婚約破棄でも構いませんが国が滅びますよ?
私はただ、穏やかに生きていたいだけだった。
「シルビア・マックイーナ。君との婚約を破棄させてもらう」
「はぁ……別にいいんじゃないですか」
「…………」
私、シルビア・マックイーナは、次期国王であるシェイク・ソルディッチ王子に婚約の破棄を言い渡されていた。
場所はソルディッチ城の大広間。
緑色の髪に緑色の瞳のシェイク様。
彼は私の前におり、彼の傍らには、金髪の美しい女性がいる。
私は見たこともない人だが……絶世の美女だ。
こんなに綺麗な人がいるなんて。
シェイク様はあっけらかんとそう言った私に驚いているようだった。
私があなたにしがみ付いて「私を捨てないでー!」なんて言うと思っていたの?
残念ながらあなたに対してそんな感情はない。
だって私は『使命』であなたと婚約していただけなのだから。
シェイク様は少し呆然とした様子で口を開き始めた。
「と、とにかくだ、君とはここまでだ」
「だからそれでいいんじゃないですか」
「僕は彼女――ヒメラルダと結婚をする!」
周囲にいた彼の家臣たちが大騒ぎをする。
それは私の『使命』に関係することでだ。
「し、しかしシェイク様……彼女は『聖女』であられますぞ」
「聖女だからどうしたというんだ? そんなものはただの迷信にすぎない。いまだに聖女の話を信じている者がいるとはな」
「バ、バカなことを言うな! この国は聖女があるからこそ成り立っているのだぞ! その聖女であるシルビア様との婚約を破棄するなど、許されることではない!」
「聖女がいなかったらどうなるんだ? 先代の聖女はお亡くなりになったが何も起きていないではないか! 聖女の話なんてものは、迷信なんだよ!」
私は彼らが話をしている聖女という存在だ。
その私のことを巡って言い合いをする男たちに、私は大きく嘆息する。
もうどうでもいいから、帰っていいかな?
婚約がなくなったというなら、私はこの場に一秒たりといたくはない。
シェイク様はなぜか勝ち誇った表情で私を見下ろしている。
「シルビア。僕も聖女の話など信じていない。ただ聖女というだけで、君と婚約をし結婚しなければいけなかった……だがヒメラルダが僕に真の愛を教えてくれた! 障害は自分の手で乗り越えなければいけないと!」
自分に酔っているのだろうか、シェイク様は熱弁しているが悦に入っているようだった。
「だから僕は君との絆を断ち切る! 聖女の伝承など、全て嘘だということを証明してみせる!」
「そうですか。頑張って下さいね」
「…………」
別に私は構わない。
シェイク様となら穏やかに暮らせると思っていただけで、最初から何とも思っていないのだから。
まぁしかし、元婚約者として少しだけ同情しておいてあげよう。
これからこの国は滅びてしまうのだから……
ソルディッチ――小さな国だが不思議とどこからも攻められず、長い間存続している国。
神に選ばれた『聖女』を国王が花嫁に迎え、彼女を生涯大事にすることで、いつまでもこの国は在り続けることができると言われている。
代々国王は聖女を花嫁としてきたからこそ、今日のソルディッチがあるというわけだ。
実際のところは知らない。
だってそれが事実なのかどうかを確かめる術もないのだから。
ただ言い伝え通り歴代国王は聖女と婚約し、結婚をしてきただけ。
そんなだから、中にはそれを信じない人まで現れる始末。
伝承として伝わっている聖女伝説。
現在は信じない人間の方が多いとも言われている。
私も伝承を信じていなかった。
あの日までは。
ある夜のこと。
ただの平民として生きていた私。
その日も普通の一日だった。
朝起きて仕事をしてご飯を食べて寝るだけ。
本当にそれだけのはずだった。
だけど私が寝床に着いた時のことだ。
「あ。聖女になったわ」
「は?」
突然の私の言葉に、今は亡き祖父がキョトンとしていた。
両親を早くに亡くし、一人で私を育ててくれた祖父。
私は額にかかる髪をかき上げ、祖父に見せる。
「……本当に聖女になったのか?」
「みたい……ああ。私は次期王妃にならなければいけないのか……」
半分面倒くさいと感じつつ、もう半分は王妃なら穏やかに暮らせるかと期待をしていたと思う。
私の額には、『神の紋章』という物が浮き上がっていた。
神に祝福され、聖女となった証である。
何故自分が聖女になったのが分かったかと言うと……いわゆる天啓というものを得たからである。
確信めいたものを感じ、そして色んな物を悟った。
私は聖女で、聖女の伝説は本物であると。
それを全て事実であると、理解していた。
「しかし、聖女の伝承は嘘っぱちだろ? お前も嘘だって言ってたじゃないか」
「そうだと思ってた。でも、本当だって分かった。お祖父ちゃん。聖女の伝承は本当の話だったのよ」
私が王子と結婚することによってこの国は平穏を保つことができる。
神の加護を持つ者こそが国の平穏の条件。
私がいなければこの国は滅んでしまう。
ぼんやりではない。
それが現実のものとなるのが手に取るように分かった。
聖女がいるからこそソルディッチは在り続けてきたというのに。
長く続きすぎた平和が、その伝承の真偽を疑う者が現れてしまった。
そして次期国王、シェイク様までもがその伝承を嘘だと断言してしまったのだ。
別に私は構わない。
だって私には神の加護があるのだから。
神は私と共にいる。
この国に神がついてくれているわけではないのだ。
シェイク様の隣にいるヒメラルダという女性……
黄金の髪は腰まで届き、その美しさは息を呑むほど。
これは私がフラれても仕方ないか……そんな風にぼんやりと考えながら彼女を見ていた。
彼女は顔色を変えることなく、シェイク様に肩を抱かれながら、ただ静かに私のことを見つめ返している。
シェイク様は私がヒメラルダを睨んでいるとでも思ったのか、彼女を守るように前面に立つ。
「嫉妬をするな、見苦しい」
「え? 嫉妬なんてしてませんけど?」
「……ふ。負け惜しみだということは分かっている。そんな平気なフリはするな! ショックを受けているんだろ? 本当は捨てられたくないんだろ? 僕のことが好きなんだろ?」
「えーと……本当に違うんで、捨ててもらって構いませんから」
「…………」
顔を引きつらせるシェイク様。
自分にそんな魅力があるとでも思っているのだろうか?
