シーン3:王太子アレイン ― 裁かない決断
執務室には、紙の擦れる音だけがあった。
王太子アレインは机に向かい、積まれていた文書の一束に目を落とす。
断罪用に整えられた告発文、証言の要約、量刑案。
かつては、それらを前に剣を取る未来が、疑いなく用意されていた。
彼は一枚ずつ確認し、躊躇なく脇へと移した。
廃棄箱に落ちる紙の音は、驚くほど軽い。
誰かを救った感触も、裏切った感覚もない。
ただ、役目が終わった書類が、役目通りに片付けられただけだった。
代わりに、別の書類が机の中央に積まれる。
貴族裁量の制限案。
審議機関の権限拡張。
判断を一人に集中させないための、制度改定案。
剣は壁に掛けられたままだ。
鞘から抜けないのではない。
手を伸ばそうと思えば、いつでも届く距離にある。
それでも、アレインは触れない。
――裁く力があることと、裁くべきであることは、同義ではない。
彼は椅子に深く腰を下ろし、息を整える。
胸の奥にあるのは、恐怖ではなかった。
責任から逃げたいという弱さでもない。
(正しさは、一人で背負うものじゃない)
過去の彼は、選ばなければならない立場にいると信じていた。
だが今は違う。
(選び続ける仕組みがあればいい)
正義を振るう者になるのではなく、
正義が独占されない構造を残す。
それは剣よりも遅く、地味で、称賛されにくい選択だ。
それでも、彼はその道を取る。
書類に署名を入れるペン先は、迷わない。
王太子アレインは弱くなったのではない。
ただ、正義を一人で名乗ることを、やめただけだった。
執務室の窓の外で、世界は騒がしくも静かでもなく、
ただ、それぞれの速度で進んでいた。




