死のクリスマスイブ・18
十八
携帯電話はいつものように十二時を少し回った時間に鳴り出した。克行は電話が鳴り出すと同時に電話に出た。
「――はい」
誰からかはわかっていた。むしろその電話を心から待っていた。
――特権者優遇計画委員会の者です。あなたのリストからの削除をお願いします。本日の削除者は三名です。特命者ナンバー0032・杉本真一郎、0105・山下美由紀、0622・藤川和也、以上です。
声はいつものように機械的に特命者の死を伝えた。今日初めて知っている人間の名が出てきたことに克行は知っていながらも心が痛んだ。今日、何人の特権者に杉本の死が伝わるのだろう。だが、今はそんなことよりももっと大事なことが待ち構えている。
克行はじっと電話に耳を傾けた。しかし、電話の声はそれ以上のことを告げる事なくそのまま切れそうになった。
「待ってくれ!」
克行は切れそうになる電話にすがった。
――なんでしょうか?
「今日、特権者である二人が死んだはずですが……」
緊張感が体中にみなぎる。
――……はい、確かに特権者二名が本日死亡されました。それが何か?
(それが何か? 何かだって?)
「その二人を殺したのが誰なのかわかっているんですか?」
挑戦するように克行は言った。
克行の問いに一瞬間があいた。だが、すぐにまたきっぱりとした口調に変わった。
――はい。誰が殺したのかはすでに連絡が届いています。
職員はあくまで第三者的な言い方を崩そうとはしなかった。その口調は感情を持たないコンピュータの電子音のようだった。
「なら、なぜそのことについて何も言わないんですか?」
――その二人の死についてあなたに言うことなど何もありません。
「どういうことですか?」
――また、彼らは特権者で特命者リストに載っているわけではありません。よって特権者の皆さんに彼らの死を伝える必要もありません。もし、あなたが彼ら二人を殺したことによって罪を犯したことになるのではないかと危惧しているのであれば安心してください。別段、規則違反になるわけではありません。特権者が特権者を殺してはいけないという規則もありません。あなたが「特権者優遇計画」の間に誰を殺そうと自由です。法的にもあなたは無実です。では失礼します。
その声はどこか克行の心を見通してあざ笑っているように聞こえた。電話はそのままぷつりと切れた。
死というものがやけに軽ろんじられているようで悔しかった。
(俺は何を望んでいた?)
ゆっくりと受話器をおろし自分が何を考えていたかを思い直した。もっと慌てふためき克行の殺人を問いつめる、そんな様子を描いていた。そうすることによって特権者優遇計画に対してほんの少しでも抵抗をしたかった。
それが克行の気持ちだった。だが、あまりにも現実は克行の思いとは違っていた。
(当たり前のことじゃないか……)
克行は改めて特権者優遇計画を恐ろしく感じた。
特権者であろうと特命者だろうとただ死人が出ればいい。政治家たちが考え出した人口削減計画なのだ。それが特権者優遇計画だった。わかっているつもりだった。どんなことが起きても計画を揺るがすことなど出来るはずがないのだ。
――あなたが誰を殺そうと自由です。
それなら……それならきさまがいったい何者なのかはっきりと教えてくれ! そうしたらきさまの鼻先に拳銃を突きつけてやる! それでもまだ自由だと、無実だと言っていられるか試してやろうじゃないか!
あの職員の顔が脳裏をちらついた。
特権者優遇計画に対する怒りと、恐怖と、苛立ちと、寂しさとむなしさが心に渦を巻いていた。
決死の覚悟の抵抗までも、全て計画のなかに組みこまれているようにさえ感じられた。
たった二発の弾丸で二つの命を消し去ったのだ。なんと優秀なことだろう。これこそ市役所の望む最高の特権者じゃないか。おまえは国の役に立つ立派な特権者になっちまったんだ。さあ、国民栄誉賞だ。
奴らの嘲りの笑い声と拍手が聞こえる。
今まで必死に押さえてきた感情が狂喜へ向かって走って行く。
麻美の声が聞きたかった。自分自身の感情を押さえるためにも麻美の声が聞きたかった。夕方会った時の麻美の姿が頭に浮かんだ。克行の言葉に微かな驚きを見せ、悲しそうに克行の腕のなかで涙を流した麻美の姿を思い出した。
携帯電話のボタンを押す指が震えていた。
数回のコールの後、ほんの少し眠たげな麻美の声が聞こえてきた。
――もしもし、克己?
