死のクリスマスイブ・1
一
十二月 十日(日)
クリスマスまであと二週間と迫っている。
今年は週末と重なることもあってか、例年以上に街は盛り上がりを見せていた。気象庁の予報によると、ちょうど日曜のクリスマス・イブには雪が降るらしい。
街は十一月も半ばになると早々とクリスマスソングを流し、店先にはサンタクロースやクリスマスツリーを形取った商品が並び年末の一大商戦を繰り広げる。いまやクリスマスは正月以上に国民あげての一大行事となっていた。
風間克行はベッドのなか休日の朝を、そして街の騒々しさを嫌気がさすほど十分に感じ取っていた。部屋は二時間も前から十分に暖まりベッドのなかは蒸し暑くさえ感じられるほどになっていた。そのベッドのなかで克行は毛布のなかに頭を突っ込み、光や音によって眠りを妨げられるのを避けようと試みていた。そうしておいて、しばらくの間暗闇のなかであくまでのんびりといろいろなことを考え巡らせた。
(今年の正月は田舎で過ごすことにしよう)
(ボーナスの残りで何を買おう)
(年賀状を早めに書いておかないと)
どうでもいいことを考えることで頭をゆっくりと目覚めさせるつもりだった。しかし、その暗闇のなかにまでジングルベルが侵入してきた。
克行の住むマンションは商店街に面しており、嫌でも街の様子は聞こえてくる。すでにジングルベルは克行が目覚めてから数えても二十回は鳴り響いている。目覚めの音楽としては少々賑やかすぎる。
克行にとってクリスマスなどはどうでもよかったし、マスコミやデパートに勝手に煽動されるのも嫌だった。子供の頃からサンタクロースが嫌いだった。おそらくそれは風邪をひいて病院に行った時、そこに置いてあった雑誌に載っていたマンガの影響だろう。そこには豊かな白い髭を生やし、真っ赤な服と帽子を被った体格の良いサンタクロースが左手にナイフを、右手にイバラの鞭を持ってニタニタを気味の悪い笑みを浮かべている姿が描かれていた。そして、別のページにはそのイバラの鞭でトナカイの背を血が出るまで打っている姿があった。その夜、熱にうなされている彼の夢のなかにその姿が現れたことは言うまでもない。
まったく、どうしてあんなものばかりが毎年騒々しく鳴り響くんだ?
克行はうんざりしながら毛布のなかから頭を出すとやっと目を開き時計を見つめた。
時計の針は十時を回っている。
約束は午後一時だ。十二時にここを出れば間に合うだろう。
五十嵐麻美から電話があったのは昨夜の三時過ぎで、克行はその時ちょうど眠りにつきそうになった時だった。彼女は相変わらず夜に強いところをしっかりと教えてくれた。
――ごめんね、私ったらいつもこの時間に目が覚めちゃって……明日休めるんでしょ。午後からでいいからいっしょに映画でも観に行こう。
(ひょっとするとあれは夢だったかな?)
もしそうだとしたらそれほど楽なことはない。しかも、ここ一週間の間、風邪で微熱が続いていて、やっと昨日になって熱がさがったばかりだ。麻美に会うのも三週間ぶりで克行も会いたい気持ちはあったが、今は少しでもゆっくりと休んでいたかった。
今年も終わりに近づき完全週休二日制も有名無実になっている。克行の務める会社は決して大きな会社ではない。どこにでもあるような中小企業で大きなメーカーなどからの依頼によって、システムの設計や開発を行うことを主としている。それでも年末になると決算を睨んだ会社の上司や、正月明けを見越した顧客の注文によりこの時期が一番忙しくなる。
克行は手を延ばすとテレビのリモコンのスイッチを押した。買ったばかりの大型のステレオテレビは部屋の狭さなど気にならないようにまだ半分眠っている克行に対し情報の提示を行い始めた。どことなく会社の上司に似ている年配のアナウンサーがニュースをぶっきらぼうに読んでいる。
朝から会社を思い出すようなそのアナウンサーの顔に克行はほんの少し嫌悪感を持った。特にその上司とは常に気が合わずに何度言い合いをしたことだろう。そのたびに『いまにその頭を叩き割ってやるからな』と心のなかで密かに毒づくのだった。
それでも克行はチャンネルを変えようとはせずに、ぼんやりと目覚し替わりにそのつくったような声を聞いていた。
――次のニュースです。
突然、アナウンサーの声が重みを帯びたような気がして、克行はまだ少し眠い目を開けるとテレビに耳を傾けた。
――今年もまた「特権者優遇計画」が実施されることになり、先日、特権者が決定されました。特権者に関しては内密に特権者に内示される予定になっています。
では次のニュースです。
アナウンサーは早々にそのニュースを打ち切ると次のニュースへと話題を移した。
そうか……今年もやってくるのか。
克行は憂鬱な思いにかられた。
「特権者優遇計画」
それは五年前政府が発表した究極といえる人口制御政策であった。
今や人工増加は深刻な問題となり、十年前に世界各首脳による「世界統一宣言」によって一切の戦争放棄が誓われるに至って、人口の増加は誰の目にも人類最大の問題になっていった。各国はその問題に頭を悩まし、それぞれ独特の解決手段を取っていった。ロシアのコロニー計画、アメリカの海上人工大陸計画などが次々に発表されていった。日本も一時期は小子化によって人工が激減した時期があったが、養育費保護などの政策も影響し、今では再び人工は増加しつつあった。そんななか日本政府は一つの人口削減計画を打ち出した。それは毎年ある特定の一週間の間、国や県、市などが一定の特権者を指定し、指定された特権者は市が選び出したリストを中心に自由に六名を削除――つまりは殺害することを許可するというものだった。そのリストに載る人々は俗に「特命者」と呼ばれていた。その多くは百歳を越える老人や犯罪を犯した者で構成されていた。ただ、それはあくまで市が選定した候補リストであり、特命者リストに含まれない一般市民が、時折は特権者までが殺害されることもまれにあった。