確かに端正な顔立ちはしているが……それだけだ。
男性的な魅力も感じないし、金持ちのボンボンというイメージしかない。
甘やかされて育ってきたのだろう。
ハッキリ言って、ないわ。
「もう行ってもよろしいですか?」
「あ、ああ……」
「では、ごきげんよう」
「ふ、ふん。もう会うことはないだろう。さらばだ聖女よ。お前がいなくなってもこの国は繁栄し続ける」
「王様もごきげんよう」
「…………」
シェイク様のお父上、ソルディッチ王。
彼は離れたところから黙ってこちらの様子を窺っていた。
威厳のあるお方ではあるが……先代の聖女である奥様をないがしろにし、そして暴力を振るっていたという噂を耳にしたことがある。
その真偽は誰も知ることはないが……奥様は自殺をしてしまった。
暴力に耐えられなくなったからなのか。
はたまた、精神に異常をきたしてしたことなのか。
その真実は闇に葬られたまま。
神のみぞ知る真実というわけだ。
だがどちらにしても、彼らは悪手を打った。
奥様が死んだのが王様の暴力が原因かどうかは定かではないが、彼女を軽視したことは事実だと思う。
でなければ、あんな噂が流れることはない。
そしてシェイク様は聖女である私を見限ってしまった。
全ては自分たちの責任。
何代も続いてきた神との契約を自ら断ち切ってしまったのだ。
聖女を妻とし、それを生涯大事にする。
そうすれば国は栄え続けるというのに、自分たちの手でそれを手放してしまったのだ。
王妃としての穏やかな日々は失ってしまったけれど、私はシェイク様と結婚しなくていいとう事実にワクワクし、城を後にするのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
元々は平民でしかなかった私は行く場所を失いつつあった。
ワクワクした気分であったが少々困っている部分もある。
歴代の聖女に与えられる屋敷があり、私はそこに住んでいたのだが、聖女の伝承を信じない国王と王子、そしてそれに同調する者たちの手によって、とうとう私は立ち退きを余儀なくされているというわけだ。
別に出て行くのは構わない。
だけど穏やかに生きたい。
だから出て行きたくない。
だってここの暮らしは楽で優雅で言うことがなかったのだから。
まさに天国のような屋敷。
周りの人はなんでもやってくれるし、なんでも言うことを聞いてくれるし、本当にいい場所だった。
でも私はここを出て行かなければならない。
一人強く生き延びなければいけないのだ。
さよなら、私の屋敷。
もう帰ってくることもないし、もうこれから先聖女がここに足を踏み入れることはないだろう。
私はしみじみとした気持ちで、屋敷を出ようとした。
すると数人の侍女が、私に声をかけてくる。
「シルビア様……お待ちくださいませ」
「どうしたの?」
「あの……私たちも連れて行ってほしいのです」
「連れて行ってほしいって……」
彼女たちは懇願するような視線を私に向けている。
何故私について来たいのだろうか?
この国に住んでおけば……まぁ、そのうち滅びるんだろうけれど。
もしかしてそのことをうすうす感づいているとか?
