すがりついたのは―――
シェイラは深い落胆の中にいた。
その落胆とは裏腹に、急く足は忙しなく地を蹴る。
グランと決別することもできず、フェンと理解し合うこともできない。
自分がどんなに行動して意思表示をしても、あの二人は分かってくれない。
どう動いても、どう考えても、八方塞がりでお手上げ状態なのだ。
どうにかしたい。
この胸の内を誰かに聞いてほしい。
助けてほしい。
そんな追い詰められた気持ちに背中を押されて、シェイラはとある家の門をくぐった。
「あら、シェイラさん。」
突然の来客に、屋敷の使用人であるサラは驚きの声をあげた。
「申し訳ありません。エーリリテ様は今……」
「あ、いいんです!」
シェイラはサラの顔を見ないようにうつむいて、彼女の言葉を遮る。
「その……今日は、えっと……み、実さんに用があって。」
「実様に?」
サラの声に、ますます不思議そうな響きが混じる。
シェイラが実に用があって訪ねてきたことは、サラの知る限りでは一度もなかったからだ。
サラは目をしばたたかせながらも、何かを考えるように虚空を見上げる。
「少々お待ちくださいね。実様って、いつどこにいるのか分からない方なので。今捜してきますわ。」
「は、はい…。すみません。」
「いいよ。捜さなくて。」
突然割り込んできた声に、シェイラとサラの心臓がどきりと跳ねる。
シェイラの後ろ。
開いた扉を支えているのが、いつの間にか実に変わっていたのだ。
「みっ、実様!? いつ屋敷から出ていかれたのですか?」
「ん? ハエルと一緒に、一時間くらい前に出たよ。」
「そんな…。私、全然気付きませんでしたわ。」
「そりゃそうだよ。窓から出ていったもん。」
「……やはりそうですか。」
さらりと言う実に、サラはがっくりと肩を落とす。
「実様。お願いですから、出かける時は玄関から出ていってください。こういう時に困るのは、私たちなのですよ?」
「はーい。」
軽い返事には、反省の色は全く見受けられない。
実は玄関に入りながら、無言でシェイラの腕を掴んで引っ張った。
「きゃっ…」
突然のことにシェイラが短い悲鳴をあげるも、実は気にしてもいない。
「サラ。お茶とかいらないから。」
「しかし、実様……」
「いいのいいの。そんなに長くならないし。」
「……分かりました。」
サラとのやり取りを終えた実はシェイラの腕を引いたまま、上へと続く階段を上る。
「あ、あの、実さん…っ」
シェイラが呼びかけると、実は歩みを止めないまま、顔だけを彼女に向ける。
その表情は、穏やかながらも怜悧さを含んだもの。
それに、シェイラは思わず息を飲んでしまった。
「話があるんでしょ? 俺に。」
「え…」
全てを見抜かれている。
そう気付いた瞬間、シェイラは言葉を紡ぐ術を失ってしまった。
再び前を向いた実は、自分の部屋に着くまで一度もシェイラを振り返らなかった。
「知っていたんですか? 私がここに来るって。」
部屋に入ると腕を解放されたので、シェイラは思いきって訊いてみた。
すると、部屋の鍵をかけて室内を移動しながら、実が口を開く。
「まあね。昨日、よりによってシェイラの前であんなことを言っちゃったし。家に帰ってから、自分の失言に気付いたよ。シェイラが食いつかないわけないもん。」
窓枠にもたれかかり、実は深く息を吐き出す。
それを見たシェイラは、服の裾をぎゅっと握り締めた。
「随分……分かったような口を利くんですね。まるで、私のことを全部理解しているみたいです。」
「現に、シェイラはここにいるじゃん。」
「それは……実さんが、私と同じだからですか?」
数秒の間、沈黙が降りた。
「………そうだね。」
実は、くすりと微笑む。
「近からず、遠からずってとこかな。」
「そうですか…。なら、実さんは私がこれから何を訊こうとしているのかも分かっているんですか?」
「完全に当たっているとは言えないけど、大方察しはついてるよ。」
「じゃあ、単刀直入に言います。」
シェイラは深く息を吸った。
心臓が早鐘を打ち始める。
言葉が上手く出てこない。
それでも、シェイラは意を決して口を開いた。
「あなたは……力が、嫌いなんですか?」
昨日から、訊きたくて仕方がなかった。
実のあの言葉を聞いてから。
『力だけが全てとは、よく言ったもんだよ。』
ただでさえ、以前から実に関しては気になる節が多々あったのだ。
実に絡んでいくのは大体グランの方だったが、実のグランやフェンに対しての態度には、少なからず嘲りや蔑みが表れているように思えた。
それに気付いてからというもの、実のことを注意深く見るようになった。
そして、グランやフェンを見る実の表情に、同情とも憐れみともつかない、不思議な感情が見え隠れすることにも気付いた。
そして、決定打が昨日の発言。
実は自分にとって、もうただの知り合いでは片付けられない存在なのだ。
「………」
黙っている実。
ひたすらに待ち続けるシェイラの心に、不安が生まれる。
思わず彼女が奥歯を噛み締めた、その時。
「―――嫌いだよ。」
ぽつりと零れた実の言葉に、背筋が凍った。
抑揚の欠けた、冷たい声。
それは、いつもの実の声じゃなかった。
彼の声に込められた何かに、心の奥底から恐怖が勢いよく噴き出す。
全身が硬直して、呼吸すらもが奪われそうになる。
シェイラは、とっさに実から視線を逸らしてしまう。
あまりにも怖くて、実の顔を見られなかったのだ。
「それは……どうして、ですか?」
震える声で問う。
それに対して、実の声音は冷ややかなものだった。
「力は、奪うことばかりしかしないからね。確かに、ある程度の力はあると便利かもしれない。だけど、ありすぎる力は不幸や災いしか運んでこない。そして、周りを傷つけるだけ傷つけて、奪えるだけ奪って……最後には、何事もなかったかのように消えていく。身の丈に合わない力を求めるだけ、痛い目に遭うのは自分と……自分の大切な人たちだ。」
「………っ」
実の言葉を聞き、シェイラは小刻みに肩を震わせた。
とうとう見つけた。
自分と同じ人間に。
声も出ないほどに嬉しかった。
目頭に熱いものが込み上げてきて、そのまま零れ落ちていく。
それを拭うことも忘れて、シェイラは生まれて初めて出会った同胞を、ただひたすらに見つめていた。
「えっ……シェイラ?」
実がぎょっとしたように目を見開き、躊躇いながらもシェイラに近付く。
「―――っ」
全身を貫く衝動に突き動かされるままに、シェイラは実の胸の中に飛び込んだ。
まさかの展開に、実は反射的にシェイラを受け止めたまま固まる。
実の動揺は感じ取ったものの、シェイラは彼のことを離すまいと、全力をこめてその体にすがりつくのだった。




