シーン3:温室の記憶と音の性質
ページの余白を見つめているうちに、
ふと、別の静けさを思い出した。
温室。
ガラス越しの光。
湿った空気。
花の間を歩いたときの、
あの奇妙な感覚。
(……音が、反響しなかった)
完全な無音ではない。
声も、足音も、確かに存在していた。
けれど――
遠くへ行かなかった。
音が、途中で終わっていた。
(消えたんじゃない……)
思考が、静かにつながる。
(届かなかったのね)
防音魔法は、音を削る。
遮音壁は、音を跳ね返す。
けれど、温室の音は違った。
反射も、遮断もない。
ただ、
行き先を失っていた。
レイスは立ち上がり、
書架の間を見回した。
背の高い棚。
密集した配置。
紙と木が作る、柔らかい壁。
(……条件は、近い)
ノートを抱え、
床に膝をつく。
大掛かりな魔法陣は必要ない。
欲しいのは、効果ではなく、性質だ。
小さく、簡易的な陣を描く。
音を止める構文は使わない。
代わりに、吸収と分散。
音を消すのではなく、
音の向きを、ほどく。
魔力を流す。
空気が、少しだけ重くなる。
レイスは、口を開いた。
「……テスト」
自分の声が、途中で薄れた。
完全には消えない。
だが、
最後まで届かない。
数歩離れた場所に、
学生がいた。
レイスは、いつも通りの声量で呼びかける。
「すみません」
学生が、顔を上げる。
一瞬、こちらを見た。
だが、首を傾げるだけで、
近づいてこない。
聞こえていない。
正確には――
呼びかけとして成立していない。
もう一度、声を出す。
「……こちら」
音は、空気に溶ける。
途中で、輪郭を失う。
学生は、少し待ってから、
何事もなかったように視線を戻した。
(……成功ね)
胸の奥で、静かに確信する。
これは防御ではない。
拒絶でもない。
ただ、
干渉が起きない。
呼びかける意思はあっても、
その意思が形になる前に、
ほどけてしまう。
レイスは、ノートに書き足す。
・音は消さない
・反射させない
・行き先を作らない
(……遮断)
言葉が、自然に浮かぶ。
境界を作る。
けれど、壁はない。
温室で感じた、
あの静けさ。
それが、
ここに再現されている。
これが、
結界進化の第一段階だった。
本人は、まだそう呼ばない。
ただ、
「集中できる状態」が、
一つ、完成しただけだ。




