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死のクリスマスイブ・11

   十一


 十二月 十八日 (月)


 オフィスは今日も変わりなく動いている。

 あの日以来、部長の桜川から特権者優遇計画について尋ねられることもない。おそらくこの社内にも克行の知らない特権者や特命者がいることだろう。だが、誰一人として決してそんなことを口にしようとしない。皆、特権者優遇計画のことなど忘れてしまっているのだろうか、それとも密かに探りあっているのかもしれない。克行はそのことに不気味な怖さを感じていた。

 けれど今、自分に直接的に関係しない者たちに関わっている暇はない。今の克行にはどこで誰が殺されようとまったく無視することの出来る自信があった。

 克行はこれからやるべきこと、言うべきことを頭のなかで繰り返した。

(やるしかない!)

 何度も自分自身に言い聞かせたことだ。

 そのことは特命者リストに麻美の名を見たときからたえず頭のなかにあった。だが、いつもそれは現実離れしていることのように思えてしかたなかった。しかし、昨夜麻美と会ったことで克行の心も一つに決まった。

 特権者を殺す。麻美の名の入った特命者リストを持つ特権者たちを殺す。それが麻美を守る最も有効な手段なのだ、という考えが強い決意として克行の心のなかにはっきりと表示されていた。

 克行は電話を自分の机に寄せると、外線発信のボタンを押した。

 慎重深く相手先の電話番号をダイヤルしてゆく。

――はい、IMMでございます。

 いつもの女子事務員の声が電話口から聞こえてくる。

「KCSの者ですが、いつもお世話になっております。おそれいりますがシステム課長の波川さんいらっしゃいますでしょうか?」

――少々、お待ちください。

 女子事務員の声が跡絶え、電子音が音楽を奏で始めた。克行はじっと汗ばむ手で受話器を握りしめながら電話口に波川が出てくるのを待った。やがて、ぷつりと電子音が跡絶えた。

――はい、お電話変わりました。

 波川の声だ。

「もしもし、風間です」

――なんでしょう。

「今度のシステムのことでちょっとお話したいことがあるんですが、今週時間ありますでしょうか?」

 声がうわずるのを押さえるように克行は事務的に仕事の話を切り出した。

――今週ですか? 何か問題でも起きたんでしょうか?

 そう、大きな問題が起きている。しかし、それは仕事じゃない。それを解決するためには何としてもあんたに会わなきゃならないんだ。

「いえ、問題というほどのことでもないんですが、システムの概要がまとまりましたので、それをチェックしていただきたいと思いまして……」

――そういうことでしたら、風間さんにお任せしますよ。私が見てもねえ。そうだ、うちの菅原君、彼ならあなたも知っているし、彼とではどうだろうか?

 波川ののらりくらりとした答えが帰ってくる。いつもそうなのだ。いつもシステム開発が始まる時にはそう言って他人任せにし、いざシステムが出来上がる頃にいくつも難題を持ちこむのだ。だが今度は逃がすわけにはいかない。今度のミーティングはこれまでのように代理の人間では役に立たない。波川自身でなければならないのだ。

「いえ、今回だけは波川さんでないと……KINICの坂本係長も出席していただくようお願いしてますので」

 もちろんまだ坂本には連絡はいれていない。だが、そう言うことによって波川に逃げることの出来ないものだという気持ちを持たせることは出来る。それに、坂本にもこれから連絡して必ず出席させるつもりなのだ。

 波川と坂本、彼ら二人を除いては今度の打合せは何の意味も持たない。そうだ、あくまで二人同時でなければならない。

――坂本さんか……それじゃ、行かないとねえ。

「いつがいいでしょうか? なるべく早いほうがこちらとしては都合がいいんですが」

 そうだ、殺るならば早いほうがいい。それだけ麻美の危険が少なくなる。

――そうですね。明後日、水曜の午後ならお会い出来ますけど。

 二日後、その期間がもどかしかった。

 だが、涼子が持ってきてくれたこれまでの「特権者優遇計画」の統計によれば最も殺人が行なわれるのは最終日であるクリスマスイブ。平日に行なわれる可能性は極めて低かった。

「水曜ですか。わかりました。それでは水曜の午後そちらにお伺いいたします」

――よろしく。

「よろしくお願いいたします。それでは失礼いたします」

 立て続けに言葉を発し、克行は電話を切った。会う日が決まった今、いつまでも長話をている必要はなかった。

「どうかしたのか?」

 その声にふと顔をあげると不思議そうに克行を見つめている西崎の目とあった。

「いや……なぜ?」

「だって、今回のシステムは始まったばかりで設計書だってまだ完全にはまとまっていないじゃないか。あんなものを見せるために波川さんを呼び出したんじゃ、かえって文句言われるんじゃないのか?」

