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蒼の記憶と黒いカラス  作者: 紫のやつ
第一章 旅立ち
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第4話「久しぶりの授業」

飯を食うと眠くなる。

 さらに一週間後、オレは久しぶりに授業に出ることにした。

 アルマと一緒に魔法の練習をして少しやる気が起きた、とも言えるが、実際には、任務前にできることをしておきたい、と思っていた。


 昨夜はいつもより早くベッドに入ったが、脳は慣れていないのか、すぐには眠れなかった。

 その後も目を閉じて身体を休めようとしたが、先生に会うのがなんだか怖くて、結局少ししか眠れていなかった気がする。


 訓練所まで歩く道の途中、オレはだんだんと早くなっていく鼓動の感覚に嫌気がさした。


 今日は行くって決めたんだ、頑張れ、オレ。


 あと少しだ。

 あと少し。


 石畳を鳴らす靴の音。

 乾いた口内で砂を噛む。

 額を流れた汗に背中を震わせる。


 いや、やっぱり行けない。


 帰ろう。

 大丈夫、また明日試せばいい。

 寝不足で運動するのだって良くないだろう。


 でも、このまま帰っていいのか?

 腑抜けにはなりたくない。

 あの先生なら、頑張った、と褒めてくれるだろう。

 彼がいい人なのは知っている。

 オレが顔を出さなくなっても、たまに部屋まで様子を見に来てくれていた。

 オレが彼にドアを開けてやった事なんてなかったのに。

 何度も来てくれた。


 いい人なんだ。

 裏切りたくない。


 でもずっと行っていないからか、もうどんな顔で会えばいいかわからなかった。

 何故だか、怖くて、堪らない。


 そうやってオレは道の途中で立ち止まってしまう。


 なら、この前アルマが言っていたことは?

 何とかなるって、

 いい方に向かうって、

 言っていた。


 もちろん根拠なんてない。

 先週初めて会った少女がオレの何かを保証してくれる訳でもない。


 ただ、彼女の笑った顔が、あまりにも無邪気で、裏表がなかったから。


 彼女は本気で信じているのだ。

 全ては良くなると。




 

 結局、オレは逃げ出してしまった。

 たった一人の少女の言葉で何かが変わるわけもない。

 それで何とかなっていたなら、先生が様子を見に来た時には何とかなっていただろう。


 オレはため息をつくと、どこか座れる場所に行こうと思った。


「あれ、お前、この前の…」

「こんにちは」


 ベンチには先客がいた。

 以前、母さんの執務室の前でオレを驚かせた、白い瞳の少女だ。

 確か、名前はティエラだったはず。

 相変わらず、落ち着きすぎている感じが否めない。


 彼女の瞳はまるで白いキャンバスのようで、無様なオレの姿を映し出すから、思わず目を逸らしてしまう。


「悩みがあるなら、目を閉じてみてください」


 突然、彼女はそんなことを言った。

 

「え、なんで」

「解決するからです」


 はあ?

