第4章 救国の絆 (究極の再生と十人委員会)
宴が最高潮に達し、人々の笑顔が広場に溢れる中、アリシアは広場の中心で静かに目を閉じた。先ほどまでの「掌握」の修行によって、彼女の脳裏には砦にいる全人員900余名の命の鼓動が、網の目のように鮮明に描き出されている。
「ウォルゼイン、私、この人たち全員を今ここで救いたい。痛みを抱えたまま明日を迎えてほしくないの」
彼女の決意に満ちた言葉に、ウォルゼインは優しく頷き、彼女の肩にそっと手を置いた。
「今の君ならできるよ、アリシア。一対一の癒やしではなく、砦全体を包み込む慈愛のイメージを持って。君の魔力を空へ打ち上げ、恵みの雨のように一人ひとりの欠落へと導くんだ。細胞の記憶を呼び覚まし、失われた四肢さえも光で再構築する……究極の『再生』を」
アリシアは深く息を吸い込み、掌にこれまでにない濃密な光の魔力を収束させた。それは黄金の輝きを放つ太陽の欠片のようでありながら、春の陽光のような柔らかさを湛えている。
「ルミナス、私に力を貸して。みんなを、元の姿へ……! 『広域高位治癒』ヒールバレット、拡散!」
彼女が空に向けて掌を突き出した瞬間、まばゆい純白の閃光が夜空を貫いた。放たれた巨大な光の弾丸は、砦の真上で無数の光の粒へと弾け、雪のように、あるいは光の雨のように、砦全体へと降り注いだ。
光の粒は壁を透過し、天井を抜け、負傷兵や病人のもとへと正確に吸い込まれていく。
東の塔では、病に伏せっていた子供たちの熱が瞬時に引き、頬に赤みが差した。そして、左翼の居住区では信じられない光景が広がっていた。
「な……なんだ、この光は!? 腕が……俺の失った腕が生えてくる……!」
数年前の戦いで腕を失い、戦う術を失っていた老兵の肩から、黄金の光が肉と骨を編み上げ、瞬く間に新たな四肢を形作っていく。足の指を欠損した少年、深い傷跡が顔に残っていた女性……砦にいたすべての「欠落」が、アリシアの魔力によって完全な形へと修復されていった。
『スキル「神聖魔法:神の息吹」を取得しました』
『砦内全人員の完全治癒、および欠損部位の再生を完了しました』
脳内の声が響く中、砦内は驚愕と、それに続く割れんばかりの歓声に包まれた。
「アリシア様! 万歳! アリシア様万歳!」
人々の地鳴りのような咆哮が、夜の帳を揺らす。アリシアは膝をつき、肩で息をしながらも、その表情には晴れやかな達成感が満ちていた。
「すごいわ、ウォルゼイン……。みんなの『痛み』の反応が、すべて消えた……」
「素晴らしいよ、アリシア。君はもう、ただの術師じゃない。絶望を奇跡に変える、本物の守護者だ」
ウォルゼインは彼女の手を取り、力強く立たせた。
奇跡を目の当たりにした民たちの忠誠心は、今や鋼鉄よりも強固なものとなっている。
「みんな、今日からはもう冷たい床で眠る必要はないわ。温かい家と、汚れを落とすお湯を用意したから」
アリシアは広場の中心に立ち、大地へと深く意識を沈めた。ウォルゼインの「概念伝達」によって、彼女の脳裏には「機能的な集合住宅」と、水の循環を制御する「大規模公衆浴場」の設計図が鮮明に浮かび上がっている。
「ウォルゼイン、教えてくれた通りに……『土』の精霊と『錬金』の理を繋げるわ」
「いいよ、アリシア。君の魔力で、この砦を人々の『安息の地』へと変えるんだ。ただの石の壁じゃない、温もりのある住まいをイメージして」
ウォルゼインの穏やかな励ましに応え、アリシアが地面に掌を当てた。
「構成、分解、そして 大建築!」
地響きと共に、砦の空き地から巨大な石柱が次々と隆起した。アリシアの精密な魔力操作により、土と石は瞬時に硬質な建材へと変質し、窓やドア、断熱構造を備えた三階建ての集合住宅が四棟、見事な規則性を持って組み上がっていく。
