シーン3:補遺という形式の異物感
レイスは、宿屋の窓際の卓に腰を下ろし、本を開いた。
最初に違和感として現れたのは、紙だった。
本編で用いられていた、あの均質で張りのある紙ではない。繊維の向きが不揃いで、頁ごとに厚みが微妙に異なる。港町の湿気を吸っているせいだけでは説明できない差異だった。
頁を繰る。
文字の並びが、わずかに揺れている。
行間の詰め方、字の癖、インクの濃淡。明らかに、同一人物の手ではない。ある頁では理路整然と整えられ、別の頁では思考の途中をそのまま書き付けたような走り書きが混じる。
注釈も同様だった。
欄外に整った記号で補足されたものもあれば、行間に割り込むように挿入された短文もある。参照先の示し方も統一されていない。体系化する意志と、体系化を拒む衝動が、同じ本の中で共存していた。
——続き、ではない。
その判断は、ほとんど即座に下された。
物語の余白を埋めるための文章ではないし、欠けた部分を補完するものでもない。かといって、解説書のように本編を上から眺め、整理する立場にも立っていない。
むしろ、前提そのものを揺さぶっている。
「この定義は、当時の理解に依存している」
「ここで仮定された因果は、観測者が一人であることを暗黙に要求する」
そうした一文一文が、本編の論理を否定するのではなく、成立条件を問い直していた。
レイスは頁を止め、指先で紙の端を押さえた。
これは、魔法理論書ではない。
式も、再現手順も、安定化条件も記されていない。だが、思想書とも言い切れなかった。理念を掲げ、読者を導こうとする構えがない。主張はあるが、結論を押し付けない。
代わりに残されているのは、迷いと再検討の痕跡だった。
書いた者たちは、すでに「完成した理論」を信じていない。
それでも、捨てることもできず、ただ、書き足している。
レイスは静かに息を吐いた。
内心に浮かんだ言葉は、短く、確信に近かった。
——これは、書いた後の話ね。
理論が成立した後。
物語が語られた後。
正解として流通したものを、一度引き受けてしまった者たちが、その責任から目を逸らせなくなった、その後の記録。
レイスは本を閉じた。
宿屋の喧騒は階下に留まり、世界は依然として沈黙している。
この補遺は、世界に修正を要求しない。
ただ、書いた側にだけ、問いを返していた。




