シェイラと尚希
「どうしよう……来ちゃった……」
目の前に大きな門を見据えて、シェイラは溜め息をついた。
「実さん、会ってくれるかな…?」
いざ来てみたものの、この大きな門を前にすると不安が込み上げてきて足がすくむ。
さっきは結局、逃げるようにして帰ってしまった。
実に言われたことを受け止めきれなかったのもあるし、初めて見た実の表情や雰囲気がなんとなく怖くて、その場に留まることに耐えられなかったのもある。
それでもやはり、限界が来ている自分にとって、実は唯一頼れる存在だった。
会いたい。
もう一度彼と話をしたい。
それで、少しでも長く彼の隣にいたい。
恋愛感情とは違うけれど、どうしようもなくそう思う。
―――いや、いっそこの気持ちを恋愛感情にできたなら、自分はある意味楽になれるのかもしれない。
「どうしよう……」
シェイラは無為に足踏みをする。
数分前から門の前にいるのだが、決心がつかずに門に手を伸ばしてはやめ、また手を伸ばしてはやめ……
ずっと、それの繰り返しだ。
「さっきあんなだったし、会ってくれなかったらどうしよう…。一日くらい、時間を置いてから来るべきだったかな。でも……」
門に手をかけて、またそこで手が止まる。
実に会いたい。
でも、実は自分がこんなことを考えていると知ったら、どんな顔をするのだろう。
板挟みから逃げたくて、彼に恋愛感情を持てたらなんて……そんなことを思っていると知ったら―――
「どうしたの?」
真後ろから、突然かけられた声。
シェイラは固まり、数秒後―――
バンッ
勢いよく振り向くと同時に、後ずさった勢いで門に激突した。
「そ、そんなに驚かなくても……」
声をかけてきた男性が、ぱちくりと目をしばたたかせる。
「あ、あなたは……」
「実や拓也と一緒にいたんだけど、覚えてない? 尚希だよ。あ、でも……エーリリテにはキースって呼ばれてるな。……まあ、どっちの呼び名でも構わないよ。」
「あ…」
緊張状態を脱したシェイラの中で、ようやく合点がいく。
「エーリリテさんの……」
言うと、尚希は困ったように眉を下げて笑った。
「あはは…。やっぱり、そっちで覚えられちゃってる?」
「そうですね。」
尚希の立場も少し気の毒だと思っていたので、シェイラは尚希と同じように苦笑を呈した。
「この辺りは、その話で持ちきりでしたから。キースさん、急に有名人ですね。」
「それなんだけど……」
尚希が頭痛でもこらえるように頭を抱える。
「この街は、間違っても田舎ってわけじゃないと思うんだけど、この音速並みの話の広がり方はなんなの?」
「ああ、それなら……」
呟いた瞬間、尚希の目がきらりと光った。
「何!? 何か知ってるの!?」
「え、ええ……」
シェイラは記憶を手繰り寄せる。
「領主様が、上機嫌で言い回ってました。よほど嬉しかったのか、同じ人に何度も同じ話をしてしまうくらいで。最後には、ユリアス様に引きずられていったみたいです、けど……」
シェイラがそこまで言うと同時に、口をあんぐりと開けていた尚希が脱力して門にもたれかかった。
「犯人は、あの人だったのか…っ。ってか、あの人もあの人で、なんかおかしくない? 普通、娘の結婚をああも簡単に認めるもん? オレたち、会ってから数日しか経ってないよ? それなのに、あの人の暴走で結婚前提まで発展しちゃって…。いや、確かに一目惚れはしましたけど。オレはいいかなって思わないでもないけど。でも、どう考えても展開が早すぎるって。……でも、元はといえばオレが口を滑らせたのが原因であって、やっぱオレのせいなのか…?」
「キ、キースさん…?」
だめだ。
完全に一人の世界へと旅立っている。
この独り言は、果たして自分が聞いてもいいのだろうか。
シェイラが自分の立ち位置に悩んでいる間にも、尚希はエーリリテと自分の関係に対する責任について、呪文のように呟き続けている。
「キースさん、帰ってきてください!」
聞けば聞くほど可哀想になってきて、シェイラはたまらず尚希の袖を揺らした。
すると、尚希は大袈裟にも思えるほど大きく肩を震わせて我に返る。
