第20話「アザだらけの子」
オレたち目下の目標は、南にある海洋国家アルカネリアに辿り着くことだ。
ネルアの引く荷車で約二週間程の道のりだから、歩くとなると一ヶ月は見ておいた方がいいだろう。
途中の村や町は経由するつもりだが、遠ければ野宿をする日も出てくる。
狩りができなければ、最悪の場合、食事はなしになってしまう。
あと、南というと、そう、あの『泉の森』を通り抜けなくてはならない。
もちろん商業用に整備された道はあるが、歩きだとかなりの遠回りになる上、修行にならないので却下になった。
隊商について行くことも考えたが、オレたちのような駆け出しのお守りをわざわざ引き受けようとするやつもいないだろう。
オレに足りないのは壁を乗り越えることなのだから、まずは壁のある場所に向かわなければ。
強い魔獣たちには、オレが強くなるための糧になってもらおう。
考えながらぶるっと震える身体。
これはきっと武者震いだ、問題ない。
決して怖がっているわけではない。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした!」
「…君が作ったわけではないだろう」
「えへへ〜」
というわけだが、オレたちはまだ出発していなかった。
しばらくちゃんとした飯にありつけないと思ったのか、アメリスはいつも以上に朝食を腹に入れた。
よく食べるし口いっぱいに頬張るのに、所作が綺麗だからか見ていて気持ちがいい。
食事を用意してくれる調理場の人たちも、彼がおかわりをする度に嬉しそうにしていた。
できれば、野宿になっても彼にはしっかり食べさせてやりたいものだ。
「ではそろそろ行きましょう」
「確認だが、泉の森を通るので本当に構わないんだな?」
「ああ、大丈夫だ」
「わかった。では行こうか」
あの鹿の魔獣が現れた後、森では大規模な捜索や討伐が行われ、力の強い魔獣は大分減ったと聞く。
この一ヶ月でオレもそれなりには鍛錬に励んだし、小さめの魔獣なら問題なく倒せるようになっている。
それに、想定外とはいえ、デカいやつも一体殺っているしな。
あまりにも強力な魔獣がいるのであれば、近づかずにそっと離れればいい。
ギルドに報告すれば討伐依頼を出してくれるだろう。
こういうのはプロに任せるのが一番だ。
「あたしも全然だいじょーぶ!あっ、でも聖都を出る前に行きたいところがあるんだけどいい?」
「何か買い足したいものでも?」
「ううん、聖都に来た日に行った噴水があったでしょ?あそこで旅の安全をお祈りしたいの」
「確か住宅街のとこの公園か…。オレはいいけど、二人は?」
「それくらいなら構わない」
ティエラも頷いたところで、オレたちはまず公園に向かうことにした。
宿を引き払い、住宅街に向かって出発する。
大きな噴水なら中央広場にもあるけど、アルマにとってはあの小さな噴水が始まりの場所なのだろう。
賑わう朝市を通り抜け、喧騒が遠くなっていく。
王都に並ぶ家々のようなきらびやかな建物はあまりなく、落ち着いた雰囲気の住宅が連なっている。
人々は明るくも穏やかで、聖都はまさに『愛をもって慎ましく生きる』というレステン教の教えを体現した街と言えるだろう。
*
アルマとティエラがそれぞれ銅貨を一枚、噴水に投げ入れた。
両の手のひらで顔を覆うように少しの間掲げ、目を閉じ祈りのポーズをとる。
オレは自分から進んでこういうことをしたりはしないが、まあ、二人の祈りが届けばいいとは思う。
レステンがたったの一セリスで願いを叶えてくれる神なら、そもそも人を見捨てたりはしないだろうが。
いやいや、こういうのは気持ちが大切なんだ。
アルマとティエラが信じているなら、それでいいじゃないか。
「おまたせ!」
「おう、じゃ、行くか」
オレたちが歩き出そうとした時だった。
突然、怒鳴りつけるような声が聞こえてきた。
「なんであれくらいの事もうまくできないの!」
自分の事かと思ってびくりとしたが、どうやら違うようだ。
声はそれなりに近い。
あたりを見回してみたが、あの遊具入れの裏だろうか。
できれば面倒ごとは嫌だが、うちのパーティには少なくとも二人お人よしがいるからな。
「争いごとだろうか。様子を見に行ってみよう」
「うん!喧嘩はよくないよね!」
アルマとアメリスは当たり前のように飛び出した。
やっぱり、逃げられないか。