 意味がわからない。


 目を閉じたら悩みが解決するって、どんな迷信だろうか。

 そもそも、オレの悩みなんて知らないだろうに。


「すまねぇが、今そういうのに付き合う気分じゃないんだ」

「そうですか」


 彼女はそう言うと、オレから視線を外し、空をぼうっと見つめ始めた。


 なんだよ、引き下がるのも早いな。

 一体何がしたかったんだ。

 ちゃんと説明してくれないと理解できないのだけど。


 何となく、オレはティエラの隣に腰を下ろす事にした。

 あちこち歩き回る気分でもなかった。


 彼女の方を見ると、まだ空を見上げていた。

 ただじっと、一言も発することなく、見上げていた。


 彼女を真似て、オレも空を見上げてみる。

 今日は曇りだった。

 灰色の雲に覆われて空なんて少しも見えない。

 形を当て嵌めることも、数を数えることもできないのに、何が楽しいんだろうか。


 そこには、オレを惹きつけるようなものなど、何もなかった。


 そこで、オレはまた彼女をちらりと見た。

 新人シスターにしては、暇を持て余し過ぎているように思える。

 それとも、彼女もサボってここにいるのだろうか。

 そうだとすると、親近感が湧かないでもないが。


「ただ、目を閉じればいいのか?」

「はい」


 隣にいる変な少女が気になって仕方のなかったオレは、ついに痺れを切らした。

 勝手な親近感を抱いたからか、彼女の不思議な様子が気になったのかはわからない。


 ただ、何故か彼女の言う通りにしてみよう、と思った。

 どうせ時間はあるんだ、これくらい付き合ってやっても構わないだろう。


 オレは目を閉じて言う。


「これでいいか?こんなんで悩みが解決するとはとても思えねぇんだが」

「そのまま立って、着いてきてください」


 さっきは目を閉じるだけだと言っていたのに、今度は着いていけだと?