「何故あなたたちは私についてきたいの?」
「あなた様に仕えていて私たちはよく理解しています。神の加護を受けたあなた様は本物の聖女であると。そんな聖女を追い出す国王と王子に仕えるつもりはありません」
なるほど。
純粋に聖女である私を追い出すことに怒りを感じているのか。
それは私に向けられた気持ちなのか。
はたまた、『聖女』であるからこそ抱く感情なのか。
まぁどちらにしても自分のために怒ってくれていることには変わりない。
私は少し嬉しい気分になり、彼女たちを連れて行くことにした。
「分かったわ。私と同行することを許します。ただし、この国には二度と戻れないと思ってください」
「く、国を離れるのですか?」
「ええ。神の加護を侮辱するような行為を働く国に、いつまでもいるわけにはいきません。だから私はこの国を離れ、別の土地へと移り住みます。それでもいいのならついてくればいいわ」
「…………」
私の前にいる侍女は九人。
皆それぞれ悩んでいるようだったが――決意をしたのか、皆一つ頷いた。
「私たちは聖女様について行きます。どうか同行することをお許しください」
「一人じゃないというだけで心強いわ。皆さん、これからよろしくお願いします」
こうして私は九人の侍女を引き連れ、屋敷を後にしたのであった。
屋敷を出ると、十名ほどの男性が私に近づいてくる。
何事かと身構えると、彼ら膝をつき、私に首を垂れた。
「聖女様。私たちも連れて行ってはくれませんか?」
「私たちには家族もいない。失うものはなにもないのです。聖女様以外に」
「聖女様を捨てる国など、こちらから願い下げでございます!」
男たちは憤慨した様子でそう言った。
私は一つため息をついて彼らに言う。
「ここにいる女性方も私について来ると言っています。今更人数が増えたところで代わりありません。この国に未練がない方だけついて来ても結構です」
その場にいる誰も未練がないようで、真っ直ぐな瞳で私を見上げていた。
私は頷き、彼らの同行も許可する。
ゆっくりと町の様子を眺めながら歩いていく。
「…………」
「いかがなされましたか、聖女様?」
以前祖父と住んでいた建物があり、私は衝動的にそこに足を踏み入れる。
中には家具などが一切なく、埃まみれとなった不衛生極まりない空間。
だけど、思い出が込み上げてくる。
優しかった祖父の記憶が、祖父の笑顔が建物の中に浮かび上がる。
「お祖父ちゃん……私はソルディッチを出ます。さようなら……いえ、一緒に行きましょう」
笑顔の祖父は私に頷き、そして消えていく。
私はくすりと笑い、踵を返し建物を出た。
外には19人の付き人が待っていた。
私は彼らに笑顔を向け、町を出るように促す。
「おい、聖女だぞ……」
「聖女の話なんて嘘だろ」
「だよな。俺も信じられないよ」
聖女の伝承を信じない人たち。
そんな人たちが、歩く私に見下すような視線を向けている。
穏やかに生きたいだけだから、こういうのはちょっと止めていただきたい。
私が国のために何かをやったわけでもないけれど、悪いことも何もやっていなのだからそんな目をしないで。
そんな周囲の視線に怒りを覚えたのか、付き人たちは怒りを露わにしていた。
「聖女様を信じない、不届き者たちめ!」
「聖女様、私、くやしいです」
「放っておいたらいいじゃない。私を信じるあなたたちは報われる。それだけでいいのです。自分と大事な物以外のことを気にしている時間は無駄ですよ」
私の言葉に「なるほど」と納得する皆。
しかし周囲を睨み返しながら、私の後をついて来る。
私はソルディッチの町の入り口、大きな門を見上げ、そして静かに目を閉じた。
この国を今までお守りいただき、ありがとうございました。
ですが私は今日、この国を出ます。
どうかこれからも私と共にあることを願っております。
私は目を開け、妙に神聖な空気を感じながら門をくぐり抜けた。
ソルディッチを出ると、外には自然豊かな草原が広がっていた。
あまり町を出たことがなかったけれど、凄くワクワクする。
まるで解放された気分。
ああ、私はこんなにも、シェイク様と結婚などしたくなかったのだ。
暮らし自体は素敵なものであったかもしれないが、喪失感よりも解放感の方が優っている。
私は大きくのびをし、自然の空気を肺一杯に吸い込む。
「では参りましょうか」
「聖女様、どちらに向かわれますか?」
「そうね……」
その時、風が西に向いて吹いた。
私はそれを導きのような物に感じ、迷わず指を西に指す。
「西に向かいましょう」
「西……と言うことは、アールモンド国の方角ですね」
「アールモンド……」
アールモンド。
それは弱く、貧しく、小さい国。
数ある国の中でも、一番小さく力の無い国だと言われている。
皆、アールモンドの方角に向かうことに不安を感じ始めている様子。
だが私は逆に、高揚していた。
何故だか分からない。
だけど、アールモンドには何かがある。
私の運命は、アールモンドに向かうことになっているような気がした。
「皆、自由に、好きに生きればいいのです。わざわざ私について来る必要はありませんよ?」
「……いえ。申し訳ございません。私は聖女様を信じると決めたというのに、なんと情けない……」
