シーン3:イベントが続く ― 温室
次の授業まで、少し時間があった。
廊下はまだざわついている。
入学初日特有の、高揚と探り合いが混じった空気だ。
(……静かな場所)
そう考えて、
レイスは自然と温室の方へ足を向けた。
ガラス張りの扉を開いた瞬間、
外とは別の世界に入ったような感覚がある。
光は柔らかく拡散され、
湿度は一定。
足音も、衣擦れの音も、どこか吸い込まれる。
(……静か)
温室の中央付近に、先客がいた。
淡い色の制服。
控えめな立ち姿。
花に囲まれて、よく馴染んでいる。
エリシア・ノヴァ。
平民出身の特待生。
――主人公候補。
世界側の想定では、
ここで視線が合い、
空気が張りつめ、
対立の芽が生まれる。
嫉妬。
誤解。
感情のすれ違い。
けれど、
レイスが最初に見たのは、彼女ではなかった。
花だ。
咲いている位置。
葉の向き。
魔力が循環する配置。
(……魔力流、安定してる)
温室全体に張り巡らされた魔法陣が、
植物の成長を均一に保っている。
光属性と水属性の配分が、過不足ない。
(管理、上手ね)
無意識に、歩み寄っていた。
エリシアがこちらに気づき、
小さく身を固くする。
「……あ」
声をかけるべきか、
様子を見るべきか、
判断に迷っている表情。
レイスは、一礼だけした。
「どうも」
それ以上、言葉は続かない。
沈黙。
だが、気まずさはない。
少なくとも、レイスの側には。
彼女は花壇の縁に立ち、
蔓植物の成長角度を観察している。
(支柱の位置、少しずれてる)
エリシアは、何か言おうとして、
結局、何も言えずに黙る。
典型的なイベント構図は、
静止したまま動かない。
やがて、鐘の音が遠くで鳴った。
次の授業の合図だ。
「あ……」
エリシアが、ほっとしたように息をつく。
レイスは、もう一度だけ温室を見回した。
(……温室って、音が反響しないのね)
言葉は、内心にだけ落とす。
外の廊下のざわめきが、
ここでは別の世界の出来事のようだ。
理由は分からない。
けれど、この「音が届かない感じ」は、
少し心地よかった。
「それでは」
そう言って、
レイスは静かに温室を後にした。
背後で、
エリシアはその背中を見送る。
何も起きなかった。
衝突も、対立も、感情の揺れも。
ただ、
予定されていたはずの出来事が、起きなかった。
世界はまだ、
その理由を理解していない。