 オレに目を閉じたまま歩く勇気は無いんだけど。


「お前がどこにいるかも知らねぇのに、どう着いていくんだよ」

「では私に捕まってください」


 彼女はオレの腕を掴んだかと思うと、それなりに強い勢いで引っ張っていく。

 いつ転んでしまうのか、気が気じゃない。

 というか、どこへ連れていこうって言うんだ。


 せめて目的地を言ってくれないと、とオレは漠然とした不安を感じる。


「お、おい、もう少しゆっくり歩いてくれ!」


 身体が浮いているようで、バランスも上手く取れない。

 瞼越しにぼんやりと光を感じる。

 変な感覚だ。


 こいつ、いい人のフリをしてオレを売り飛ばすつもりなんじゃないだろうな。

 この教会で流石にそれは無いだろうけど。


 目を開けようとすると、手で遮られた。

 ただ、着いてこいとしか言わない少女に、オレは己の失敗を悟った。

 こんなことするんじゃなかった、と。


 それからそう長くは歩いていないと思う。

 彼女は合図もなく急に立ち止まると、オレに言った。


「ここで止まって、それから、まっすぐ大股で五歩進んでから目を開いてください」

「それって五歩先に危険とかはないよな?おい、おーい?」


 返事は聞こえなかった。


 みんな、自分の思い通りにならなきゃすぐだんまりだ。


 なんなんだよ全く。

 どこまでオレを振り回す気なんだ。

 もういいんじゃないか。

 誰かに見られてたかもしれないし、こんなのとんだマヌケじゃないか。

 だけど…。


「はあ、もういいや」


 ここまできたんだ、なんだかもったいない気分だった。

 このまじないが後五歩で完成するなら、もう最後まで付き合ってやるか、とオレは思った。


 それで、何も無かったじゃねぇか、って文句を言ってやるんだ。


 よし、いーち、にー、さーん、よーん、ご。

 オレはティエラに言われた通り、大股で五歩、前に向かって歩いた。


 そして、目を開く。

 一気に取り込む光が眩しくて、目がチカチカした。


「ここ、どこだ?」

「クレシアン?」

「え」


 ぐるりと一回りするまでもない、ここはオレが授業で使う訓練場に違いなかった。

 先週、来たばかりだ。


 先生が目をまん丸にしてオレを見ている。

 当たり前だ。

 やさぐれてしまった自分の生徒が、何を思ったのか、目を閉じて、大股で歩いてきたのだから。


「あ、えと、オレ」

「来てくれたんだね」

「ま、まぁ…」


 先生はそれ以降何も言わず、オレを手招いた。

 こちらへ来い、という意味だろう。

 なら、そうしなければ。

 逃げ場を失ったオレに、他の選択肢は思いつかなかった。


 先生はオレの頭に手を乗せて、言った。


「頑張ったね。よく来てくれた」


 やっぱり、そう言うんだな。

 予想通りだ。

 でも、頑張ってはいないんだよ。

 半ば無理矢理連れて来られたんだから。


 それだけは、言わなきゃならない気がした。

 オレは、先生が期待するような人間じゃないって。


 でも、やっぱり、言えないんだ。


 その代わり、今日は頑張ってみよう。

 真面目に先生の言うことを聞いてみよう。

 そう決める。


「そう言えば、ティエラは?」

「ティエラ?」

「あ、いや、何でもない」


 ティエラは、オレが気づいた時にはもういなかった。

 先生も見ていないのなら、訓練場に入る前の地点で既に何処かに行ってしまったのだろう。

 あまりにもマイペースというか、自分勝手な奴だ。


「もし無理に来たなら、休んでも構わないよ。元気な姿が見られただけで良かった」

「…いや、大丈夫だ。それより先生、今日の授業は全部鍛錬にしてくれないか?」

「本当に?」

「ああ」


 先生の顔が見れない。

 視界が定まらなくて、その胸元にある、魔法石のブローチをじっと見つめる。

 燃えるような赤色の魔法石だ。


 先生は、小さくため息をついた。

 怒っているような感じではない。

 仕方ない、というようなため息だった。


「わかったよ。それじゃあ、早速ウォーミングアップから始めようか」


 オレはその言葉に頷いて、集中する。

 体内にあるエコルの巡りを意識して、それを速めると、身体の芯から温まっていく。


「前にも言ったように、エコルとオルゴンの結び付きを意識して」


 オルゴンを感じ取るのは苦手だ。

 先生は、自然界に満ちている蒼い力だと言っていたけど、オレには見えたことがない。


 だから、結び付きと言われてもよくわからない。

 今までも、体から打ち出したエコルが勝手に反応して、魔法に変化していた。


 本当の意味で、オレは自分で魔法を使ったことがないのかもしれない。


 先生は確か、エコルの量よりも、それをどうオルゴンと共鳴させるかが、魔法を使う上では大切だと教えてくれた。

 つまり、エコルはオルゴンという楽器を弾くための弦に過ぎないのだ。


 なら、オレはまずエコルを上手く動かすことから始めるべきだろう。


 手のひらにエコルを集めようとしても、散らばってしまう。

 少しイラつく。


 ソルから押し出すように、勢いを動かしてみよう。

 もっと集中して。


 --ボンッ


「ゴホッ、コホッコホッ...!」

「大丈夫かい?!」

「なん、とか...ゴホッ」


 突然オレの前に小さな爆発が起き、煙を吸い込んでしまった。

 どうやら、手に負えない量のエコルを放出してしまったようだ。


 勢いに任せるのはダメだ。

 もっと慎重に、繊細に扱わなければ。


「暴発するまでエコルを絞り出すなんて、今日は随分と気合いが入っているね」

「それは、基礎が大事だから、その、エコルに集中してみようと思って...」

「うん、そっか」


 じゃあ、今日はそれを上手くできるようになるまでひたすら練習だね。


