第七章 「それぞれが選んだ道」 シーン1:レイス ― 旅への準備(始まりの解体)
王立魔導図書室は、まだ朝の輪郭をはっきり持っていなかった。
窓の外の光は淡く、棚の影は長いまま床に伸びている。
レイスは、いつもと同じ席に座っていた。
特別な装いも、荷造りもない。ただ、読み終えた本を数冊、返却台に積み、途中まで読んだ本を元の棚へ戻す。それだけの動作が、静かに続く。
ページを閉じる音が、以前より少しだけ重く響いた。
結界はもうない。
音は遮られず、視線も避けられない。廊下を歩く誰かの足音が、時間差なく届く。遠くで本を落とした乾いた音に、反射的に顔を上げてしまう自分に、レイスは小さく息を吐いた。
――普通、ね。
未整理のノートが机の上に残されている。
因果平坦化の途中式。結界構造の改変案。どれも未完で、けれどもう続きを書く必要はない。誰かが読んでも読まなくても構わない形で、ノートはそこに置かれた。
視線を感じる。
司書でも学生でもない、ただの「誰か」の存在感。以前なら煩わしかったそれが、今はただ、現実としてあるだけだった。
「世界は、もう静かすぎない」
口に出すと、言葉はすぐに空気に溶ける。
騒がしくもない。押し付けてもこない。ただ、均されていないだけの世界。
「だから、私はいなくてもいい」
逃げる理由はない。
残る義務もない。
レイスは椅子を引き、静かに立ち上がった。背後で椅子の脚が床に触れる音がする。その小さな雑音を、誰も気に留めない。世界は彼女を引き止めず、送り出しもしなかった。
役割は回収された。
物語の中心から、ただ外れただけ。
レイスは振り返らず、図書室を出た。
朝の光が、今度はきちんと、彼女の足元を照らしていた。