続いて、その隣に巨大な蒸気と水の精霊の気配が渦巻いた。
「公衆浴場!」
地下から引き上げた水に「ボイル」の熱を加え、常に適温で循環する魔導回路を組み込んだ大浴場が完成した。壁面にはアリシアの美意識を反映した青いタイルの装飾が施され、清潔感溢れる湯気が夜空へと立ち昇る。
さらにアリシアは、アイテムボックスから取り出した魔物の繊維と、精錬済みのインゴットの一部を空中へ展開した。
「次は、みんなが使う道具ね」
魔力によって細かく分解された繊維が、精霊の導きで編み上げられていく。
シュンッ、という小気味良い音と共に、空中に整然と並んだのは、千枚の「清潔なタオル」と、さらに千枚の「体を洗うための先体タオル」だ。
「普通のタオルは肌に優しく、先体タオルは汚れをしっかり落とせるように質感を分けたわ。石鹸も、ハーブの香りを練り込んで……」
『スキル「広域建築」「精密錬金」の習得を確認』
『集合住宅:四棟、公衆浴場:一基、タオル計二千枚の創造を完了しました』
脳内の声が報告を終えると同時に、広場には歓喜の叫びが沸き起こった。
「家だ……! 本物の家が、一瞬で……!」
「なんて綺麗な風呂なんだ。アリシア様、本当にありがとうございます!」
人々は、先ほど再生したばかりの足で、新しい住まいへと駆け寄っていく。アリシアは汗を拭い、ウォルゼインの隣でその光景を見つめていた。
「ウォルゼイン、みんなの笑顔が眩しいわ。家もお風呂も、ただの物じゃない。明日を生きるための『誇り』になるのね」
「その通りだね、アリシア。君が与えたのは、ただの箱じゃない。人間としての尊厳なんだ。君の優しさが、この砦の本当の心臓になったんだよ」
月光の下、公衆浴場から立ち昇る白い湯気が、砦を優しく包み込んでいた。
静寂が包み込む深夜の砦。建築と治癒の奇跡を成し遂げ、民を安眠へと導いたアリシアは、独りウォルゼインの控室を訪れた。
扉を閉めた彼女の肩は微かに震えていた。ウォルゼインが振り返るよりも早く、彼女は身に纏っていた薄いガウンを床に落とした。月光に照らされたその肢体は、先ほど自ら再生させた民たちの肌よりも白く、精霊の加護を受けた神秘的な輝きを放っている。
「……アリシア? どうしたんだ、そんな格好で」
ウォルゼインは驚きに目を見開くが、即座に視線を逸らした。しかし、アリシアは震える足取りで彼に歩み寄り、その背中に細い腕を回した。
「抱いて……ウォルゼイン。私には、もうこれしかないの」
悲痛なまでの声。アリシアは彼の背に顔を埋め、堰を切ったように言葉を溢れさせた。
「あなたは私にすべてをくれた。魔力も、知識も、仲間を救う力も、明日を生きる希望も……。でも、私はあなたに何も返せない。金も、素材も、すべてあなたが導いてくれたもの。今の私自身の持ち物なんて、この体以外に何もないの。だから、せめて……」
感謝と、己の無力さゆえの焦燥。彼女にとって、それは精一杯の報恩のつもりだった。しかし、ウォルゼインはゆっくりとその手を解き、落ちていたガウンを拾い上げると、彼女の震える肩を優しく、だが断固として包み込んだ。
「自分を大事にするんだ、アリシア。君はもう、何もない無力な王女じゃない」
ウォルゼインは彼女の正面に立ち、その琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめた。そこには欲望ではなく、深い慈しみと敬意があった。
「君が今日救った九百人の命、彼らが流した喜びの涙。それを生み出したのは、僕の知識じゃない。君の心と、君の努力だ。君の価値は、そんな風に差し出さなきゃいけないほど安くはないんだよ」
「でも、私は……」
「気持ちは、痛いほど受け取った。君が僕を信頼してくれていることもね。でも、これは固辞させてもらうよ。僕は君が、一人の女性として、そして一人の女王として、自分自身を誇れるようになってほしいんだ」
