実の異変
実たち三人がピアノ部屋に駆けつけると、エーリリテが自分よりも一回りも二回りも大きい男に睨みを利かせていた。
「だからぁ、言ってるだろ? シェイラは今日、俺と約束があるんだよ。だから迎えに来たんだって。」
男に物言いに、エーリリテが鼻をふんと鳴らす。
「約束なら、別の日にしなさいよ。こっちの方が優先よ。」
エーリリテがそう言うが、男はそれでも引く様子がない。
「今日の約束は、ずっと前からだったんだぜ?」
「じゃあなんで、シェイラはここに来たわけ? 前々から予定が入っていたなら、今日にレッスンは入れないはずよ。」
「はっ、どうだか。」
男が嘲笑を浮かべる。
「日程なんて、どうせお前が勝手に決めてるんだろ? 領主様の娘の言うことを、聞かないわけにはいかないもんな。」
その言葉に、エーリリテがカッとしたような表情を見せた。
勢いに任せるまま、エーリリテは男性の胸ぐらを乱暴に掴む。
「じゃあ、なんでシェイラはあんなに怯えているの!?」
エーリリテが男に向かって怒号を飛ばす。
シェイラは、ピアノの陰に隠れるようにして立っていた。
その目はエーリリテの言うとおり、どことなく怯えているようにも見える。
「私のことをどう言おうと勝手よ。それ相応のことをしてきたと思っているもの。当然だわ。でもね、シェイラはあなたが来た瞬間からずっと怯えているのよ。約束があって迎えに来たなら、どうしてこんなに怯える必要があるのよ?」
エーリリテは男を離すと、そのまま男をシェイラの方へ押しやった。
「答えは、シェイラに聞くのね。」
急に自分の方へ男を押しやられたシェイラは息を飲んだ。
相当怯えているのか、顔色は青を通り越して蒼白だったが、それでも彼女は手を強く握り締め、小さな声で言う。
「かっ……帰って。」
本当に小さな声だったが、男には十分に届いたようだ。
男の顔が、あっという間に怒りに染まる。
「シェイラ!」
男の声に、シェイラはビクッと身をすくめた。
しかし、彼女は自分を奮い立たせるように目を一度きつく閉じると、次に涙目で男を見据えた。
「お願い、帰って。私は、好きでここに来てるの。相手がエーリリテさんだからじゃないわ。だから、帰って。帰ってよ!」
「………っ」
シェイラに言い切られた男は、眉根を険しくする。
そして、忌々しげに舌を打つと踵を返した。
そこで、男と実たちの目が初めて合う。
男は若かった。
実や拓也よりは、尚希に近い年格好だ。
男は驚いたように目を丸くする。
そして、その時たまたま一番前にいた拓也にじっと目を凝らした。
探るようなその視線に、拓也は不可解そうに眉を寄せる。
「……な、なんですか?」
「お前……結構力が強いんだな。まあ、俺には劣るかな。」
「………っ!!」
男の言葉に、拓也と尚希双方の表情が不愉快そうに歪んだ。
それもそうだろう。
知恵の園で育っている二人には、自身の魔力に対する自信が相応にある。
それを急に出てきた男に劣るなんて言われて、不愉快に思わないはずがない。
これは、なんと滑稽な光景だろうか。
顔をしかめる拓也たちの後ろで、実は思わず小さく噴き出してしまう。
それで実の存在に気がついたらしい男は、途端に侮蔑の表情をその顔に浮かべた。
「なんだよ、お前いたのかよ。力のない輩はすっこんでろって、いつも言ってんだろ。」
「……はあ?」
猜疑の声をあげたのは、拓也と尚希だ。
その後実を振り返って、二人は初めて実の異変に気付く。
普段あんなに実から迸っているはずの魔力が、今は微塵も感じられないのだ。
絶句する二人の前で、実はにっこりと笑う。
「俺に会いたくなければ、ここに来なければいいんじゃない? 俺は別に、自分からあんたに会いに行ったことはないよ?」
「………っ、………」
実が言うことに言い返せないのか、男は唇を噛み締める。
「……覚えてろ。」
そんな捨て台詞を吐いて 、男は足早に部屋を出ていった。
しばらくして。
「世間知らずが。」
そうそう他人を罵倒しない尚希が、珍しく辛辣な言葉を零した。
そんな尚希に、エーリリテが気遣わしげに近付いていく。
「ごめんね、キース。嫌な思いさせちゃったわね。」
「いや、大丈夫。それにしても、なんであんな奴が普通に領主邸に出入りしてるんだ?」
本来、貴族の邸宅に庶民が入るのはご法度。
招かれたにしても、それ相応の服装と礼儀が求められるはずだ。
「あー…。変わってることは重々承知してるんだけど、うちって貴族にしては自由というか、かなり開放的というか……」
「まさか、領民を自由に出入りさせてると…?」
「見張りはいるし、手荷物検査もしてはいるもの。だから、用件が明確かつ来客がないなら、基本的にはお通しする感じで。」
「……マジで変わってるな。どうりでオレたちも普通に受け入れられてたわけだ。」
自身が知る貴族とは全く違ったからか、尚希はなんとも言えない表情。
彼の視線に耐えかねたエーリリテは、わざとらしく手を叩いて話を変えた。
「それより、キースがどうしてここに?」
「あ…っ」
エーリリテからの問いかけに、尚希は頬を赤らめてたじろぐ。
「急にエーリリテの怒鳴り声がしたから、心配になって…。邪魔して悪かったな。」
「ううん、心配してくれてありがとう。」
好きな人に心配されて嬉しいのか、エーリリテは柔らかく微笑む。
それで安心したらしく、尚希の表情も似たような笑顔に。
実たち外野がそっと目を逸らす中、束の間の恋人時間を終えた二人が別々に動き始めた。
「さて。邪魔者は消えたし、やるわよ! シェイラ!」
「は、はい!」
「オレたちは出るぞー。」
レッスンに向かうエーリリテたちを横目に、尚希は実と拓也の背を押してピアノ部屋を後にするのだった。




