シーン9:章の締め ― 知識として残る
本は、棚に戻された。
特別な位置ではない。
目立つ場所でも、隠すような場所でもない。
港町の宿屋にある、雑多な書棚の一角――
売られるか、貸されるか、忘れられるか、そのどれでもあり得る場所だ。
物語は、始まらなかった。
誰もそれを読んで運命を変えない。
誰かが涙を流すこともない。
世界が因果を動かす理由にもならない。
世界は、介入しなかった。
剣は抜かれない。
結界は揺れない。
修正核は、沈黙を続ける。
だが、本は――更新された。
ほんの一行。
断定を避け、結論を拒み、
それでも責任だけを残す言葉。
それは続編ではない。
補完でもない。
誰かを導く注釈でもない。
ただ、知識だ。
正解を与えない知識。
理解を強制しない知識。
説明しきらないことを、あらかじめ許容した知識。
書くという行為は、
必ずしも世界を動かすものではない。
物語を始めるための引き金でも、
因果を集中させるための装置でもない。
それは時に、
世界を説明しない余地を残すための行為になる。
理解されなくてもいい。
使われなくてもいい。
誤解される可能性すら含んだまま、
それでも、書いたという事実だけが残る。
港町の宿屋では、
今日も本が行き交う。
誰かが読み、
誰かが読まず、
誰も気づかないまま、棚が入れ替わる。
その中に、
ひとつだけ増えた余白がある。
物語ではない。
正解でもない。
ただ、
「理解しなくてもよい」という選択肢を含んだまま、
静かに存在し続ける――
知識として。