ウォルゼインの言葉は、熱を帯びたアリシアの心を穏やかに冷やし、同時に言いようのない温かさで満たしていった。
自分を安売りしてはいけない。一人の人間として尊重されている。
その事実に気づいた瞬間、アリシアの胸に走ったのは、恩義とは全く別の衝撃だった。自分を欲情の対象としてではなく、高貴な魂を持つ存在として見守ってくれるこの男に、彼女は本当の意味で「落ちた」のだ。
「……ごめんなさい。私、恥ずかしいことを……」
顔を真っ赤に染め、ガウンの襟を強く握りしめるアリシア。その瞳は、先ほどまでの悲壮感は消え失せ、潤んだ色彩の中に初々しい熱が灯っていた。
「いいんだ。さあ、今日はもう休みなさい。明日は、新しい装備を作る約束だろう?」
「……はい。おやすみなさい、ウォルゼイン」
部屋を飛び出したアリシアは、廊下の壁に背中を預け、激しく脈打つ鼓動を抑えようとした。鏡を見るまでもなくわかる。今の自分は、国を追われた王女でも、冷徹な精霊術師でもない。ただ一人の男に恋をした、ただの乙女の顔をしているのだと。
「……ずるいわ、あんな言い方。ますます、離れられなくなるじゃない」
月明かりの下、彼女は小さく、けれど幸せそうに独りごちた。
昨夜の奇跡的な治癒と宴から一夜明け、砦の空気は劇的に変わっていた。朝日が差し込む中、アリシアはウォルゼインが錬金術で設えた重厚な円卓のある会議室に、生き残った主要な者たちを招集した。
「皆、集まってくれてありがとう。これからの砦の運営と、帝都への反攻に向けた体制を整えるために、まずは互いを知る場を持ちたいの」
円卓の傍らには、助言者としてウォルゼインが静かに控えている。アリシアはまず自ら口を開いた。昨夜の個人的な感情を胸の奥に秘め、凜とした女王の響きで。
「私はアリシア・ド・ヴァルキリア。年齢は二十四歳。若輩ではありますが、失意の底から立ち上がり、ウォルゼインの導きによって新たな力を得ました。これからは皆の女王として、自ら剣を取り、魔法を振るい、この国の再興を成し遂げます」
二十四歳という、知性と決断力が備わった適齢の女王の宣言に、幹部たちは深く感じ入り、その瞳に強い信頼を宿した。続いて、選ばれた十名の幹部が順に立ち上がり、自己紹介を始めた。
【灰色の砦・十人委員会】
騎士団長:ベネディクト(45歳)
「王都騎士団の生き残りです。失った右腕を再生していただいた恩、この命を盾としてアリシア様に捧げます」
副長:カイル(28歳)
「騎士団の次席を務めます。偵察と機動戦が専門です。アリシア様の目となり耳となり、戦場を駆けましょう」
内務官:エルザ(38歳)
「避難民の管理と物資配分を担当します。昨日いただいた集合住宅の運営は、責任を持って私が行います」
老魔導士:グスタフ(62歳)
「旧宮廷魔導士団の末席におりました。アリシア様の全属性魔法の深淵に触れ、理論の面で全力で支える所存です」
補給長:マルク(35歳)
「元大商会の番頭です。アイテムボックスへの物資管理や、ギルドとの複雑な交渉、帳簿の管理はお任せください」
医療班長:セーラ(29歳)
「再生魔法の奇跡を医学的に補佐します。砦内の衛生環境と、兵士たちのコンディション管理を徹底します」
工兵隊長:バルガス(40歳)
「建築と土木を担当します。アリシア様の建築魔法を物理的な補強で支え、不落の要塞を築き上げます」
情報工作員:ミラ(25歳)
「帝国の内情に精通しています。潜入、暗殺、そして情報の撹乱……影からアリシア様の覇道を支えます」
民衆代表:トマス(50歳)
「避難してきた領民たちのまとめ役です。皆、アリシア様への忠誠を胸に、明日からでも働く準備はできています」
遊撃隊長:リュカ(22歳)