「そんなに自分を卑下しないで下さい。誰だって自分の知らない土地へと向かうのは怖いでしょう。それがアールモンドとなると余計に恐怖を感じると思います」
「ありがとうございます。聖女様」
私に頭を下げる騎士の男性。
彼に笑みを向け、そして皆の顔を順番に確認していく。
彼と同じで、皆私を信じているようだ。
さっきの不安顔はもうそこにはない。
皆、覚悟がある真っ直ぐした目をしている。
「では行きましょうか」
用意されていた馬車に私は乗る。
他に馬車は二つ用意されており、元侍女たちはそちらに乗っていた。
私の馬車には、他に誰も乗っていない。
御者をしてくれる人が手綱を握り、馬車はゆっくりと動き出す。
すると他の馬車、そして馬に乗った男の人たちも動き出した。
私は窓から外の様子を眺める。
気持ちのいい草原。
そして空には暖かい太陽。
太陽は私の旅立ちを祝福するよう、輝いているように思えた。
ポカポカとしたいい陽気。
町を出てすぐだと言うのに眠気がする。
私は新しい国のこと、そしてこれからの未来に何が起こるのか。
楽しみを感じながら、眠りにつくのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
ソルディッチから西へと流れ、とうとう私たちはアールモンドの領地へと辿り着いた。
そこは痩せた大地が広がっており、自然の緑はどこを見渡しても見当たらない。
まさかここまで酷い国であったとは……アールモンドに到着するなり、少し後悔する私。
そのままさらに西へと向かうと、小さな城が見えた。
「シルビア様。あれがアールモンド城でございます」
「あれが……そう」
遠くに見える小さな町。
ボロボロの建物がいくつも建ち並んでいるのが見える。
その中で一番大きな建物……城であろう。
ソルディッチ城と比べれば、とても小さく、心細さを感じる。
城は半壊しており、見ているだけで寂しくなってしまう。
私は少し顔を青くし、その城を遠くから眺めていた。
しかし、私がこんな顔をしていたら、皆が不安に思うだろう。
出来る限り平静を装い、私はため息をついた。
「とても小さな城ではありますが、大きな器を持った王がいるかもしれません」
「なるほど……この状況でやりくりしているところを見ると、生きる術に長けている人物かも知れませんな」
馬に乗った男は、まだ見ぬ王へと、尊敬のまなざしを向けていた。
流石に早すぎだろう……
私は呆れながらも、コクリと首肯し、彼の言葉に賛同しておいた。
「そのような人物なら良いですね」
「はい」
馬車はゆっくりとアールモンド城へと近づいて行く。
町の前に到着し、私は馬車を降りる。
長時間座っていたため、私は大きく伸びをし、固まった体をほぐす。
「シルビア様……はしたないですよ」
「少しぐらいいいでしょ? 今の私は貴族でもなんでもないもの。ただの聖女としての使命を持っているというだけの女。それも聖女として機能しているのかどうかも分からないのよ?」
もちろん、自分では理解している。
まだ私は聖女としての使命を帯びたままであると。
だが私の話を聞いて、その女性は嘆息しながらも納得してくれた。
私は彼女に笑顔を向け、そしてアールモンドの城へ向かって歩き出す。
十九人の男女が私の後をついて来る。
その様子を見た町の住人たちは、私をポカンと眺めていた。
どこの貴族のお嬢様だと思っているのだろう。
だけど私は今は貴族ではない。
少し気楽に、そんな視線を気にすることなく歩いて行く。
「あの……貴方は……?」
「?」
それはもうアールモンドに到着しようかという時であった。
突然私は、透き通るような声に訊ねられる。
私は声の方を振り向き――そして息が止まった。
声の主、それは……今まで見たことないような、素敵な男性であったからだ。
「…………」
「あの……大丈夫ですか?」
「あ、ああ……申し訳ございません。少しボーッとしておりました」
その男性は黒い髪に黒い瞳。
着ている服は貴族らしいもののようだが、みすぼらしい。
背は高く、年齢は私と同じぐらいに見えるし、幼くも見えた。
顔は大変美しく、こんな美形がこの世に存在するのかと驚愕するほどだ。
私は彼の顔を見て硬直してしまっていたらしく、ハッとして顔を少し染めていた。
「私はシルビア・マックイーナ。ソルディッチからやって来た者でございます」
「ソルディッチから……何故このような場所に? こんな国に用事などないでしょう?」
男性は、苦笑いしながら私の顔を見ている。
そんな顔もとても綺麗で、私はまた彼に釘付けとなっていた。
「……美しい」
「え?」
「あ、いや、すいません……私はアレン・アールモンドです」
「アールモンド……と言うことは、この国の?」
「ええ。このような身なりをしていますが、アールモンドの国王でございます」
なぜかほんのり顔を赤くしたアレン様は、照れくさそうに鼻をかいている。
貴族というには、少し庶民的……というか、全然気取っていない様子。
まさかこの方が国王だなんて……
「アレン様。どうか私たちを、この国に受け入れてもらえませんでしょうか?」
「貴方たちをですか? ええ、いいですよ」
