シーン5:世界が介入しないことの確認
レイスは、しばらくのあいだ、本を膝に置いたまま動かなかった。
確認は、魔法的なものではない。
意識を張り巡らせることもしない。
ただ、世界がいつも通りであるかどうかを、淡々と受け取る。
——何も起きない。
酒場の一階から、食器の触れ合う音が遅れて届く。
階段を上る足音は、途中で止まり、また動き出す。
潮の匂いは変わらず、湿った木の床はきしみもせずに沈黙している。
偶然は発生しない。
意味づけも、連鎖も、兆候すらない。
世界修正核の“視線”も感じられなかった。
あの特有の、観測が始まる前触れ——因果が軽く張り詰める感覚が、どこにもない。
読んだはずだ。
理解もした。
それでも、世界は反応しない。
書かれていた内容が、無力だからではない。
むしろ逆だ。
これは、因果を動かす形式を取っていない。
物語ではない。
始まりも、転機も、終わりも定義していない。
誰かを主人公に指定せず、正解も用意しない。
読むことで、世界の流れが変わることはない。
書き足しても、未来が分岐することはない。
レイスは理解した。
この本は、世界にとって“無害”なのだ。
知識として存在し、通過し、誰かの思考に残ることはあっても、
因果の流れに割り込むことはない。
選択を強制せず、役割を押し付けず、結果を要求しない。
だから、世界は介入しない。
管理もしない。
修正する理由が、どこにもない。
レイスは、ゆっくりと息を吐いた。
——ここまで来たのね。
それは安堵ではなく、確認だった。
自分が今、手にしている行為の位置を、正確に測るための。
これは、世界と交渉する行為ではない。
世界に抗う行為でもない。
ただ、書かれ、残り、読まれる可能性を持つだけのもの。
物語ではなく、知識として。
介入されることなく、放置されることを許された存在として。
レイスは、再び本を開いた。
今度は、世界の反応を気にすることなく。