「若手兵士の先頭に立ちます。機動力と突撃力なら誰にも負けません。アリシア様の切っ先となります!」
十人の自己紹介が終わると、室内には確固たる団結力が満ちていた。ウォルゼインはアリシアの隣で、満足げに頷く。
「素晴らしい陣容だね、アリシア。これだけの意志が揃えば、もうここはただの砦じゃない。一つの『国』の芽生えだ」
アリシアは隣のウォルゼインを視界の端に捉え、昨夜の「抱いて」という言葉を思い出し、一瞬だけ頬に熱が昇ったが、すぐに強靭な精神力で女王の顔に戻った。
「ベネディクト、カイル、そして皆。私たちはもう逃げない。この『灰色の砦』を拠点に、奪われたすべてを、そして民の誇りを取り戻すわ」
幹部たちは一斉に立ち上がり、拳を胸に当てて最敬礼を送った。それは、恋する乙女の顔を隠し、真の君主として立った二十四歳の女王への、心からの忠誠であった。
幹部会議の円卓を囲む空気は、これまでにない熱を帯びていた。アリシアは女王としての眼差しをさらに鋭くし、民衆代表のトマスと情報員のミラへ問いかけた。
「まずは、この砦にたどり着けなかった民たちの行方を教えて。帝国に捕らえられた者、まだ荒野を彷徨っている者はどれほどいるの?」
トマスが苦渋に満ちた表情で報告する。
「北の領地では、約三千の民が帝国の魔導鉱山へ連行されたとの情報があります。また、近隣の森には数百名が潜伏していますが、食料も尽き、帝国の斥候に怯える日々です……」
「……分かったわ。すぐに救出に向かう準備をしましょう」
アリシアは静かに立ち上がり、円卓に座る十人の幹部たちを見渡した。隣に立つウォルゼインが、穏やかに彼女の意図を汲み取る。
「アリシア、君一人で全てを背負う必要はないんだ。彼らに君の力を分け与え、君の『手足』になってもらおう」
アリシアは頷き、かつてウォルゼインが自分にしてくれたように、十人の幹部たちに向けて両手を広げた。
「皆、これまでよく耐えてくれたわ。でも、これからは守られるだけではない。私の魔法??『理』のすべてを皆に授けます。これを受け取り、私の代わりに民を救い、敵を討ちなさい」
アリシアは**「概念伝達」**を全開で起動した。彼女の精霊眼を通じて得た六属性魔法(火・水・風・土・光・闇)の真理、さらに氷・熱湯・蒸気の応用、身体強化「アクセル」と「マッスル」、そして「アイテムボックス」「解体」「錬金」に至るまで。ウォルゼインから授かった現代的かつ合理的な魔術大系のすべてを、選別することなく十人全員の脳内へダイレクトに流し込んでいく。
「火も、水も、風も、土も、光も闇も……。身体の加速も、物質の分解も、すべてを等しく共有しなさい。一人ひとりが軍隊に匹敵する力を持ち、互いを補い合うのよ!」
まばゆい純白の光が会議室を満たし、幹部たちの身体が宙に浮く。膨大な知識の奔流に彼らの魔力が共鳴し、爆発的に進化していく。
『スキル「知識の共有」を発動。十人委員会のメンバーへ、アリシアの全習得スキルの譲渡を完了しました』
光が収まったとき、そこにいたのはもはや「ただの人間」ではなかった。
内務官のエルザが驚愕に目を見開き、自身の掌で火を灯しながら同時に「アイテムボックス」を展開する。騎士団長ベネディクトは「アクセル」の加速に脳を震わせながら、同時に「解体」の術式を理解し、その万能性に言葉を失っていた。
「な……なんだ、この力は! 世界のすべてを支配できるかのような感覚だ……!」
「アリシア様……これほどの神業を、惜しげもなく私たち全員に……!」
幹部たちは自らの身に宿った「万能の力」に震え、一斉に膝をついた。それは心からの畏怖と、一生をかけても返しきれない恩義、そして揺るぎない忠誠の証だった。
「さあ、立ち上がって。今日からあなたたちは、私と共に奇跡を起こす『十人の精霊使徒』よ。その力で、囚われた三千人の民を救い出すわ」