 西崎はパソコンを叩く手を休め克行に尋ねた。

「設計書がまとまってからじゃかえって遅いだろう。概要はだいたいまとまってる。あれだけ出来てれば叩き台にはなる」

 克行は心を読まれないように注意しながら反論した。

「そりゃ、そうだけど……おまえ、いつもだったらもう少しまとまってから打合せに入るだろう。それにあんまり上の人間じゃかえって開発の邪魔になるって坂本さんなんてむしろ避けようとしてたじゃないか。何で今度に限って――」

「少しやり方を変えてみただけだ。それよりおまえに頼んだ資料、大丈夫なんだろうな。明日までには終わらせてくれよ」

 西崎に追求されるのを恐れ克行は冷たく突き放した。

「藪蛇だったな」

 西崎はそんな克行の気持ちを知るはずもなく、明るく笑い飛ばすと再びパソコンのキーボードを叩き始めた。

(そうだ、藪蛇だ。おまえは黙って見てればいい。水曜を過ぎればおまえも現実を知ることが出来る)

 現実。まだ西崎は自分の名前が特命者リストに入っていることを知らないのだろうと克行は想像した。知っていればそうやって笑っていられるはずがないのだ。

「殺人罪」

 確か西崎の特命者になった理由にはそう書かれていた。

(いったいこいつが誰を殺したというんだろう?)

 無言でパソコンに向かう西崎を克行はぼんやりと見つめた。

 西崎とは入社した頃から同じ課でずっと働いてきた。仕事の能力はもとより、プライベートのこともかなり西崎については知っているつもりだった。だが、殺人を犯すような危険な一面だけはこれまで見たことがない。いつも温和でどちらかというとトラブルをまとめる部類の人間だと思っている。その西崎がこともあろうに殺人罪で特命者リストに名前を載せられている。

(これもミスだろうか?)

 克行は自分自身に問いかけていた。出来ることなら西崎のことも救ってやりたかった。だが……

「西崎」

 克行はふと西崎に声をかけた。

「なんだ?」

「おまえ、人を殺したことあるか?」

 馬鹿な質問だと思った。そんなことを聞いて何になるのかと自分で自分をあざ笑った。けれど、実際に聞いて見たかった。「殺してない」という答えを聞きたかった。

 西崎はそんな克行をあっけにとられたようにぽかんとして見つめていたが、やがて、にわかに笑い出した。しかし、その笑いが西崎の顔から遠ざかった時、西崎の顔からは笑いは消え去り変わりにこれまでに見たこともなかった悲しみに包まれたような顔が残った。

「何でそんなこと聞くんだ? おまえ、何か知ってたのか?」

「え?」

 その西崎の答えに克行はうろたえた。

「誰かに聞いたのか? 噂なんて変な風に飛び回るからな」

 西崎はそう言ってから回りを見渡した。幸い近くの席には誰もいない。時折離れたところにあるプリンターの音がフロアに響くのがやけに大きく聞こえる。社員の多くは客先に出払っているのだ。

「噂?」

 自然、克行の声も小さくなる。

「噂を聞いたんだろ。俺と彼女のこと」

「彼女って?」

「おまえも知ってたろう、笹野加代子と俺がつき合ってたってこと」

「笹野加代子? ああ、あの受付の子か」

 以前、克行と西崎が一緒にしていた仕事先の受付嬢を克行は思い出した。そういえばあの後、西崎と彼女がつき合っているというのを西崎本人から聞いたことを思い出した。

「そう、ちょうど去年の今頃かな? あの頃からつき合い始めたんだ」

「彼女がどうかしたのか?」

「死んだんだよ」

「死んだ? いつ?」

「今年の八月」

「八月? それじゃ――」

 今年の八月。その頃克行は自社に来ることは少なく、ずっと客先で仕事をしており、西崎ともほとんど会社の誰とも会ってはいなかった。ただ、西崎が車で事故を起こしたということだけは噂で聞いたことがあった。

「そうだ、あの時の事故でだ」

「けど、おまえはたいしてケガもしなかったって聞いたぞ」

「俺はな。だいたい事故の原因がスピードの出しすぎとか、酔っ払い運転とかそんなものじゃなかったんだ。信号待ちをしてるところに前に止まってたトラックの後ろに積んであった鉄材が転がり落ちてきたんだ。しかも、運悪く彼女の座っている助手席めがけ突っ込んできたんだ。俺はガラスの破片をあびただけ。ところが彼女は即死だった」

「そうだったのか……」

「ただ、彼女の親がうるさくてな。知らなかったか? 彼女、市会議員の娘だったんだ。しかも一人娘とくれば殺されたと思うのも無理はないけどな」

「議員の娘?」

「ああ、俺はあんまり政治家なんて知らないけど知ってるやつらに言わせりゃかなり有名らしいぜ。おそらくそのへんから俺が殺したって噂が出たんだろう」

 西崎は暗い視線をすっと落とした。

「悪かった……」

 克行もまた何と言っていいかわからずに言葉を切った。

 克行の心のなかに新たなる思いが広がりつつあった。


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