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死のクリスマスイブ・14

   十四


 十二月 二十日 (水)


 IMMはもともとはテレビやビデオに使われる電子部品を製造してきた。しかし、五年ほど前からパソコンや大型コンピュータなどに使用される半導体にも手を出し、今や大手メーカーと肩を並べるほどの力になってきていた。その原動力になってきたのがIMM技術研究所であった。

 IMM技術研究所は本社からの技術員を含め約五十名ほどで、本社の片隅にある小さな七階建てのビールのなかにあった。その一部にシステム課が存在している。

 克行がそこを訪れたのは午後二時近くなってからだった。

 あまり早く訪れては不自然になるのではと意識的に着くのを遅くしたのだ。何よりもKINICの坂本が到着していなければ波川と二人で時間を待たなければならない。それだけは避けたかった。

 波川のいるシステム課、課長室は四階にある。

 克行は受付で入館証を受け取り、階段で四階まであがっていった。エレベーターは備わってはいたがそれは備品の運搬用に使われており社員のほとんどは階段を利用していた。普段は面倒くさいと思える階段が、今日は一段一段をあがっていくことによって心が引き締まって行くのを克行は感じた。

 四階には波川のいる課長室と資料室、そして会議室がある。会議室は一部ガラス窓になっており廊下からもなかの様子を見ることが出来る。会議室はそれほど広くはなく、約十五名から二十名ほどが入れるように作られている。中央には楕円を描くように長机が並べられている。

 克行が着いた時、波川は会議室の一番奥である窓のすぐ近くの席にいた。すでに坂本も着いており二人で話しこんでいた。どうやら二人の趣味であるゴルフの話題らしい。二人がそろっていることに克行はとりあえずほっとした。

 二人は克行を見つけると立ち上がった。

 克行は部屋に入るとゆっくりとドアを閉めた。

「どうもお忙しいなか申しわけありませんでした」

 階段をあがりながら何度も何度も頭のなかで繰り返したセリフを口にした。どんな言葉であろうと相手に不信に思われてはいけない。そんなことがあれば全て駄目になってしまう。何よりも自分の決意が揺らいでしまうようで怖かった。

 二人はそんな克行に別に不信を抱いた様子はなかった。

「いえ、とんでもない」

 坂本はにこやかに笑いかけた。

 株式会社KINICのシステム開発部係長である坂本とは二年前、克行が坂本のもとで行われているシステム開発を手伝ったことで気に入られそれ以来いくつかの開発を二人で行ってきた。

 坂本も今年四十歳になるが、今でも人事管理や営業管理に留まることなく開発にも携わっている。

「今日はどういう用件でしょう。確か設計の概要についてということでしたが……。それにしては我々三人だけで?」

 波川がほんの少し怪訝そうな顔をした。いつもは研究所の作業着を着ていることが多いが今日は坂本が来ているせいか紺のスーツで身を固めている。太った体がやけに窮屈そうに見える。

「ええ、あくまでも概要についてですから……」

 克行は波川に向かうような形で椅子につくとすぐに書類を鞄から出した。

「しかし、私が見てもわかるかねえ。他に誰か呼んだほうがいいんじゃないかね」

「いえ、今回は波川さんだけで結構です。この三人で話したほうがかえって正直に話せるでしょう」

(逃がすものか。ここまできてしまったんだ。もうやめることは出来ない)

 いつもは笑い飛ばしてしまえる波川の言葉に、今日は怒りがこみ上げるのを克行は感じた。

 克行の心のなかに殺意が広がっていく。そんな殺意を押し包むように克行は仕事を押し進めた。雑談をするほどの余裕はなかった。

 自社でコピー済みの書類の束を波川、坂本の二人に手渡す。書類のほとんどがそれほど重要でない、これまで話し合われてきたものが書かれているだけのものだった。おそらく書類を読み終われば、そのことに二人も気づくことだろう。だが、書類を全て読ませるつもりなどなかった。

 二人が書類に目を通しはじめる。あとはいつ計画を実行するか、それだけだ。装填済みの拳銃がポケットのなかで克行の殺意の実行を待っている。

(殺せるのか? 本当に?)