アリシアはそう告げながら、隣で自分を見守るウォルゼインと視線を合わせた。昨夜の甘い熱を胸の奥に閉じ込め、彼女の瞳には世界を再編する女王の覇気が宿っていた。
「灰色の砦」の城門が静かに開く。そこから歩み出たのは、女王アリシアと助言者ウォルゼイン、そして彼女から「理」のすべてを継承した十人の精霊使徒たちだ。
「三千の民を救い、帝国をこの地から一掃する。一人も残さず、その罪を贖わせなさい」
アリシアの静かな宣戦布告と共に、十人の使徒たちが動いた。彼らはもはや重い鎧に頼る兵士ではない。「アクセル」によって音速の壁を突破し、十条の光の矢となって魔導鉱山を包囲する帝国軍の陣地へと突入した。
帝国の歩兵連隊が迎撃の姿勢をとる間もなかった。
騎士団長ベネディクトが地面を叩けば、土精霊の咆哮と共に大地が割れ、魔導戦車の列を飲み込んでいく。副長カイルは風の刃を纏い、一閃で敵の魔導障壁を紙切れのように切り裂いた。
「これだ……。これがアリシア様が見ている世界か!」
魔導士グスタフは空中に火と氷の魔法陣を多重展開し、空を埋め尽くすほどの魔法弾を降らせる。かつては数人がかりで数分を要した大魔法が、今は指先一つで、それも無詠唱で発動する。
さらに凄惨だったのは、内務官エルザや補給長マルクといった非戦闘員だった者たちの戦いだ。彼らは「解体魔法」を対人用に転用し、迫り来る魔導鎧を構成するボルト一本、魔力回路の一筋に至るまでを、瞬時に「分解」していく。敵は戦うことすら許されず、ただの鉄屑へと還り、その命は闇の精霊に吸い込まれて消えていった。
「アリシア、見て。君が力を分けたことで、彼らは一つの意志で動く巨大な生命体になった」
ウォルゼインの言葉通り、十人は互いの魔力を「コネクト」で繋ぎ、死角のない連携を見せていた。一人が光を放ち敵の目を潰せば、影に潜んだミラがその首を狩る。負傷者がいればセーラが瞬時に再生させ、戦場には絶望の欠片さえ残らない。
わずか一刻足らずで、三千の民を監禁していた鉱山の守備隊――五千の兵力は「殲滅」された。生存者はゼロ。死体さえもアリシアの「一括分解」によって大気へと還り、そこにはただ、主を失った大量の魔導兵器の残骸だけが転がっていた。
「……終わったわ。みんな、怪我はない?」
アリシアが舞い降りると、三千人の民たちが信じられないものを見る目で、鎖を解かれた自分たちの手を見つめていた。十人の使徒たちは、返り血一つ浴びていない清潔な姿で、女王の前に膝をつく。
「アリシア様、周辺の敵勢力は完全に排除しました。魔導鉱山は今、我々の手にあります」
ベネディクトの報告に、アリシアは力強く頷いた。
「素晴らしいわ。次は、この三千人を守り抜き、帝都までの道を切り拓く。……行きましょう、私たちの国へ」
十人の使徒、一人の相棒、そして三千の民。アリシアの背後には、もはや揺るぎない「王国」の萌芽が芽生えていた。
奪還された魔導鉱山には、解放された三千人の民たちのどよめきと、それ以上に深い静寂が広がっていた。過酷な労働と飢え、そして帝国の暴力に晒され続けた彼らの瞳には、まだ自由を信じきれない怯えの色が濃く残っている。
アリシアは、その光景を悲痛な思いで見つめていた。
「ウォルゼイン、見て……。みんな、ボロボロだわ。力は取り戻したけれど、心が追いついていない。まずは温もりのある食事と、癒やしを」
「そうだね、アリシア。君と十人の使徒たちなら、一瞬で解決できるはずだ。今こそ『共有した力』を、破壊ではなく慈愛のために使いなさい」
アリシアの号令と共に、十人の使徒たちが即座に動いた。彼らの中に、もはや迷いはない。
「医療班長セーラを中心に、広域治癒陣を展開! 騎士団長ベネディクト、工兵隊長バルガス、地面を平らにし、急ぎの大食堂を練成しろ!」
