とある酒場での珍事件
それからしばらくして。
実たちは、街のとある酒場に来ていた。
店内には暗めの照明が落とされており、居心地のよい落ち着いた雰囲気が醸し出されている。
いわゆる、大人向けのバーといったところだ。
しかし、普段なら静かな店内が今日はとてもざわめいていた。
「なあ……オレ、帰っていいか?」
「帰れるんならどうぞ。」
おずおずと訊ねた尚希に、実はそっけなく答える。
そんな実の隣から、拓也は憐れみに満ちた表情を尚希に向ける。
エーリリテに恋人ができたらしいという情報は、この辺り一帯に光の速さで広まっていた。
どうやら、イリヤが半泣きで言いふらしたらしい。
実が人形たちとの戦いを早く終わらせたのは、拓也と尚希をエーリリテの仕事場であるこの酒場に連れてくるためだった。
だけど、まさかそのせいでこんな展開になるとは……
見たことのない顔。
エーリリテと同年代であろう容姿。
それに加えて実と共にいるという符号の一致で、尚希がエーリリテの恋人であることはすぐに見破られた。
酒場の人々から好奇心丸出しの視線を向けられて状況を悟った尚希は、くるりと店に背を向けて脱走を試みた。
だが、甘かった。
その反応を面白がった人々にあっという間に囲まれ、店の奥へと引きずり込まれて今。
尚希は、現在進行形で質問の嵐にさらされていた。
尚希の隣に座る大男が、げらげらと笑いながら尚希の肩に手を回す。
「だーめだ。今日は朝まで帰さん。まだなーんにも答えてねえじゃねぇか。なっ、みんな!」
男の呼びかけに、酒場の全員が賛同の意を返す。
そう広くない酒場だ。
もはや、店内にいる全ての客が尚希の周りに集結しているといっても過言ではない状態だった。
大男が尚希に酒を勧めるが、尚希はそれをやんわりと押し返す。
「すみません。オレ、あまり酒は強くないので……」
流されまいとした精一杯の抵抗だったのだが、大男は大きく目を見開いた後、にやりと唇を吊り上げる。
「何!? おい、もっと酒を持ってこい。とっとと酔い潰して吐かせちまおうぜ。」
「やめてください!」
完全に逆効果だ。
盛り上がる周りと焦る尚希。
実と拓也はというと、やや離れたカウンター席から賑やかなテーブル席を眺めることしかできずにいた。
「可哀想に……」
痛々しそうな同情の目で呟く拓也を横に、実は至って冷静な様子で氷水を一口飲む。
「まあ、仕方ないよね。尚希さんは逃げようとしてるけど、それが逆に周りを煽ってるから。下手に助けようとしたら、俺たちまで巻き添えだよ。」
「………」
実のにべもない言いように、拓也は返す言葉もなく押し黙る。
「おい、実!!」
大男が大声をあげる。
実は返事はせずに、目だけをそちらに向けた。
「よくやった! 今日は退屈しないで済むぜ!」
「いや、たまたまなんだけど……」
狙ってのことではないと強調したつもりだったが、大男は実の答えなど聞いてはいなかった。
「みんな! 今日はこいつを肴に、とことん飲むぞ!!」
酒場の盛り上がりは最高潮だ。
その時―――
「うるさい!」
マイクを通して、凛とした声が店内に響き渡った。
喧噪が嘘のように静まり、全員の視線が奥のステージ上に注がれる。
そこでは、エーリリテが不機嫌と不愉快の両方を窺わせるような、威圧感たっぷりの表情で腕を組んでいた。
ステージの裾では、店員らしき何人かが困り果てた様子で店内の様子を見つめている。
「店の雰囲気を壊さないでくれない? 騒ぐんなら、よそへ行って。」
ともすれば反感を買いかねない物言いだったが、明らかに非は客たちにある。
水を打ったように静まる店内の中、ただ一人その空気をぶち壊す人物がいた。
「おう、嬢ちゃん! ようやくもう一人の主役が来たなあ!」
大男が、懲りない様子でグラスを高々と掲げる。
そういえば、酒場が騒がしくなった大きな原因はこの男だったか。
その大男を見やり、エーリリテは大きく息を吐き出した。
「……って、コーレンおじさん。あなたがいるだけで、もう店の雰囲気はぶち壊しよ。なんで今日はいつものところじゃなくて、ここに―――」
エーリリテは、言葉の途中で瞠目する。
それも無理もないだろう。
コーレンという大男の隣には、首を絞められるような力強さで彼に捕まえられている尚希の姿があったのだから。
「キ、キース!?」
ものすごく動揺している様子のエーリリテだったが、すぐさまその顔が別の感情に彩られる。
怒りの形相になった彼女が食ってかかる相手は、一人だけだった。