 頭の隅で正直な恐怖感がふと克行の心にささやく。

(殺れるさ、俺にだって人を殺すことくらい出来る。麻美のためだ、彼女の命を守るためだ。ためらうことなんかない。この二人も特権者として平気で人を殺すんだ。いや、もうすでに殺しているかもしれない。ここでこの二人を殺すことが多くの人の命を救うことになるんだ)

 二人は書類に見入っている。

 克行はそっと右手をポケットへ向けて動かした。ポケットの外から拳銃に触れる。

 それはしっかりとそこに存在していた。

 わかってはいるものの実際に触れるとびくりと指がびくつく。克行は二人に気づかれないようにポケットのなかに手を滑り込ませ、拳銃を握った。

(気づくな、最後まで気づくな)

 祈るような気持ちで二人を見定める。波川、坂本の二人が特権者としてお互いを知っている可能性だってある。そうすれば当然、二人の意識のなかに特権者優遇計画があるはずだ。そして、それにともなう危険性というものも二人とも心得ているだろう。

 克行は最後まで二人が気づかないように祈った。

 人を殺す。麻美を守るためとはいえあまりにも生々しい殺人は行いたくなかった。

 克行は思いきって立ち上がろうとした。だが、その瞬間ドアをノックする音が克行の行動を止めた。

 波川も坂本もその音に顔をあげる。

「失礼します」

 事務員の吉村智子がコーヒーを運んできた。何度も来ているため、克行の好みも坂本の好みも彼女にはわかっていた。彼女はゆっくりとした足取りで入ってくると軽くおじぎをしてからコーヒーを配りはじめた。おそらく波川が彼女にこの時間になったら持ってくるように指示していたのだろう。

(早く行ってくれ! 今だ、今しかないんだ。今を逃したら俺の気持ちも揺らいでしまう。頼む! 早く行ってくれ!)

 克行は無表情を装いながら懸命に彼女の緩慢な動作を呪った。しかし、吉村は克行の気持ちなど知るわけもなく相変わらずゆっくりとした動作で坂本、克行、波川の順にコーヒーカップをテーブルにのせてゆくとやっと背を向けた。

 だが、次の瞬間彼女は振り返り不思議そうな視線を克行に向けた。

「どうかしましたか?」

「え?」

 背筋がぞっとするのを克行は感じた。

「顔色が悪いわ」

「そ、そうですか……」

 克行は両手で顔を軽く擦った。

「具合でも悪いんですか?」

 坂本も顔をあげ克行を見ている。その坂本の声に波川も顔をあげる。

「……風邪かな、昨夜から少し熱っぽいんですよ。でも、たいしたことないから大丈夫です」

 克行は無理に笑って見せた。

「そうですか……、もし具合が悪いようなら言ってください。薬ならありますから」

 吉村は優しい笑顔でそう言うと、やっとドアへ向かって歩き出した。それに合わせるように波川、坂本の視線も再び書類に戻ってゆく。

 彼女は再び一礼してドアを閉めた。

 克行の鼓動が再び高く鳴り始める。

 波川、坂本の二人も彼女の言葉を忘れ再び書類へと目を戻している。

 テーブルの上にのせてある左手が微妙に震えている。

(何を怖がっているんだ。落ち着け、落ち着くんだ!)

 もう邪魔にはいるものはない。もしあったとしてもそれでも行動してしまえばいい。しょせん、ここで起こることを隠し通すことは出来ないのだ。

 克行は右手をポケットのなかの拳銃を握るとゆっくりと立ち上がった。

 影が坂本にかかり、坂本がゆっくりと顔を上げる。その坂本の顔面に狙いをつけ、克行は拳銃を向けた。まるで拳銃を握ったその手が自分のものではないように感じられた。なぜ、俺はこんなものを握っている? 自分自身に問いかけたくなった。もっと不思議そうな顔をしているのが坂本だった。実際に何が起こったのか把握していない。波川はまだ書類に目を落としている。

 坂本の顔が現実を掴み、急激に歪む。

(殺せるのか?)

(殺す!)

(殺らなきゃ――)

(望みは……)

(「死」)

(でも――)

(殺せ!)