驚くほど早い決断であった。
さっきは大きな器を持っているなんて冗談で言ったが、案外本当に器の大きいお方なのかもしれない。
私は驚きのあまり、ポカンとしてしまっていたので、一つ咳払いをして話を続けた。
「そ、それでは、これからこの国で生活をさせてもらってもよろしいのですか?」
「ええ。構いませんよ。生涯ここで暮らしていってもらっても構いません」
それはありがたい提案だ。
私は穏やかに暮らせればそれでいい。
たとえ貧乏だとしても、住む場所があればそれでいいのだ。
優雅な暮らしもいいが、貧乏で慎ましく生きることにも慣れている。
私はアレン様に笑みを向け、頭を下げる。
「ありがとうございます、アレン様。お言葉に甘えさせていただきます」
私に合わせて、十九人の付き人も膝をつき、アレン様に首を垂れる。
「……私の城に空き部屋がいくつかある。貴方たちはそこで暮らしてもらって結構です」
「お城でだなんて……屋根さえあれば、私はどこでも構わないというのに……」
「い、いえ! 貴方のような美しい人を、適当なところで住まわせるわけには……あ、いや! すいません、忘れて下さい!」
そう言ったアレン様は、お顔を真っ赤にしていた。
私はそんなアレン様にまた見惚れていたのである。
◇◇◇◇◇◇◇
アレン様と出逢い、彼に惹かれるのに時間はそうかからなかった。
何故か目が離せない容姿。
これまでこんなこと一度もなかったというのに。
そして話をすればするほど、素敵で素晴らしい考えの持ち主だということが分かる。
その上アレン様は誰にも優しく、とても王族の人間には思えないほどだ。
分け隔てなく誰にでも接するその姿に、また私は心を惹かれていた。
「シルビア嬢。今日は何をしているのですか?」
天気もよい朝の城。
私は庭先で散歩をしていた。
アレン様は私に話しかける理由がほしかったのだろう。
ただ歩いているだけだというのに、そんな風に私に訊ねてくる。
顔を少し赤くしたアレン様がとても愛らしく、抱きしめたい気持ちになっていた。
しかしまだ嫁入り前の乙女。
そんなはしたない真似はできない。
「散歩をしていただけでございます、アレン様。よければご一緒にどうですか?」
「それは嬉しい提案だ。さあ、どこへでもお供しましょう」
「ふふ……ただの散歩ですよ、アレン様」
「あ、そうだったね……どうも君を前にすると緊張してしまってね」
顔を真っ赤にするアレン様を見て、私も顔を赤くする。
自分の思った気持ちをストレートに伝えてくる彼の気持ちが、妙に嬉しくて。
私はドキドキしながらうっすらと笑みを浮かべる。
アレン様と庭を歩き、なんでもない会話をしていた。
たったそれだけのことなのに、とても幸せで、この世界には自分たちだけしか存在していないような、そんな錯覚を覚える。
彼の隣は温かく、ずっとここにいたいと思い始めていた。
ずっと彼といたい。
彼もそう感じてくれているのだろうか?
すると突然、アレン様は緊張した面持ちで、私の手を握ってきた。
ドキッと心臓が高鳴り、私は彼の黒い瞳を見上げる。
「わ、私と結婚してくれないか? 貧乏な国だけれど、きっと寂しい思いをさせることはない! お願いだ……死ぬまで私と一緒にいてくれ」
「……はい」
私は迷うことなく、彼にそう返事をした。
まるで神のお告げのようだった。
彼との出会いは必然で、彼とは結ばれる運命だったと私は悟る。
すると飛び上がって喜ぶアレン様は、私を抱いてクルクルとその場を回り出す。
「ありがとう、シルビア! 約束するよ。絶対に、一生君を愛することを!」
「……アレン様。私を妻に迎え入れてくれること、嬉しく思っています。そしてあなたには話しておかなければいけないことがあります」
「話しておかなければいけないこと?」
アレン様は私を抱いたまま、キョトンと私を見つめている。
そして私は神の加護――聖女の伝承をアレン様に話すのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
「ヒメラルダ。君を選んで良かった。シルビアと結ばれるより、僕は幸せだ」
シェイクはヒメラルダの眩しい笑みに釘付けとなっている。
シルビアがソルディッチから離れ、一ヶ月が経過しようとしていた。
彼女がいなくなった屋敷の後にヒメラルダを住まわせ、シェイクは甲斐甲斐しく毎日そこに足を運んでいるのだ。
あまりにも美しいヒメラルダ。
彼女さえいれば他には何もいらない。
シルビアとの婚約は間違いだった。彼女を選択した僕の考えは正しかった。
それにやはり、聖女の言い伝えも嘘だったじゃないか。
何が聖女だ。
彼女がいなくなっても何も変化が起きていないではないか。
先祖たちも騙され続けていたのだ。
母上も悪い人ではなかったが、結果として父上を騙していたんだな。
シェイクは歴代の聖女のことを呪うかのように、天井を睨み付けていた。
だがハッとし、ヒメラルダの方に視線を戻す。
「すまない。少し考え事をしていたんだ。怖い顔をして怖がらせてしまったかな?」
何も喋らず、ヒメラルダは笑顔を返すだけ。
シェイクはそんな彼女の笑みに心を奪われていた。
