死のクリスマスイブ・15
十五
電話が部屋に鳴り響く。
だが克行はただじっと電話を見つめ、動こうとはしなかった。
誰なのか、どんな電話なのかそれはわかっていた。
五回、ぴたり五回コールされた後、留守番電話が答える。
――はい、風間です。ただ今出かけています。用のある方は発信音の後メッセージを入れて下さい。
しかし、メッセージは入れられずに電話は切れた。そして、次に携帯電話が鳴り出した。これがもう十回以上繰り返されている。
それでも克行は取ろうとはしなかった。それが会社からの電話だということを克行は見抜いていた。
いい加減にしててくれ。それだけコールすれば十分だろう。いないのか、それとも出るのを拒否している、そのどちらかと考えるのが普通だろう。
部屋が夕陽で真っ赤に染まっている。
ふと克行は今日の出来事を思い出した。床に崩れ落ちた二人の姿。あの二人の体から溢れ出る真っ赤な血。
あの後、克行は会社に戻ることも出来ず、自宅に戻ると拳銃をテーブルに投げ捨てぼんやりと考えこんでいた。拳銃は夕陽をあびて満足そうにますます光り輝いて見えた。
今、克行が待っているのは会社からの電話などではない。
再び五回のコールのあと留守番電話が答えると、ついに相手も諦めたように喋り始めた。やはりそれは克行の想像していたように会社からだった。
――克行。俺だ、西崎だ。本当にいないのか? もし、いるのなら電話をとってくれ。
声はそう言うと一度言葉を切り、間をおいてまた喋り始めた。
――いないのか……まあ、いい。もしこのメッセージを受け取ることがあったらすぐに電話をくれ。桜川部長も田辺課長も、もちろん俺も会社で待ってる。……何のことかはわかってるだろう。それじゃ……電話を待ってる。
ぷつりと電話が切れた。無論、会社に電話をいれるつもりなどはなかった。言い訳するつもりもない、説教されたくもない。奴らに何がわかるというんだ。会社で何が起こっているのか、それは容易に想像することが出来た。
それでもふと悲しくなった。
法的には犯罪人にはならない。けれど、人の目は違う。ただの人殺しとしか見られないことを克行は知っていた。相手が特権者だということは誰一人として知らないはずだ。彼らが知っているのは克行が特権者で、その権利を利用して坂本、波川の二人を殺したということだけだ。
(俺は人殺しになった)
あの時の感触が手に蘇る。
(違う……)
克行はぞっとした。人を殺すのはもっともっと恐ろしいもののはずだった。
(それなのに……)
あまりに簡単に彼らは死んでいった。実行する前には拳銃に詰まった弾丸全てを撃ちつくしてもやりとげられないような気がしていたのに。それが実際には一人に一発。たった二発の弾丸で成し遂げられてしまった。
なんて優秀なんだ! そいつを特命者に向けてみろ。特権者ランクAがもらえる。
しかもあの時克行が感じたものは恐怖などではない。それは……
思いを断ち切るように克行は立ち上がった。克行の待つ電話はまだ来るはずがない。あの市役所の職員からかかってくる嫌な電話は毎晩十二時過ぎと決まっている。
今日はやけにその電話を聞きたかった。
彼らがどんなふうに克行に対して特権者の死を伝えるのかそれが聞きたかった。狼狽えているだろうか、克行に対して警告をするだろうか。特権者優遇計画に対する反逆だと思うだろうか。彼らが悔しがる姿を心のどこかで望んでいた。
だが今、権利を取り上げられることが克行には一番恐ろしかった。権利無しでは法に背くことなく麻美を守ることが出来ない。
(まさか、権利をすぐさま取り上げようとはしないだろう)
一瞬、自分のそんな思いが権利に対する未練のようにも感じられ克行は身震いした。
俺は人殺しを楽しみかけている。
それに気づかないように克行は頭を思いっきりシャッフルした。
克行は拳銃をテーブルからとり上着のポケットにいれると、その上からコートを着こんで部屋を出た。
麻美に会いたかった。
会って抱きしめたかった。危険が減ったことを伝えてやりたかった。だが、麻美がそれを喜ぶだろうか。
そう思って克行は思わず足を止めた。
それを麻美が喜ぶはずはなかった。いかに自分の命が助かるとしても彼女は人殺しを望みはしない。
――どうやって私を守ってくれるの?
じゃああの言葉は?
違う、あの言葉は俺に殺人を強要したわけじゃない。
全てが悪い方向へ向かって考えてしまうことに克行は自分自身の弱さを呪った。
(そうだ、彼女はそんな女じゃない。ただの俺の思い過ごしだ)
麻美に会おう。もちろん今の時間ではまだ仕事から帰ってきてはいないだろうが。
再び足を動かす。
「やあ、出かけるのかい?」
マンションを出る克行を見て、管理人の杉本は病院の受付さながらガラス窓の向こうからにっこり笑って声をかけた。
マンションの出入り口は一つで、出入りする人は皆管理人室の前を通ることになる。
管理人である杉本はすでに八十歳を越えている。若い頃、事故で家族を無くし身寄りがないという話を聞いたことがある。老人自身も右足を痛めており、常に黒い杖をついている。
「高齢」、特命者リストにはそう書かれていた。あのリストを見て以来、いつもこの場所を通るたびに胸が痛む。そして逆に毎日杉本の姿が見えることでほっとしていた。
出来ることならこの哀れな老人の「死」に立ち合いたくはなかった。
(本当に? ほんの少し前におまえは人を二人も殺したんだぞ。それを忘れたか?)
押し隠そうとする感情をかいくぐってもう一つの心が姿を現そうとする。
えい、黙れ!
「具合はどうだい?」
杉浦の問いに、克行は自分が気分が悪かったため早退してきたと嘘をついたことを思い出した。
「もう大丈夫ですよ」
「そうかい、最近やけに寒くなってきたからねえ。体には気をつけなさいよ」
「――はい」
あんたも体に気をつけなさい。あんたの命は俺よりも危ないところにあるんだ――そう告げた時、老人はどんな顔をするだろう。だが、もちろん克行はそんなことを杉本に伝える気はなかった。西崎、桜川、そしてこの杉本たちの命を守るほどの力は克行にはありはしない。今はただ麻美を守ることだけで精一杯だ。鬱陶しい、不安気な顔など見たくもなかった。
克行は笑顔を返すとマンションを出た。
風がやけに冷たい。
今にも雪が降りだしそうな気配すらしている。きっとクリスマス・イブに雪が降るという気象庁の予報はきっと当たることだろう。そして、その雪のなかにいくつもの死体が転がることだろう。
(ざまあ見やがれ! きさまの頭のなかは死体だらけだ!)
克行はコートのポケットに手を突っ込むと、街に流れるジングルベルの音楽のなかを歩き出した。