気付いてしまった願望
エーリリテたちが出ていったことで、急速に静まった部屋の中。
「ばっちり気付かれてやんの。」
実の抑え込んだ笑い声だけが、よく通って響く。
しばらくしてようやく笑いが収まったのか、実は大きく息をついた。
その隣で蒼白な顔で体を強張らせていた拓也が、やっと肩の力を抜く。
「死ぬかと思った……」
「かなり殺気立ってたもんね、あいつ。」
さっきはあんなに慌てふためいていたくせに、今になって実は面白おかしく笑ってみせる。
それでさっきまでの態度が演技でしかなかったと察した拓也だったが、それに対して何かを言うことはできなかった。
「あの人は誰なんだ?」
代わりに、全く別の質問をすることに。
「ああ、シェイラのこと? シェイラは、週に二回くらいエーリリテに歌を教わってるんだよ。話を聞く限り、エーリリテが一方的に惚れ込んだみたいだけどね。」
「そうなのか……」
エーリリテたちが消えていった方向を見て、拓也が呟く。
そんな拓也を一瞥した後、実はふと尚希に向かって手招きをした。
尚希がそれに応えて近付いてくる。
傍に寄ってきた尚希に向かって、実は自分の疑問をストレートにぶつけた。
「尚希さん、エーリリテのどこに惚れたの?」
「えっ!?」
唐突な質問に虚を突かれ、尚希は音を立てて固まってしまう。
「いや…っ。あの……えっと……」
どうやら、衝撃で口が上手く動かないらしい。
口ごもる尚希の頬が、あっという間に朱に染まっていった。
「昔から、ああいうのが好みなんだってさ。こいつ。」
そこで口を開いたのは拓也である。
「そうなんですか?」
実は目を丸くして尚希を見上げる。
相変わらず魚のように口をパクパクとしている尚希の代わりに、拓也が次々と言葉を紡いでいく。
「えっと、なんつってたっけか…。尚希曰く、ああいう気の強い人って、本当はすごく寂しがり屋で涙もろかったりするんだってさ。それでも人前では毅然としてるところが健気でいいんだと。せめて弱気になってる時だけでも、自分が守って甘やかしたいって。」
自分のことではないので、拓也の舌は面白いくらいによく回る。
一方の尚希の顔は、もはや朱どころか熟れた果実以上に赤くなっている。
「オ……オレ、お前にそんなこと言ってたのか!?」
「うん。酔ってた時にペラペラと。覚えてないのか? あ、そっかぁ……お前、酒弱いもんなぁ。」
実と拓也の二人は、にやにやと頬を緩くする。
そこにあったからかいの視線に、尚希はひどく狼狽していた。
「……でも、なんとなく分かる気はしますよ。エーリリテがそうかどうかは分かりませんが。」
穏やかに語る実。
その脳裏に浮かぶのは、今どうにか遠ざけようとしている梨央の姿。
彼女は自分の意見を他人に流されることなく言えるし、その意見を自分が納得しない限り曲げない頑固者だ。
自分の大切なもののためなら喧嘩もいとわないが、別に目立ちたがりというわけでもなく、クラスの隠れたリーダーみたいな存在である。
小学生の時からの仲だからか、自分はそんな梨央の弱い部分を何度か見たことがある。
怒られたこともあったし、泣かれたこともあった。
そんな梨央を危なっかしいと思いもしたが、なんとなく羨ましいとも思っていた。
過去の記憶を呼び起こしてからは、なおさらにだ。
こちらの事情を知ってからというもの、梨央は常にこちらの様子を気に留めている。
自分と拓也が二人だけになると必ずと言っていいほど中に割って入ってきて、何を話していたのかと訊いてくるほどだ。
「………」
実は憂いに満ちた表情で溜め息をついた。
梨央を見ていると、どうしようもなく悲しくなる瞬間があるのだ。
最近の梨央の関心は、ほとんど自分に傾いていると思う。
梨央からすると、安定していない今の自分には危なっかしい部分が多々見受けられるのだろう。
心配しているに違いない。
その気持ちは素直に嬉しいと思う。
だけど、その気持ちが胸を苦しくさせる。
いつか自分は、梨央の優しさを思い切り踏みにじってしまうような気がするのだ。
それが悲しくて、とても怖い。
だって、自分は―――
「………っ」
実は思わず唇を噛んだ。
最近、一つ気付いてしまったことがある。
油断すれば脳裏を侵食してくる、人を殺しても構わないと思ってしまう心。
その奥底に眠る、強い願望がある。
それは、レティルが放った人形を殺めようとする瞬間、冷たく冴えていく頭の中にぽつりと浮かぶ淡い期待。
―――もしかしたら、この人は自分を殺してくれるかもしれない。
そう。
いつの間にか、自分は無意識で終わりを望むようになっていた。
毎日レティルから送られる刺客を相手にする中で、ふと気付いてしまったのだ。
自らが持つ、そんな破滅願望に。
封印を解いてからというもの、人間不信になりそうな心と常に闘ってきた。
〝鍵〟の封印を抱えているという重圧を抱えて、人を殺したくないと必死に言い聞かせながらもあの人形たちを倒す日々。
不安定な精神状況も相まって、心身共にひどく疲れていた。
そんな状態でこの破滅願望を自覚してしまったことは、追い詰められている精神をさらに追い込むものに他ならなかった。
もし、この破滅願望が理性ではどうにもできないほどに膨れ上がってしまったら。
そう思うと、背筋が冷える思いがする。
もしも、誰かに自らの終わりを求めてしまったら?
その相手が、梨央や拓也、尚希だったら?
『拓也は、殺してくれないんだよね…?』
以前、そう訊ねた時の拓也の顔を思い出す。
こんな自分を助けてくれようとしている人たちに、あんな顔をさせることはもうしたくない。
でも……
胸に、恐怖と絶望が広がる。
今までの自分を保っていたい。
素直に笑って過ごせる自分を貫きたい。
そう思うのに、どうしようもなく脳裏を埋め尽くしていく人間への不信感に負けそうになる。
どんなに頑張っても、いつか自分は昔の自分に飲み込まれ、皆を傷つけてしまうのではないだろうか。
いずれそうなってしまうのなら、今のうちに皆を自分から遠ざけておいた方がいいのではないか。
そう思ってしまう心を止められない。
だって、気を許して人に近付きすぎても、結局は自分も相手も傷つくだけだから……
―――実!
瞼の裏にふと、梨央ではない別の姿がおぼろげに揺れる。
「―――っ」
その姿を本能的に拒絶して、実はきつく目を閉じた。
「実?」
拓也の困惑した声が耳朶を打って、実はようやく我に返る。
「あ……ごめん。」
「何か考え事か?」
こちらの表情から何かを察したのか、拓也は心配そうだ。
それに気付いて大丈夫だと答えようとした、その時―――
「出ていきなさいよ!!」
どこからか、エーリリテの怒鳴り声が響いてきた。
「エーリリテ!?」
尚希がさっと顔色を変える。
反射的にドアに向かうも、彼はふと立ち止まって、もどかしげに足を動かす。
「エーリリテなら、ピアノ部屋ですよ。この上の階の、一番奥の部屋です。」
尚希の様子から彼の心境を汲み取った実が言い終わるよりも早く、彼の姿はドアの向こうに消えていた。