屋敷を出て、町の中を歩くシェイク。
町の住人たちは彼の顔を見るなり頭を下げ、次期王である彼を敬っている様子。
そして町の住人の誰もが考えていた。
聖女の話は嘘だったんだ。
自分たちはこうして幸せに生活できている。
聖女などいなくても、自分たちに問題などないのだと。
聖女の伝承に半信半疑だった人たちも、ついにはそれが偽りであったと思い始めていた。
事実として、何もないのだから。
皆無事平穏に生活しているのだから。
聖女がいなくなってもなんら変化がないのだから。
だけどもしかしたら……そう考えていた連中も、いつしか結局嘘だったのかと安堵していく。
町の全ての住人が聖女の伝承を嘘だったと断定するのに、そう時間はかからなかった。
シルビアがいなくなって一ヶ月。
その頃には全員が全員、聖女の話を信じなくなっていた。
やはり僕も父上も正しかったのだ。
それみたことか。
シェイクはシルビアの住んでいた家屋――今は廃墟となった建物へと足を運び、ふんと鼻を鳴らしていた。
淀んだ空気の建物の中を一通り見渡し、彼は踵を返す。
「この建物もさっさと壊してくれ。忌々しい」
「はっ」
シェイクに仕えていた者が、直ちに建物の解体にかかった。
そんな彼らの様子を横目に、シェイクは城へと戻っていく。
揚々とした気分で帰路を行くシェイク。
自国の終わりがすぐそこまで近づいているとは露知らず……
◇◇◇◇◇◇◇
まず、雨が降った。
全ては少量の雨から始まる。
「雨、やまないな……もう三日も続いているぞ」
ソルディッチの住人たちは、軒先から空の様子を眺めていた。
心配などはしていない。
いずれ雨は止むであろう。
そう信じていた。
だが雨は止むことなく、その勢いは増すばかり。
強くなった雨は嵐に変化し、ソルディッチの畑や家屋を破壊する。
大勢の人が亡くなるが、しかし死体の回収もできないまま、家屋共々どこかへと流されていく。
「陛下……雨がやみません! もう一週間も降り続けています!」
「雨もいずれは止むであろう。それまで耐え凌ぐのだ」
兵士たちの不安な声を聞くも、ソルディッチ王は平然としていた。
こんなことぐらい、長い人生の中で一度ぐらいはあるだろう。
だが彼のその人生は終わりを迎えようとしていた。
雨も止まない中、今度は原因不明の病が流行り出す。
次々に倒れていく人々。
その中に、ソルディッチ王も含まれていた。
シェイクは愕然とした様子で、病床につく父親を見下ろしている。
まさか……このまま死ぬのではないだろうか……
彼は目の前で酷く苦しむ父親の顔を見ながら固まっている。
彼の予感は的中し、病に倒れてから一週間でソルディッチ王はこの世を去った。
だがそれでも、国で流行る病は留まることを知らない。
依然として流行し、広がりを見せる病。
その頃になると、とうとう雨は止むも、今度は飢饉が国を襲う。
食べる物がなく、飢えに苦しむ人々。
シェイクは辛うじて食べる物があったが、絶対的に食料が足りていなかった。
少量の食料の取り合いが始まり、ソルディッチでは殺し合いが始まる。
親が子供を殺し、子が親を殺す。
世話になった人も殺し、他殺がこの国では常識と化していく。
人口は一気に減り続けていくが、それでも食糧難は依然として続いていた。
国としてまともに機能しなくなったソルディッチ。
次の標的はシェイクだという噂が、彼の耳に届く。
「な、なぜ僕を狙うのだ?」
「食料を保管しているからでしょう……誰もが飢えを満たすために必死になっているのです」
飢えを満たすために、王族を殺すというのか?
シェイクはこれまで羨まれてきたはずなのにと、驚きを隠せないでいた。
そしてとうとう、住民たちが城の門へとやって来る。
大木を大勢で担ぎ、門を破壊しようとしていた。
なぜだ……なぜこんなことになってしまったのだ……
ついこの間までは全てが上手くいっていたはずなのに。
シェイクは恐怖と戸惑いに、その場から動けなくなっていた。
城門は決壊し、住民たちが城へと侵入する。
兵士たちは迎え撃つが、中には裏切る者も現れた。
食料を奪おうとする意志は凄まじく、彼らを止められそうにもない。
数人の兵士がシェイクのもとまで駆けつけ、大慌てで口を開く。
「シ、シェイク様! 今すぐお逃げ下さい! もうここは危険でございます」
「な……」
部下の言葉に固まってしまうシェイク。
ふとそこで、ヒメラルダのことを思い出す。
「ヒ、ヒメラルダはどこだ……?」
「ヒメラルダ様……?」
「そういえば、もう長いこと見ていないな」
「ど、どういうことだ……?」
シェイクもヒメラルダのことを長い間見ていないことを今更ながらに気づく。
何故あんな大事な女性のことを忘れてしまっていたのだ?
彼女の住む屋敷ももう流されてしまったというのに……
僕は屋敷が流された時、何をしたんだ?
その当日のことを思い出すことができないシェイク。
頭を抱えて思い出そうとしていたが、兵士が彼の手を取り、駆け出した。
「今はそんなことより、逃げましょう!」
「このままではシェイク様も殺されてしまいます!」
「あ、ああ……」
迫りくる住民のことを考え、シェイクは青い顔で逃げ出した。
しかしどこに逃げればいいのだ?