「あっ……ごめん。変なことを聞かせちゃったね。」
気まずげな尚希の頬が、羞恥でほんのり色づく。
「大丈夫です。胸にしまっておきますから。」
「助かる。」
照れくさそうな尚希に、シェイラはくすりと笑ってもう一度口を開いた。
「……多分、ほっとしたんじゃないでしょうか?」
そう呟くと、尚希が意味を問うような仕草で首を傾げてくる。
「私、エーリリテさんと仲がいいので、少しだけ知ってるんです。本当なら、エーリリテさんはもう婚約者がいて、結婚しててもおかしくない歳なんだって。でも、エーリリテさんってあの性格じゃないですか。」
脳裏に、まっすぐすぎるエーリリテの姿が浮かぶ。
「どうせなら好きになった人と一緒になりたいって、日頃から言ってましたよ。領主を継ぐのが自分しかいないなら、こんなわがままも言えなかっただろうけどって…。私にはああいう偉い人たちの世界は分からないですけど、好きな人と一緒になりたいって気持ちはすごく分かるんです。領主様もお優しいから、エーリリテさんの気持ちを汲んでくれてて。それでようやく、エーリリテさんが選んでもいいって人が出てきたんですから、エーリリテさんも領主様も逃がす気ないですよ、絶対。」
長い付き合いだからこそ、そう断言できる。
すっかりシェイラの言葉に聞き入っていた尚希はしばらく何も言えずにいたが、時間をかけて表情を穏やかなものへと変化させていった。
「逃げられない、か。肝に銘じておくよ。」
尚希は肩をすくめ、ふと視線を下へと滑らせる。
「それにしても、そっか…。確かに、普通ならもう結婚してるはずの歳だよな。まあ、それを言ったら、オレだってかなり特殊だけど。」
「特殊、ですか?」
「ああ、ごめんね。こっちの話。」
尚希はごまかすように手を振る。
「そういえば、どうしてここでうろうろしてたの?」
そして、さらりと話題を変えてきた。
「えっ!?」
油断していたところに自分の話を放り込まれて、シェイラは瞬く間に小パニックに陥る。
「あのっ、べ、別に大した用ではなくて…。その……み、実さんに少し会いたくて…っ」
「実に?」
尚希は少しだけ瞠目したが、それ以上は言及せずに後方を振り仰いだ。
「実となら、さっき大通りで会ったよ。なんか用があるって言って、拓也と一緒に歩いていったけど。」
「え…」
それ以上の声が出なかった。
ここで散々悩んでいたのに、肝心の実がいないなんて。
「そうなんですか……」
ぽつりと零れた声は、自分でもびっくりするくらいに暗く落ち込んだものだった。
それを聞いて、やはり自分は相当実と話したかったのだと思い知る。
「……大事な話?」
こちらと目線を合わせた尚希が、優しく訊いてくる。
柔らかな夕焼け色の瞳。
それを見ていると、ふっと肩の力が抜けていく気がした。
「はい。実はさっきも来たんですけど、その時は変な終わり方になっちゃったんです。だから、もう一度話したくて……」
不思議なことに、するすると言葉が出てくる。
「そっか。じゃあさ、代わりにオレが聞いてあげようか?」
「え?」
思わぬ申し出に、シェイラは素っ頓狂な声をあげる。
一方の尚希は、ただ優しく彼女を見つめる。
「だって、すぐにでも言いたいって顔をしてるから。オレじゃあシェイラちゃんが求めてることは言えないかもしれないけど、話を聞くことだけならできる。まあ、オレに話すってことは、おまけでエーリリテもついてくるけどね。どうする?」
シェイラは、目を丸くして尚希を見上げた。
不思議な人だ。
そう思った。
尚希の声は、不思議な心地よさを含んでいた。
実の声が心の真ん中に直接響くものだとしたら、尚希の声は心の外側からそっと包んでくれるような優しいもの。
温かくて、どんなことでも受け入れてくれそうな甘い響き。
決して強要してくるわけではない。
でも、自分の気持ちと自然と向き合わせてくれる声だった。
この人には、話しても大丈夫かもしれない。
躊躇いや反感はこれっぽっちもなく、ごくごく自然にそう思えた。
「聞いてほしい、です。」
素直に頷くと、尚希はまるで親のように目元を和ませて微笑んだ。