(「メリークリスマス」)

 サンタの声が聞こえた。

 それは引き金を引くというよりもギュッっと右手を強く握りしめたというほうが近かっただろう。

 しかし、それでも拳銃はしっかりと克行のなかで小さく跳ね上がり火を吹いた。

 克行の頭のなかが一瞬空白になった。音という音が跡絶え、銃声さえもまるっきり聞こえなかった。ただ、握っていた拳銃がやけに熱く感じ、その瞬間に椅子から坂本の体が頭から転げ落ちてゆくのだけはしっかりと見えていた。

(俺はついに殺したんだ)

 転げ落ちた坂本の足が長机を蹴り上げ、跳ね上げられたコーヒーカップが宙を舞って床に落ちて割れるまで、克行はまるで夢を見ているような気分に浸っていた。市役所の職員が拳銃の説明をした時の人形の首が吹き飛ぶ場面が頭に思い出された。

「か、風間……さん!」

 波川は椅子から立ち上がることも出来ず、目を丸くして克行を見つめた。声がうわずり、口が意味もなくぱくぱくと動いている。

 我に返ると克行は、すぐに震える右手を波川へと向けた。そして、そうしながらもちらりと横目で倒れた坂本の状態をうかがった。今にも坂本が立ち上がり、襲いかかってくるようなそんな錯覚を覚えた。

 坂本の……いや、坂本であった肉体は椅子から投げ出され、力をなくしている。顔はさっき撃たれる瞬間に克行を見つめたままで、違うところといえばその額の中心に赤い穴が空き、後頭部から流れた血がカーペットを濡らしているということぐらいだろう。

(間違いない。死んでる)

 克行は改めて人を殺したことを実感した。

「ど、どういうことなんだ?」

 波川は相変わらず、克行の行動が理解出来ないらしく震え続けている。

「あんただってわかってるはずだ」

 急がなければいけない。そう思いながらも克行は波川に答えた。まるで酔っているかのように視界がぐるぐると回って感じる。

 微かに吐き気がしていた。

「何を言ってるんだ?」

「あんただって本当はわかっているんだろう。今がどういう時期かを!」

 そうすることによって吐き気を押さえようとするかのように克行は声をあげた。その言葉に波川の表情が変わる。だが、それは恐怖へではなく安心へのものに見えた。

「そ、そうか……風間さんも特権者に選ばれたんだね。だが、私を殺すのは間違ってる。実は私もあんたと同じ特権者なんだ」

「……」

「さあ、拳銃をしまってくれ。そんなもの日常から持ち歩くものじゃないだろう。そうか……坂本さんは特命者だったのか」

 波川は恐怖から救われた喜びからか、微笑みながら立ち上がった。そして楽しげな表情で坂本の死体を覗き込んだ。

「だがねえ、いくら特命者だといってもこんな殺し方はまずいんじゃないかね。お互い顔を知っているし、仕事の付き合いもあるわけでしょう」

 その微笑みが克行には許せなかった。怒りが吐き気とともに沸き上がってくる。

「何か勘違いしているんじゃないですか? 坂本さんは特命者じゃありませんでした」

「特命者じゃなかった? それじゃどうして? そりゃ特命者でなくても殺すことは出来るけど――」

「逆だよ。坂本さんは特権者だったんだ」

「なんだって?」

「特権者だからこそ殺したんだ」

「……」

「あんたも同じだ」

 波川の顔に再び恐怖の表情が戻る。

「馬鹿な、特権者が特権者を殺すなんて……殺されるのは特命者なはずだ」

「特権者を殺していけないなんていう規則だってないだろう」

 右手が震える。克行は拳銃にそっと左手をそえた。震えていることを波川に知られたくなかった。

「君はいったい何を考えているんだ! 特命者は殺されても当然の奴らなんだ。わかっているのか? 我々とは違うんだ!」

「誰が決めた? 役所が勝手に決めつけただけだ。特権者だろうと特命者だろうと同じ人間だ。俺に言わせれば、きさまみたいな奴こそがクズだ。きさまのような奴こそ死ねばいいんだ」