アメリスのやつ、時間がもったいないとか、僕たちが首を突っ込むべき問題じゃないとか、いろいろ言うくせに結局助けにいくのは何なんだよ。
引き際を決めているだけなのか、ただ単に放っておけないのか、もうわかんねえな。
「…じゃあ、オレたちも見に行こうぜ」
「はい、そうしましょう」
オレはまだそばにいたティエラと一緒に一足遅れて様子を確認しに行く。
場所はやはり遊具入れの裏、険しい顔の女性と今にも泣きだしそうな男の子がいた。
よく見ると、男の子の肌には所々アザがある。
服から覗くそれらは赤かったり、青かったり、新しいものから古いものまでたくさんあった。
服の下にはもっと隠れているのかもしれない。
「その子を放して!怖がってるでしょ!」
「またあなた?関係ない人はどっか行って」
「関係ないとか知らない!あたしはその子を助けたいだけなんだから!」
「はあ?全く話が通じないのね。いいから放っておいて!」
アルマと母親らしき人物が激しく言い争う。
話を聞くに、どうやら前に彼女が見た虐待を受けているらしい子どもというのは、この男の子のようだ。
だが、どうしたらいい。
たとえ警備兵を連れてきても、この母親はうまく言い逃れるだろう。
住民同士のいざこざで言いがかりをつけられたとか何とか、いくらでも誤魔化せてしまう。
警備兵の前で先ほどのように暴言を吐いたり、息子をぶったりすることはないはずだ。
「ティエラ、君は警備兵を呼んできてくれ」
「わかりました」
アメリスが耳打ちするようにティエラに言うと、彼女はすぐに走って行った。
目の前ではアルマと子供の母親がまだ言い争っている。
こちらの事など眼中に無いようだ。
ふと、母親に掴まれた子どもの腕が視界に入る。
口論で気持ちが高ぶっているのか、強い力で握っている。
母親が腕を強く引く度、子どものは痛みに顔を顰めている。
何とかして、あの母親と引き離さないと。
その時、子どもが小さく声を上げた。
「ぉ、お母さん…」
「あなたは黙ってなさい!」
母親は叫ぶように声を張り上げると、掴んだ子どもの腕を上に引っ張りあげ、高くなった頬を強く叩いた。
そのまま押し飛ばし、子どもはドスンッと大きな音を立てて地面に転がる。
子どもが母親から離れた瞬間、オレはすぐに子どもに駆け寄り覆い被さる。
正直、何も考えていなかった。
でも身体が勝手に動いた。
少し遅れてやっちまったと思う。
オレが行かなくたってアルマとアメリスが何とかしてくれただろう。
それに少しすればティエラが警備兵を連れて戻ってくる。
あぁ、余計なことした。
今度はオレがあの母親に怒鳴られるかもしれない。
しかも子どもを返せってぶたれるんだ。
いや、悪いことはしていないのはわかってる。
でも怒りの感情を向けられるのは怖い。
胸がドキドキするし、肝が冷える。
だが抱え込んだ下を見ると、子どもが泣いている。
背後ではアルマの糾弾する声が聞こえる。
まず、そう、まずはこの子を落ち着かせよう。
今はこの子を優先するべきだ。
オレは子どもをできるだけ優しく起き上がらせた。
なんと言えばいいかわからないが、安心させる言葉をかけてみよう。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
穏やかに、柔らかく言えるようには努めた。
だが意に反して子どもはより一層強く泣きじゃくった。
ああもう、子どもとの接し方なんて知らねぇよ。
オレは早々に諦め、大きな怪我をしてないか確認する。
先程転んだせいか、元々傷んでいた服がもっと汚れてしまっていた。
肌は所々傷だらけで、肩を抑えながら俯いている。
「腕が痛むのか?」
訊いてみると、子どもは小さく頷いた。
良かった、返事をしてくれた。
「肩も痛い?」
子どもはもう一度頷く。
抑える手で隠れているが、よく見ると肩が何だか平たいような、凹んでいるような気がする。
「ちょっと見せてくれ、いいか?」
子どもは少ししてから小さく頭を縦に振った。
恐る恐る手を退けてくれる。
それを見て、オレはそっと肩に触れて形状を確認した。
どうやら脱臼しているようだ。
幸いにも軽そうだから、酷く痛むわけではないだろう。
どうにかしてやりたいが、魔法では骨を動かすことはできないから、押し戻すしか方法がない。
そもそもオレは回復魔法が使えないから、痛みを取ってあげることもできないが。
それに、周囲の筋肉が緊張して硬くなっている。
今無理やり戻すのは逆に傷つけてしまうことになる。