混乱したまま城の裏に用意されていた馬に跨り、十二名の兵士と共に城を飛び出した。
「こ、これは……」
城を出た先の景色を見渡し、シェイクたちは愕然としていた。
自然に囲まれていたはずのソルディッチ……
全てが流され、今は見る影もなく、ただ荒野が続いているようだった。
ぬかるみの中走る馬。
疲れからか、次々に馬も倒れていく。
「た、助けてくれ……」
馬と共に倒れる兵士たち。
だが誰も助けようとはしない。
人が減った方が、飢えをしのげるからだ。
食料はほんの少ししか残っていない。
数は一人でも少ない方がいいのだ。
馬が倒れる度に、兵士を放置していく。
そうしていると、とうとうシェイクと一人の兵士しか残らなかった。
「……シルビアはどこに行ったのだろうな?」
「アールモンドの方角に向かったと聞いております」
「アールモンド……」
今更ではあるが、聖女の伝承が本物だったのではと考え至るシェイク。
彼は唯一となった兵士と共に、アールモンドへと向かうことにした。
聖女の話は本当だったんだ。
僕が悪かった、シルビア。
今僕は、君を迎えに行く。
そして僕を許してくれ。
そうすることによって、きっとまた、ソルディッチは平穏を取り戻すことができるはずだから。
もう僕は他の女性に目もくれないと約束しよう。
これからは二人で力を合わせて、ソルディッチを再建していくんだ。
心の中でシルビアに謝罪をするシェイク。
愚かにも、まだ自分たちはやり直せるはずだと信じて……
◇◇◇◇◇◇◇
「シルビア様……あなたについて来て、本当に良かった。私たちはあなたを信じたおかげで幸せになれました」
私について来た十九人の男女。
彼らは今目の前に広がっている光景に、奇跡でも見ているかのような表情を浮かべている。
いや、違う。
これは奇跡そのものだ。
痩せた大地は生き返り、緑がどこまでも広がっている。
少なかった食料も今は潤沢にあり、生きとし生けるもの全てが笑顔を浮かべていた。
以前のアールモンドの姿はもうない。
今は奇跡によって生まれ変わったアールモンドがある。
「シルビア。君を信じてよかった。アールモンドがここまで変わるだなんて、今でも夢を見ているような気分だよ」
「アレン様。これが神の加護なのです。あなたが信じてくれた聖女の力なのです」
隣に立つアレン様は、私の肩を優しく抱く。
彼は優しい笑顔で私の耳に口を当てる。
「俺は何があろうとも君を信じている。出逢った瞬間から、死ぬまでずっとね」
「ならば私もあなたを信じます。きっとアレン様なら私を幸せにしてくれると」
「約束する。絶対に君を幸せにしてみせると」
噂によると、ソルディッチは壊滅寸前だとか……
もう興味もないのでどうでもいいが。
やはりあの国は亡びる運命にあったのだ。
シェイクが私との婚約を破棄した瞬間から……
いいえ、彼の父上が聖女である奥様をぞんざいな扱いをした時からだ。
いまだ豊かになり続けるアールモンド。
そのうち以前のソルディッチをも超え、大きな国になるのだろう。
私は穏やかに暮らせればそれでいいから、国の大きさなどどうでもいいのだけれど。
アレン様がいれば、私は真の心の平穏を手に入れることができる。
本当に穏やかな生活は、彼と共にあるのだ。
彼の肩に頭を預けながら、ぼんやりと遠くを眺める。
「?」
すると、町の外――地平線の方から馬に乗った何者かが、こちらに向かってやって来ていた。
馬はどうやら二頭いるようで、それぞれ一人ずつ乗っているのが分かる。
「……シェイク?」
「シェイク……確か、ソルディッチの王子……?」
「ええ」
何故彼がここに?
シェイクがこちらへと近づいて来る。
ドンドン私との距離を縮め――とうとう彼は私の姿を発見した。
彼はまるで運命の女性にでも出逢ったかのように、明るい表情を見せる。
私は寸分も動かない感情のまま、泥だらけとなった彼の姿を眺めていた。
「シルビア……君を迎えに来たよ」
「は?」
私はシェイクの言葉に唖然としていた。
この人、何を言っているのだろうか?