アリシアの声に応じ、十人が一斉に魔力を解放した。
セーラを筆頭としたメンバーが空へ手をかざすと、かつての砦で見せた「広域高位治癒」の光の雨が、鉱山全体を優しく包み込んだ。鞭打たれた背中の傷が塞がり、重労働で変形していた指先が光と共に再生し、栄養失調で濁っていた子供たちの瞳に輝きが戻っていく。
同時に、大地から土の精霊が呼び起こされ、荒れ果てた鉱山広場に、磨き上げられた石造りの長机と椅子が次々と隆起した。
「内務官エルザ、補給長マルク、食事の用意を!」
彼らは自らの「アイテムボックス」から、この日のために用意していた新鮮な魔物肉と、街で買い占めたパン、そして清潔な水を一気に取り出した。十人の使徒全員が「錬金」と「火魔法」を併用し、瞬く間に数千人分の熱々のスープと香ばしい肉料理を仕上げていく。
「さあ、みんな、もう怖くないわ。食べて。お腹いっぱい食べて、身体を清めて、ゆっくり休みなさい」
アリシアは自らスープの注がれた器を持ち、震える手でそれを受け取る老婆の隣に座った。
三千人の民に配られたのは、温かい食事だけではない。アリシアが錬金術で一括創造した、清潔な「タオル」と、汚れを優しく落とすための**「洗体タオル」**だ。
「……ああ、温かい。本当に、アリシア様だ……。私たちの王女様が、助けに来てくださったんだ……!」
一人が涙を流しながら肉を頬張ると、それは瞬く間に伝播し、鉱山は慟哭と歓喜、そして再会の抱擁で満たされた。
アリシアは彼らの背中をさすり、一人ひとりの名前を聞き、昨夜ウォルゼインに諭された通り「あなたは忘れられていない」という想いを魔力と共に伝えていった。
『三千名の完全治癒、および食料配布を完了。民の士気が限界突破を記録しました』
脳内の声が響く中、アリシアはウォルゼインの隣に戻り、安堵の息をついた。
「ウォルゼイン。三千人の命が、今、ようやく吹き返したわ。……温かい食事と、清潔な肌。これが人間としての誇りを取り戻す第一歩なのね」
「その実感が、君をより高貴な女王にするんだよ、アリシア」
夕刻。魔導鉱山には、帝国が押し付けた死の沈黙ではなく、明日を語り合う三千人の生命の灯火が力強く輝いていた。
魔導鉱山の広場に集まった三千人の民を見渡し、アリシアは決然と告げた。
「皆、ここから先は戦場になる。あなたたちを安全な『灰色の砦』へ送り届けるわ。……エルザ、案内を頼めるかしら?」
「仰せのままに、アリシア様。我が『理』のすべてを懸けて、彼らを安住の地へ導きましょう」
内務官エルザが前に出ると、アリシアは大きく両手を広げた。全魔力を解放し、三千人の身体を等しく包み込む。
「『レビテーション』、起動。そして――『ウィンド・フライ』!」
黄金の魔力が霧のように広がり、三千人の民の身体がふわりと宙に浮いた。驚きに目を見開く民たちの周囲に、エルザの制御する風の精霊が寄り添い、安定した浮遊環境を構築する。
「私に続いてください! 空の道は、私が切り拓きます!」
エルザを先頭に、三千人の民が巨大な渡り鳥の群れのように、南の砦へと一気に飛び去っていった。その背中を見送り、アリシアは残った九人の使徒、そしてウォルゼインへと視線を向けた。
「……さあ、掃除の時間よ。帝都ギルバニアを、この世界から解体しましょう」
九人の使徒たちは不敵な笑みを浮かべ、音速を超える「アクセル」を起動。十条の光となって帝都の城壁を一瞬で突破した。
帝都を包囲する幾重もの魔導障壁も、騎士団長ベネディクトの「一括分解」の前には無力だった。鋼鉄の門が塵へと還り、魔導士グスタフの放つ「全属性崩壊魔法」が、帝都を支える魔力供給源を瞬時に凍結、破壊していく。
「皇帝はどこだ? 逃げ道はすべて、我々が塞いだぞ」