 先生はそう言って、オレの髪についた煤を払ってくれた。

 オレの失敗には特に触れず、ただその都度アドバイスをくれる。


 次は、エコルの流れを意図的に止めてみて。

 次は、エコルの流れを逆にしてみて。

 ただ感じてみて。

 一箇所に集めてみて。


 たまに先生がオレの手に触れて、流れを矯正してくれた。


「うん、大分良くなったみたいだ」

「そうは思えねぇけど」

「一日の間で考えれば頑張ったと思うよ」


 そっか、そうだよな。

 暗に、一朝一夕じゃ無理だって言っているんだ、この人は。


 オレに何があったのかは聞こうとしない。

 でも、オレの感情は、彼には見抜かれているのだ。


「さて、少し休もうか」

「ああ」


 何かに本気で取り組むと、こんなに疲れるのか。

 今夜は久々によく眠れそうだ、と思った。





 椅子も何もない。

 オレと先生は壁にもたれかかって座った。

 竹筒の水筒を渡され、一気に喉に流し込む。

 朝から何も食べてないと言ったオレに、先生は驚いてサンドイッチを渡してくれた。


「僕の知り合いにも、基礎が大事だって言っている人がいてね。クレシアンもそう考えていたなんて、驚いたよ。確かに大事な事だよね」

「...オレも、知り合いに言われただけで、よくわからないけど」

「へぇ?でも実践してみたんだね」

「まぁ」


 先生の知り合いにもそういう人がいたんだ。

 普通は、長く何かに打ち込むほど初心を忘れていくと聞く。

 きっとその人もすごい人なんだろうな。


 嬉しそうに話す先生は、真っ赤なブローチに優しく触れている。

 その知り合いに貰ったものだろうか。

 大切な人なのだろう。

 家族か、恋人か、尊敬する人か。

 ただの知り合い、とは思えなかった。


 今思えば、先生の事なんてほとんど何も知らない。

 オレが生徒になったのは、まだ父さんもいた時だから、五、六年以上の付き合いにはなる。

 それなのに、世間話のひとつだってしたことがなかった。


 オレ、他人に興味が無さすぎだろ。


 人には人の人生がある。

 オレは、何にも見てこなかった。

 誰かと関わることって大事なことだったんだ。


「次は、何する?もう、休憩は十分だから」

「そうだね、じゃあ実際に魔法を打ち込んでみようか」

「わかった」


 的の前に立つ。

 休んだからか、気持ちがスッキリした。


 今なら、いける。


 オルゴンとエコルを結び付けるのは、まだ難しいかもしれない。

 感覚を掴めていないし、ちょっとの練習ですぐにできるとも思わない。

 だから、エコルに集中しよう。


 何とかエコルを動かすコツは掴めてきた。

 なら、今回はそれをできるだけ鋭く、速く打ち出す。

 今は、それでいい。


 できるだけ、細く。

 針のように、槍のように、貫くようなイメージで。


 --バチバチッ


「あ、でんき」

「うん、今までで一番いいね」


 形を意識し過ぎて、いつの間にか打ち出してしまった。

 目を閉じていたから、自分ではよく見えなかったし、打ち出す感覚なんて覚えてない。


 これじゃあ、何が良かったなんてわからないじゃないか!


 ああもう、何でこう、思い通りにいかないんだ。


「もう一回やらせてくれ」

「もちろん、好きなだけ試したらいいよ。こればっかりは、クレシアン自身の感覚が大事になるからね」

「ああ」


 --ビリッビリビリッ


 --バリバリバリッ


 オレは、何度も的を狙い続けた。

 何度も外し、何度も当てた。


 そしてようやく、ほんの少し、わかった気がした。


 相変わらず見えはしないが、自分の周りに何かの力が存在していることを感じた。

 それがオルゴンなのだろう。

 感覚としては、オレのエコルによって、オルゴンが変化しているようだった。

 自然に存在する力を、エコルによって顕現させているような。

 オレがエコルを打ち出したそばから、それはオルゴンと反応し雷に変化した。

 そういうことだ。


 確かに、教わった通りだ。

 やっと実感できた。


 となると、フォルテの使う補助魔法や、母さんの使う回復魔法みたいな人の身体に作用する魔法は、魔法が人の身体に届くまで、エコルとオルゴンを反応しないようにする必要がある。

 これらの魔法については詳しく教わっていないが、すごく大変だろうというのは理解した。


「時間はあっという間だね。まだここに残るつもりかい?」


 あれ、もうそんな時間か。

 意外と平気だったな。

 怖いことなんて無かったじゃないか。


 何をそんなに怯えていたのだろう。

 漠然とした不安に振り回されていても、ちゃんと味方になってくれる人もいるんだ。


 うん、次は座学もちゃんと受けてみよう。

 字面だけじゃなく、実際に話を聞けば、もっと学べることがあるはずだ。


「オレはもう少し練習しようと思う。先生は?」

「僕は残念ながら用事があるんだよね。今日は先に行くけど、あまり遅くまで頑張らないようにね。身体を労るんだよ」

「ああ、また」

「うん、またね」


 日が落ちるまで、まだ時間はある。

 もっと打ち込んでみよう。


 アルマもこうやって感覚を磨いてるのだろうか。

 確かにいい方法だ。

 これからしばらくも、この練習を続けよう。

 そうしたら、雷以外の魔法も使えるようになるかもしれない。


 それから、ティエラにも感謝した方がいいよな。

 何でオレの悩みを知ってるのかはわからないが、助けてくれたことには違いない。

 多分、いい人なんだろう。

 ただ不器用で、人と上手く話せないだけだ。

 まあ、これに関しては、オレも人のことは言えないからどっこいどっこいか。

ビリビリする電気ネズミってかわいいですよね。

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