「シルビア……僕は聖女の話を信じていなかった。だけど今分かったんだ! あの伝説は本当だったんだと」
「はぁ……」
シェイクは馬から降り、ジト目で見ている私に跪く。
「神がそれを僕に教えてくれた……そうとしか考えられない。ソルディッチに壊滅的な被害をもたらし、ヒメラルダの色香に騙されていた僕の目を覚まさせたんだ。君もそう思わないか?」
「いや、思いません」
「え……? あ、いや、まずは君に謝るべきだった。君のことを信じなくて本当に悪かった。許してくれ。だから僕と一緒にソルディッチに戻って――」
「すまないが、俺の大事なシルビアを誘惑しないでもらえないか?」
「……誰だお前は?」
私の前に立ち、アレン様はシェイクを見下ろす。
シェイクはそんなアレン様に怪訝そうな視線を向けている。
「この方、私の旦那様でございます。なのであなたとソルディッチに戻るなどという選択肢はございません」
「……な、何を言っているんだ?」
「話を理解できていないのか? 彼女は俺の妻であり、生涯をここで共に暮らしていくんだ。もう君とは無関係な人間なんだよ」
「お、お前……裏切ったのか! 僕を、ソルディッチを!」
私はシェイクの言葉に呆れ返り、立ち眩みを起こす。
この方はバカなのかと思っていたが、どうやら本物のバカのようだ。
先に裏切ったのはそちらの方だというのに。
「とにかく、もうあなたとは無関係ですので、お引き取りくださいませ」
「…………」
私とアレン様は踵を返し、城の方へと戻ろうとした。
するとシェイクが背後で涙を流しながら叫び出す。
「シルビア! 僕とやり直してくれ! 頼む……君がいないとソルディッチが――」
「お前は自分のことしか考えていないのだな。お前が大事なのは自分とその身分。それを維持するためにシルビアを呼び戻しにきたのだろう」
「な、なんだと……だがそれならお前も同じだろ! 彼女の加護を信じているから――」
「俺が信じているのは加護の力などではない。彼女自身を信じている」
アレン様は一度私に微笑みかけ、そしてシェイクを睨み付ける。
「彼女のためならば、俺はこの身分を喜んで捨てよう。神の加護だっていらない。国も他の者に任せ手放しても構わないと考えている。俺はシルビアを愛している。だからこそ、シルビアは俺を選んでくれたんだ」
私はアレン様の言葉に胸を高鳴らせていた。
こんなにも私のことを想ってくれていただなんて……
だからこそなのかもしれない。
彼と共にいる時間が、とても穏やかなのは。
私は何も言わず、彼の手を握る。
するとアレン様も私の手を握り返してきた。
「もうお分かりでしょう? 私とアレン様の絆は永遠。あなたが入り込む余地など最初からないのです」
「嘘だ……嘘だ! シルビア! 俺を選んでくれ、シルビア!!」
シェイクが私たちの後ろで泣き叫んでいるが、私は気にすることなくアレン様と城へと戻って行く。
そこで永遠に嘆いていればいいわ。
◇◇◇◇◇◇◇
「許さない……絶対に許さないぞ、シルビア!」
夜のアールモンドでシェイクは一人、天を睨みつけながら怒鳴り声をあげていた。
部下の兵士はシェイクを見限り、どこか一人去った後だ。
自分が蒔いた種だというのに、シェイクはシルビアに責任転嫁し怒り狂う。
「そうだ……あいつが表に出た時、後ろから刺し殺してやろうか。それぐらいしなければ、僕の国を崩壊させた罪は償えない。よーし……やってやる。明日やってやるぞ」
醜悪に満ちた笑みを浮かべるシェイク。
するとそんな彼の前に、一人の女性がふらりと姿を現せる。
「……ヒメラルダ!? どうしてここに……」
「…………」
まるで幽霊でも見るかのように、引きつった顔でシェイクは現れたヒメラルダの顔を眺めている。
彼女は一歩一歩、シェイクに近づいて行く。
「シェイク……」
「ヒ、ヒメラルダ……そうか、僕に会いに来てくれたんだね」
「ええ」
彼女の愛を感じたのだろうか、シェイクは涙を浮かべながらヒメラルダに近寄って行く。
そして二人は触れ合える距離まで接近していた。
「嬉しいよ、ヒメラルダ。シルビアに復讐をしたら一緒にソルディッチに帰ろう」
「いいえ。帰らないわ」
「え……?」
「私はあなたに会いに来た……でもそれは、あなたに罰を与えるために」
「ば、罰……? 何を言って……っ!?」
それは突然のことだった。
シェイクの足が、木に変化していく。
変化した部分は徐々に上半身へと上っていき、とうとう腰まで木になってしまう。
「うわああああああああ!? なんだ、何が起きているんだ!?」
「ソルディッチは罪を犯した。私の寵愛を受けた聖女をあなたの父は虐げた。これは赦されることではない。私との約束を破ったのだから」
「は、母上……それに君との約束って……」
ハッとするシェイク。
首元まで木が迫っており、青い顔でヒメラルダの顔を見つめている。
「まさか……神?」
「シルビアをソルディッチから解放するためにお前に近づいた。後はこの地が滅びるまで、この場で生き続けるがいい」
「待って……待って――」
とうとうシェイクの身体は完全に木に飲み込まれてしまう。
そのまま大木へとなり、シェイクが中にいるとは誰も思わない状態となった。
「…………」
ヒメラルダ――シルビアを聖女と選んだ神は、スッとそのまま姿を消してしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
「こんな大きな木、ありましたか?」
「どうだろう……記憶にないな」
城の裏手に一本の大木が現れていた。
アレン様は記憶にないらしく、首を傾げている。
絶対になかったと私は思うのだけれど……私の記憶も定かではない。
だけど、木の一本ぐらいどうでもいいか。
だって私はとても幸せなのだから。
「シルビア。今日も美しいよ」
頬を染めて、私のことを褒めてくれるアレン様。
彼のそんなところが凄く愛おしくて、私は目を細めて彼に言う。
「ありがとうございます。これからも一生そう言ってくれますか?」
「たとえ僕が死んでしまったとしても、来世でも言い続けるよ」
私は彼の真摯な愛に胸を弾ませる。
この国には……私たちには神がついてくれているのだ。
きっとこれからも、幸せで穏やかな時間は続いていくのだろう。
私は愛おしい人の手を取り、眩いほどの太陽に目を向ける。
どうか、いつまでも私たちに恵みを与えて下さりますように……
すると、キラッと太陽の輝きが増したような気がした。
おわり