「……麻美」
こみあげる気持ちを押さえながら克行はつぶやいた。
――どうしたの?
「いや……別に。眠ってたのか?」
――ううん、まだ。
気まずい雰囲気が漂う。二人の間には以前のような単なる愛情だけが存在しているわけではない。二人の間には「死」が常に漂っている。
「さっき、また電話があった」
――電話?
「……市役所からの」
――……。
「今日のこと……俺がやったこと、あいつらちゃんと知っていやがった」
――何か言われたの?
「いいや、何も。まったく何も言おうとしなかった。だから、かえってこっちから聞いたんだ。どうなっているのかって」
――うん。
「法律的にも規則的にも違反にはならないらしい。俺はあくまで犯罪者にはならないらしい。馬鹿ばかしいだろ。二人も殺しておいて犯罪者じゃないなんて、ありえないだろ」
いくぶん声がうわずっているのが自分でもわかった。
――克行、自分を責めないで。
「責めてるわけじゃない。悔しいんだ。ただ、俺は悔しいんだ。わけもなく、むしょうに腹がたってあいつらに腹がたって……」
――克行、あなたは悪くないわ。全て時の流れが、そうよ、運が悪かっただけなのよ。
「運か……」
自分自身、時の流れに逆らっているような気がしていた。もし自分が特権者などに選ばれなければ、もし麻美が特命者に選ばれなければ……どちらにしても今更しょうがないことだ。
――だから苦しまないで。
「ありがとう……」
そのまま電話を切った。
麻美の優しさだけを胸に抱いていたかった。それだけが救いだった。
その夜、克行は一つの悪夢に襲われた。それはベッドに入った時から予想していたことだった。
克行が拳銃を握り、あの場所に立っていた。そして、そこにはやはり坂本、波川の二人の姿があった。二人とも立ったままじっと克行を見つめている。
こいつは夢だ。克行はすぐにそれに気づき、夢から逃れようと試みた。だが、それとは裏腹に恐怖はしっかりと克行に襲いかかっていた。足はがくがくと震え、手は今にも拳銃を取り落としそうになっている。汗が全身を濡らしている。
そう簡単にはこの夢から逃れられそうにもない。
クソッ! それならもう一度その頭を吹き飛ばしてやる。一度も二度も同じことだ。
思いきって拳銃を二人に向けて撃った。弾丸は狙い通りにしっかりと二人を捕らえ、波川の頭の半分と、坂本の胸元を吹き飛ばした。だが、それでも二人は動じなかった。それどころか克行の顔を見て削り取られた頭と穴の空いた胸を気にする事もなくにんまりと笑みを浮かべ、ゆっくりと克行に向かい歩き出した。
「来るな!」
克行は無我夢中で拳銃を握りしめた。弾丸は尽きる事なく次々と発射され、全て近寄る二人の体に吸いこまれていった。それでも二人の歩みを止めることは出来なかった。耐え難いまでの恐怖が克行の体のなかで膨れ上がり、ついに拳銃を撃つことも出来なくなった。そして、気づいた時には手の中から拳銃そのものが姿を消していた。
克行は逃げ出そうとした。恐怖のために夢だということも意識の外に消えていた。しかし、足を動かすことも出来なかった。見ると頭から血を流して倒れている杉本老人の手がしっかりと克行の足を握りしめている。『逃がすものか!』その目はそう語っている。
やがて、坂本と波川は克行の目の前に立ち、その血で濡れた手でぎゅっと彼の肩を握りしめた。
「さあ、今度はあんたの番だ」
突然、二人の背後に麻美の姿があった。彼女の手に拳銃が握られている。彼女は悲しげな眼差しで克行を見つめ、それから拳銃を克行に向け、そいつをきつく握りしめた。