副長カイルと工作員ミラが、影を渡る速度で皇宮へと突入する。逃げ惑う近衛兵たちは、遊撃隊長リュカの風の刃に触れることすらできず、次々と武装を解体されて無力化されていった。
アリシアは、ウォルゼインを伴い、中央広場を堂々と歩む。彼女の歩みとともに、帝都を象徴する高慢な石造りの建物が「錬金分解」によって次々と砂へと還り、戦車や大砲は鈍い光を放つインゴットへと姿を変えていく。
そして、皇宮の最奥、玉座の間。
震えながら剣を構える皇帝ギルバニア一世を、九人の使徒たちが包囲した。
「……アリシア、貴様……っ!」
「黙りなさい。あなたの声は、もう誰にも届かないわ」
アリシアが指を弾くと、空間そのものが収縮した。皇帝の四肢は光の魔力によって「拘束」され、同時にその魔力回路はウォルゼイン直伝の「魔力遮断」によって完全に封鎖された。
「皇帝捕縛。これより、帝都の全資産および領土の『ピュリフィケーション(浄化)』を開始するわ」
帝都を埋め尽くしていた漆黒の野望は、アリシアの放つ純白の光の中に溶けて消えた。三千人の民が砦で温もりに包まれる頃、かつての巨大帝国は、一人の女王と九人の使徒によって完全に「解体」され、再編の時を待つ平原へと還っていた。
「……完璧だわ、ウォルゼイン。これで、新しい国が始められる」
アリシアは傍らのウォルゼインに、恋する乙女の熱を秘めた瞳で微笑みかけた。
玉座の間は、もはや静寂という名の墓場と化していた。拘束された皇帝ギルバニア一世の前に、アリシアは氷のように冷徹な瞳で立ち塞がる。その背後には、九人の精霊使徒たちが鉄壁の威圧感をもって控えていた。
「あなたが奪ってきた命、踏みにじってきた尊厳。それをたった一度の死で贖えると思わないことね」
アリシアの指先から、闇の精霊による「浸食魔法」が放たれた。それは神経を直接、逆撫でするような絶望的な苦痛。絶叫が上がる間もなく、彼女は同時に「ハイヒール」を発動させる。
「……一回。まだ九十九回残っているわ」
肉体が再生し、意識が鮮明に引き戻されるたび、皇帝の瞳には死以上の恐怖が刻まれていく。苦痛による精神の崩壊と、魔法による強引な肉体の修復。その残酷なまでの「ループ」が繰り返されるたび、かつての覇王はただの震える肉塊へと成り果てた。
その傍らには、ミラとカイルによって引き立てられた皇帝の家族たちが並べられていた。アリシアは彼ら一人ひとりに、ウォルゼイン直伝の「深層鑑定」を仕掛ける。
「……鑑定開始。罪の深さを、その魂に問いなさい」
精霊眼が捉えるのは、虚飾を剥ぎ取った魂の色だ。
贅を尽くした暮らしの裏で、民の苦しみを知りながら嘲笑っていた第一皇子。私腹を肥やすために略奪を教唆した皇妃。鑑定結果が「邪悪」の色に染まった瞬間、彼らにも皇帝と同様の罰が下された。
「あなたたちには、十回のループを授けるわ。自分が飲み干した蜜が、どれほどの血で出来ていたか、その身で味わいなさい」
阿鼻叫喚の図が広がる中、アリシアの表情には一片の揺らぎもなかった。彼女の横で、ウォルゼインはその様子を静かに見守っている。
「情けは無用だ、アリシア。ここで悪の根を完全に絶つことが、これから始まる新しい国への唯一の供養になる」
「わかっているわ、ウォルゼイン。私はもう、甘い王女じゃない」
百回、十回のループが終わりを告げたとき、玉座の間に残っていたのは、完全に精神を砕かれ、もはや自力で呼吸することさえ忘れた哀れな罪人たちの群れだった。
アリシアは彼らを「アイテムボックス」の特殊拘束空間へと放り込み、一気に浄化の光を帝都全土へ放射した。
「すべての汚れは消えた。……行きましょう、私たちの砦へ。新しい夜明けが待っているわ」
アリシアはウォルゼインの手を取り、瓦礫の山と化した帝都の跡地を後にした。彼女の足取りは、愛する男への恋心と、女王としての苛烈な決意を、その背中に強く刻んでいた。