「それじゃ君はどうだ!」

 波川が言い返す。「君だって特権者なんだろう! 坂本さんだって殺したじゃないか! 偉そうなことを言って、君も人殺しだ!」

「そうさ、俺も人殺しだ。けど、他の人ならともかくきさまたちなら殺せる。人殺しを喜ぶようなきさまたちならな!」

 心臓に狙いをつける。

「や……やめろ! 頼む! いったい何が要求なんだ? 金か?」

 逃げ出すことも出来ず波川はその場に崩れ落ちた。坂本の死体のすぐ側で祈るように手を合わせ、ちらちらとドアのほうを盗み見ている。

「頼む! 金が欲しいならいくらでもやる。だから助けてくれ。私はまだ死にたくないんだ」

 組んだ手で心臓が見えなくなり、克行は狙いを額へと移した。

「金なんかはいらん。欲しいのはきさまの命だ」

「ひぃぃぃぃ! やめろ! やめろ! やめろぉぉぉぉぉぉぉ!」

 克行の気が変わらないのを悟り、波川は這いながら逃げ出した。その背後から克行は波川の頭のあたりへ狙いをつけ、引き金を絞った。

 再び克行の手のなかで拳銃が跳ねた。弾丸は後頭部から脳を突き抜け、波川の体はうつ伏せに床に落ちていった。今度もまた克行には拳銃の爆発音は聞こえなかった。その代わりに弾丸が頭蓋骨を貫く音と、ぐちゃりと脳を通過する音が聞こえてきたような気がした。

(や……やった……)

 克行は拳銃を下ろすと波川へ近づいた。

(よし、死んでる)

 波川の死を確かめると克行は火薬の匂いのする拳銃をポケットのなかへ押しこんだ。

 今は四階に他に人もいないらしく、拳銃の音も誰にも聞こえずに済んだ。そのことに克行はほっとした。もちろんこの後二人の死体が発見されれば誰が犯人かすぐにわかることだろう。坂本にしても会社に今日の打合せのことは伝えてあるだろうし、何より事務員の吉村に克行がここに来たことを見られている。だが、それでも克行は全てが済むまでは他人に介入されたくはなかった。

 波川の死とともに不思議なことに吐き気はすっかり納まり、今ではむしろ完全に落ち着いていることが自分でも感じられた。

 克行は坂本の死体まで戻ると坂本のポケットを探った。けれど目的の拳銃も弾丸も見つけることは出来なかった。ここで拳銃を奪っておけば、今後なおさら有利になると思ったのだ。すでに弾丸は二発使い、残りは四発になっている。予想以上に順調に二発の弾丸だけで二人を消すことが出来たものの、それでも弾丸は多いほどいいに決まっている。何よりまだあの立花をはじめ三人が残っている。ふと、坂本の体に触れ、克行はびくりと手を引っ込めた。まだ生暖かい。

 克行は諦めるとテーブルにのっている自分の書類を片付け始めた。少しでも早く部屋を出て行きたかったが、自分がいたという跡を残したくはなかった。

 ふいにドアが開けられ、克行は驚いて顔を上げた。

 吉村智子だった。逃げることも出来ずに恐怖に顔を歪ませながら床に倒れている二つの死体を凝視している。

 コップが落ちて粉々になった。薬の瓶が転がり白い錠剤がばらまかれている。その吉村の姿が再び克行の落ち着きを取り去った。

(落ち着け、落ち着くんだ)

 克行は書類を鞄にしまうと、ゆっくりとドアに向かって歩き始めた。

「あ……あの……くす…薬を」

 吉村が身をすくめるようにしてたどたどしく弁解するのを、克行は冷たい目で見つめながら近づいて行った。

 自分が何をしようとしているのか自分でもわからなかった。

(殺すのか? この人のことも……)

(なぜ?)

(殺しておいたほうが……)

 錯乱状態になっていることが自分でもわかった。

「……あの……あたし……」

 まるで蛇に睨まれた蛙のように動くことも出来ずにいる。その体は小刻みに、そして激しく震えている。

 克行は吉村の前に立つと再びポケットのなかから拳銃を出し、彼女の顔の前に持っていった。

「た……助けて……」

 視線が拳銃を見つめ、細いかすれた声で吉村は訴えた。目が涙で潤んでいる。その顔がやけに美しく感じられた。

「僕は特権者です。わかりますね。特権者優遇計画を知っていますね。今はその特権者優遇計画が実行されているんです。だから、これは犯罪なんかじゃありません」

「は……はい」

「あなたを殺そうとは思いません。別に黙っていろとも言いません。僕が出て行ったあと、騒ごうと警察に連絡しようとそれはあなたの勝手です。ただ、出来るなら僕が出て行くまでは騒がないで下さい。僕自身、今、自分が押さえられずにいます。あまり騒ぎ立てられると……わかりますね」

「……はい」

 吉村はコクリとうなずいた。

 克行は拳銃をポケットにしまうとゆっくりと部屋を出た。

 満足感が心の奥に潜んでいることに自分自信気づいていなかった。


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