怖がるんですか? その噂がどこから出たのか知りませんが、特命者に指定される覚えでもあるんですか?」
「反逆罪」、特命者リストの桜川の欄にはそう書かれていた。
「覚えか……、確かにないこともない。なぜ私がこの歳になってまだ働いていると思う? 十年前ならもうとっくに退職している身だ。それなのに今だに働いてる。好きで働いてるわけじゃない。働かなきゃならないから働いているんだ。もう体も十分には動かなくなってもきている。それなのに政府はまだ年金の支給年齢をあげようとする。それに納得出来なくてね、いつも休みになると抗議グループに参加してデモをやったりしているんだ。国から嫌われても仕方無い」
「そうですか」
「それにしても特権者優遇計画か。まったく嫌なことを始めたものだ。仕事上これまでもまったく関係なかったわけではないが、自分の部下がお客さんを殺すとはな……。彼らも特命者だったのかね?」
何と答えていいかわからなかった。ただ、今まで知らなかった桜川の人柄や特権者優遇計画の背景がさらに見えたようん気がしていた。そして、その背景を桜川にさらしていいものかどうか、それすら判断することも出来なかった。
桜川はさらに続けた。
「まあ、彼らが特命者であろうとなかろうとそれはもうしょうがない。君、これからどうするつもりだね?」
「これからですか?」
「そうだ。特権者優遇計画が終わるまであと四日ある。それまで君は特権者として人を殺す権利を持っているんだ。正直言って社の人間は皆多少君に対して恐怖感を抱いている。田辺君も、そして、正直に言えばこの私もだ」
「どうしろと?」
「今週は休みを取ったらどうかね。坂本さんや波川さんがああいうことになってしまっては、しばらくは仕事にならんだろう。正直いえば君が会社にいることのほうがトラブルになる」
「はい……けれど会社のほうは……」
「今さら社内のことについて言ってみても仕方無いだろう。君がやったことは犯罪じゃない。会社としても別段君を裁くつもりはない」
桜川の言葉が優しさなのか、それとも克行に対する恐怖から出たものなのかそれは克行にもわからなかった。ただ、もし優しさだとしたら――
克行の心のなかに迷いが生まれた。桜川の名前が特命者リストのなかにあることを、そして立花という警察官が桜川を狙っていることを言うべきかどうか克行は混乱した。
「あの――」
言葉が溢れそうになり、克行は慌ててそれを押さえた。
「なんだね?」
「いいえ、何でもありません」
(今はもう何も考えるのはよそう。麻美のことだけ考えればいい)
克行は桜川に伝えないことに決めた。桜川は自らの立場を既にわかっている。今さら警告したところで意味はない。
「それじゃ、今日はもう帰っていいよ」
桜川は相変わらず穏やかだった。
そして、それは克行が桜川を見る最後となった。