〝鍵〟ということ
「………」
一体、何が起こったのか。
目の前の光景が信じられない拓也と尚希は、その場に立ち尽くすしかなかった。
―――何もなかったのだ。
実が対峙していたはずの人形たちが、跡形もなく消えている。
阿鼻叫喚だった昨日の様子とは正反対だ。
実も拓也たちも、何も言わない。
このまま、無為に沈黙だけが過ぎていくのだと思われた。
その時―――
「………っ」
実が、がくりと膝をついた。
慌てた拓也が実に近寄ると、紙よりも白い顔色になった実が、喘ぐように荒い呼吸を繰り返していた。
額に浮いた汗が、たらりと頬を伝って落ちていく。
「……だい、じょうぶ。慣れないことをしたから、力を使いすぎただけ。」
拓也に何かを言われる前に、実は先手を打って断りを入れる。
それに拓也がほっと安堵したようだったので、これ以上の心配は必要ないという意図を込めて微笑みを浮かべる。
そうしていると、別の影が目の前に立つ。
視線を上げると、尚希がこちらをじっと見つめていた。
その表情は拓也とは異なり、一言では言い表せない複雑な何かをたたえている。
「実。」
静かに、尚希が呼びかけてくる。
「どうして、今まではこんな戦い方をしなかった。」
「………っ」
その問いに、実はとっさに答えを繕うことができなかった。
黙ったまま固まる実を見下ろし、尚希は続ける。
「確かに、精霊魔法は魔力の消費量が激しい。頻繁に使う術ではないだろう。でも、昨日みたいな戦い方よりは何倍もいいはずだ。あんな……自分の身を削る戦い方よりは。」
「……地球に戻ることや魔法の痕跡を消すことを考えると、あまりにも効率が悪いんです。今日は尚希さんや拓也が一緒にいて、それを考える必要がなかったので使ってみました。それに、成功するかも分からないぶっつけ本番の魔法でもありましたし。」
震えそうになる声を、余裕を滲ませた笑みでごまかす。
多分、尚希にこの動揺は伝わっていない。
それは分かっている。
なのに―――尚希の問いが、ぐるぐると頭の中を巡る。
尚希は、どうしてこんなことを訊いてきたのだろう。
彼の目は、口から語られる答えではなく、そのさらに奥底を見定めるようなものだ。
……まさか、尚希は自分が抱える破滅願望に気付いているのだろうか。
いや、そんなはずはない。
理性がすぐさま否定する。
封印を解いてから、自分を偽ることだけは上手くなった。
他人の心情がそれなりに読めるようになった分、どんな態度でどう言い繕えばいいかは簡単に推察できるのだ。
だから、自分でも最近気付いたこの願望に尚希が気付いているはずがない。
気付くわけがない。
でも……
思わず、奥歯を噛み締めてしまう。
自分でも理解し難いこの気持ち。
それを他人に知られてしまうかもしれないことが、こうも怖いだなんて。
とにかく、今はボロが出る前に話を変えた方がいい。
理性を飲み込んでくるような恐怖と動揺を必死に振り払うように、実は勢いよくその場から立ち上がった。
「そういえば、尚希さん。」
「ん?」
首を傾げた尚希に、実は手のひらに転がした銀の腕輪を見せる。
「分かりましたか? 俺がこれをする理由。」
訊ねると、尚希も拓也もハッとして目を見開き、険しい表情で不自然に視線を逸らしてしまった。
さすがは一流の魔法使いたる二人。
予想どおり、答えに行き着いているようだ。
「………」
実が満足そうな顔をする一方、拓也と尚希はじわじわと思い知っていた。
―――実と自分たちは違うのだということを。
実の身に宿る魔力は、並大抵のものではない。
しかし、それだけではなかった。
たとえこの場に実と同等の力を持つ者がどれだけいたとしても、実だけは確実に見分けられるだろう。
決定的に何が違うとは明言できない。
だが、その違和感が実を異質な存在に仕立ててしまう。
「やっぱり、この世界の空間にいると、俺ってかなり浮くんですね。これが〝鍵〟ってことですよ。」
言いながら、実は腕輪を手首にはめる。
その瞬間、実の全身から魔力と異質な何かが霧散した。
拓也たちが自然に肩の力を抜くのを視界の端で認めつつ、実は溜め息を吐き出す。
「封印を解いて身に沁みましたけど、無駄に魔力が強くなっちゃってて…。これをしてないと、いつ誰にばれるか分からないんです。」
「……なるほどな。」
身をもって〝鍵〟の異質さを知った尚希は、複雑な表情をするしかない。
話に聞きながらも、ずっと分からないでいたのだ。
この世界では、何故これまで正確に〝鍵〟を殺すことができていたのか。
外見は同じ人間なのに、どうして他と見分けがついたのかと。
百聞は一見にしかずとは、まさにこのことだろう。
一気にその疑問は氷解した。
無理に言葉を当てはめるなら、魂の違いとでも言えばいいのか。
そんな根本からの違いが、確かにここにあった。
「神様とやらも厄介ですよね…。どうせ〝鍵〟だってばれないようにしてくれるんなら、期間限定じゃなくて、ずっとの方がよかったんですけど……」
消え入るような小さい声と、半ば虚ろな表情。
そこに、恨みや憎しみといった感情は存在していなかった。
代わりにあるのは小さな困惑と、諦観を感じさせるような疲弊。
そんなものばかり。
出会ったばかりの実なら到底浮かべなかったその表情が、身に余る運命の残酷さを如実に語っているようだった。
「―――さてと。」
もう一度息を吐きながらうつむいた実が、すぐにパッと顔を上げる。
その実を見た拓也たちは、息を飲まざるを得なかった。
実は、笑っていた。
先ほどまでの表情は、残滓すらも見えないほどに消えている。
「……み、実?」
「何?」
「もう大丈夫なのか?」
「何がです?」
思わずそう訊ねる拓也と尚希に、実は不思議そうに首を傾げるだけ。
「………」
続ける言葉が見つからなかった。
己の背負った運命に怯えず、悲しまず、恨みもしない。
そんな実の態度や雰囲気は、気丈だと言って受け流すにはあまりにも痛々しく思えて……
複雑な思いで顔を見合わせる拓也と尚希に、実はやはり不思議そうな視線を向けていた。