全国で何名の特権者が選ばれるのか、また、何名の特命者、一般市民が殺害されるのか、それは一切伏せられていたがそれでもかなりの人口削減につながっていることから見て、その一週間の間、相当の数の殺人が行われていると見て相違なかった。
マスコミは政府の弾圧によりほとんどそのことに関し触れることは出来ず、国民のほとんどはその悪魔のような政策を身近に感じることはなかった。だが、克行のように偶然その殺人行為の現場に居合わせたことのある人も決して少なくはなかった。
(くそ、つまらないことを思い出してしまった)
克行は一瞬感じた不快の思いをすぐ断ち切るように、ベッドから抜け出ると窓辺に近づき、外の様子を見下ろした。
厚手のコートを着こんだ主婦や男たちが忙しげに行き交っているのが見える。ここ二、三年は暖冬が続き、地球の温暖化が例年以上に騒がれていたが今年の冬はオゾンホールも例年より狭く、珍しく寒さが厳しいらしい。環境対策がうまくいっているということだろうか。
克行はそっと窓を少しだけ開けた。天気は良く、暖かそうな日ざしが街を覆っているが、それでも肌を刺すような冷えた外の空気が暖まっている部屋の空気を犯すかのように飛びこんでくる。克行はその冷たさにすぐに窓を閉めた。
ピンポーン!
突然、玄関の呼び鈴の音が部屋のなかに響き渡った。
「はい!」
克行はパジャマ姿のままで玄関まで行くと、レンズから外をそっと覗いた。若い郵便屋が寒そうに足踏みしながら立っている。その帽子の下からはアルバイトであることを証明するように黄色に染めた髪がのぞいている。
克行はチェーンを外すとドアを開けた。
「書留です、印鑑お願いします」
郵便屋は無愛想なまま趣味の悪いうすい紫色の封筒を差し出した。
克行が急いで印鑑を取ってくて差し出し出された書類に印鑑を押すと、郵便屋は何も言わないまま黙って次の配達へと早足に進んで行った。
克行はドアを閉めると鍵とチェーンをしっかりとかけてから部屋へ戻った。「世界統一宣言」以来、外国人が増えこの日本も欧米なみに治安が乱れてきている。特に麻薬が昼間でもあちこちで取り引きされるようになり、警察の手にもあまるようになってしまっているということがよくテレビでも取り沙汰されるようになっている。そして、それが一つの原因ともなり、強盗、空き巣などが多発しており、克行でなくてもこのくらいの用心は今では当然となっている。
克行は部屋に戻ると改めてうすい紫色の封筒を眺めた。克行の想像どおりその封筒は市役所からのものだった。
(なんだろう……)
市役所など選挙の時以外はまるで関係のないと思っていた克行は不思議な面持ちで開封した。なかにはたった一枚の白い通知だけが入っていた。
だが、その通知を読んでいくうち克行は自分の顔からすっと血の気がひいていくのを感じていた。
『風間克行様
このたびは誠におめでとうございます。
今年も再び「特権者優遇計画」が実施されることにあいなりました。今年はみごとあなたが特権者として市の指定を受けることと決定し、取り急ぎ連絡させていただきます。
なお、詳しいことにつきましては十二月十一日(月曜)、市役所内にてご説明させていただきますのでお忙しいなか申し訳ありませんが、午前十時までに身分証明書、印鑑をお持ちのうえお越しくださいますようお願いいたします。
市長』
克行には一瞬それが、自分自身の死亡通知書のように思えた。
なぜ自分が特権者なんかに選ばれたのかがわからなかった。
克行はしばらく通知を手にしたままぼんやりと考え続けていた。治ったはずの風邪が振り返したように体がかっかと熱く、そして全身がだるく感じていた。今眠れば間違いなくイバラの鞭を持ったサンタクロースに出会うことが出来るだろう。
これはあくまで噂だが「特権者」というのはかなり市や国にとって模範的な市民、国民と認められた人物でそのほとんどは公務員が多いとのことだった。
都内の小さなコンピュータ会社に務める若干二十六歳の克行が特権者に選ばれるなどこれまで夢にも思わなかった。
(それなのに、今年は俺が特権者として人を殺すことになる……)
もちろん、特権者というからにはあくまでも権利であって放棄することが出来ることになっているということは聞いていた。だが、その反面権利を放棄した者が、翌年は逆に特命者として選考されるという噂もまた克行は聞いたことがある。いずれにしてもそんな権利を望んでいる者は少ないはずだ。
テレビでは昨年からのアメリカの冷害によって米の供給量が需要を遥かに下回り、米価が以前国内だけでまかなっていた頃の3倍にも跳ね上がるだろうというニュースをアナウンサーが深刻な顔で伝えていたが、今の克行にはそれはあまり重要なものには聞こえなかった。
(どうしたら……)
克行は麻美との約束の時間に遅れることにも気づかず、ただ呆然と立ちつくしていた。