「深呼吸をしてみてくれ。できるな?大きく吸って、大きく吐くんだ」
子どもは不安そうな顔をしているが、言うことを聞いてくれる。
「いい感じだ。もう少し続けてくれ」
深呼吸を繰り返す度、力をちゃんと抜けているようだ。
できるだけ早くヒーラーに診せたいが、ティエラはまだ戻らないのだろうか。
子どもに集中していたオレは、やっと周囲の状況を思い出した。
そうだ、あの母親はどうなった。
慌てて後ろを振り向くと、吼える母親をアメリスが拘束していた。
両手を後ろに組まされ、身体は遊具入れの壁に押し付けられて身動きを封じられている。
アルマは特に何もしていないのに、その隣でしたり顔。
何が起きたのかを聞く間もなく、ちょうどその時ティエラが警備兵を二人連れて戻ってきた。
「この方が子どもに虐待を?」
「はい。過度な暴言と暴行を目撃したので、この場で逮捕しました」
警備兵の質問に答えつつ、アメリスは騎士団の紋章が彫られた魔石を取り出して見せる。
「なるほど、騎士殿が現行逮捕したのですね。では後はこちらが引き継ぎます」
「よろしくお願いします」
「連行する前に、事情を把握するためにいくつか質問しても?」
「もちろんです」
アメリスが順を追って説明しる中、アルマが感情的になって話に割り込むので、オレは彼女を落ち着かせることに徹した。
その間、子どもはティエラが見てくれている。
彼女は傷の手当ができると言っていたので、任せることにした。
母親はやっていないとギャーギャー騒ぎ立てるが、子どもに手を上げる様を三人もの目撃者が見ている上、被害者である子どももまた傷だらけである。
もう説得力はないだろう。
最初の状況とは違い、他人の前で暴力を振るってしまった事で、彼女は言い逃れることができなくなってしまった。
「この子はどうなるんですか?」
オレは警備兵の人に訊いた。
母親が本当に虐待していたなら、これからは父親と暮らすことになるんだろうか。
こちらは子どもの家庭の事情など知らないし、この後のこともオレたちとは関係がない。
だが、痛ましい様子が心配でやはり気になってしまう。
「今は何とも言えません。ただ、信頼できる大人が傍にいなかったのは確かでしょう。」
「…あ、そっか。そう、ですよね」
確かに、子どもがこんなに苦しんでいるのに助けないなんて、父親にも期待はできないか。
それとも、オレみたいにこの子も父親がいないのだろうか。
「この子の名前はフェン・エルトンと言います。父親はフランツ、母親の名前はわからないそうです。父親に関してはもうずっと家に戻っていないと」
「えっ、それってホントなの?」
子どもの手当てをしていたティエラが、こちらの会話を聞いて答えてくれた。
母親の名前を知らないというのは衝撃だが、オレは父親の正体に驚いた。
フランツ・エルトン、エリーナレイアへ手紙を書いた人物だ。
アルマもびっくりしたのだろう、目を丸くしている。
「それは本当かい?」
警備兵が子どもの前に屈んで優しい声で確認する。
子どもはティエラの服をがっちりと掴んで丸くなっていたが、やがて小さく頷いた。
「わかりました。重要な情報をありがとうございます。これから調査を行なっていきますのでご安心ください。まだ先のことはわかりませんが……恐らくこの子は孤児院に送られることになるでしょう」
「…そうですか、わかりました」
ひとまず、警備兵と共に行けば、この子が飢えるようなことにはならないはずだ。
傷を治して、綺麗な服を着て、友だちもできたらもっといい。
孤児院には同じような境遇の子どもたちがいるし、きっと助け合っていけるだろう。
今は、彼がこれから幸せになれることを願うしかない。
*
その後、オレたちはティエラと離れがたい子どもをなんとか説得して警備兵に預ける。
一足先に連行された母親がいなくなったおかげか、大分落ち着きを取り戻しているようだ。
いつの間にかティエラが脱臼まで治してしまっている。
彼女は一体どれだけの技術を身につけているというのだろうか。
「フェンくん、またね」
「…うん」
アルマがフェンの小さな両手を握りしめて別れを言うと、かろうじて聞き取れるくらいの声で返事をしてくれた。
こっちの方を見てきたから、オレも小さく手を振る。
少しずつ遠ざかっていく背中に、オレたちも背を向けて歩き出す。
まだ昼前の柔らかな日差しに照らされる公園。
こうして、オレたちはついに聖都から出発した。




