今の自分には分からない
自分の身を守るために、他人を手にかける。
それは確かに、地球ほど治安が整っていないこの世界では珍しくもないこと。
貴族の社会じゃ陰謀による暗殺もあり、状況によっては犯人を捜さないこともしばしばだ。
ただ……つい最近までこんな現実と縁がなかった実に、どう相づちを打てばいいのか。
拓也がそんな風に思い悩む間にも、実は淡々と続ける。
「ここに来るようになって、色んな話を聞いた。お金や食べ物を求めて人を襲うし、襲われる側も自分を守るために抵抗する。どれだけ悪いと思っても……環境が変わらない限り、この連鎖はなくならないんだろうね。そんな世界でも、みんなが前向きに生きている。……とても、強いと思う。ここで生きている人たちは、城や地球の人よりも命の重さを知っている人たちばかりだ。俺とは違うなって思った。似ていて……全く違うって。」
実が自嘲するように笑った瞬間―――
「実!!」
気付けば、とっさに実の腕を掴んでいた。
実は、それに瞠目する。
拓也の手に込められた、こちらの腕を握り潰してしまいそうな力。
必死そうな表情。
そんな悲しいことを言うな、と。
まるで、そう言われているようだった。
(どうして……拓也がそんなにつらそうな顔をするの…?)
これまで、拓也には何度も助けてもらった。
過去の記憶を取り戻してからは、拓也と尚希だけが建前なしに話せる相手。
だけど……思えば、自分たちは出会ってから半年も経っていないのだ。
それなのにここまで優しくしてくれるのは、父との縁があるから?
それとも、まだまだ精神的に不安定な自分が封印を解いてしまわないか心配だから?
(今の俺には分からない。……分からなくなっちゃった。)
一瞬だけ、自分の胸に空虚さと寂しさが入り混じったような感情がよぎる。
それはきっと、拓也には見抜けなかったと思う。
見抜けるわけがない。
隠すことだけは、遠い昔から得意だったんだ。
そう。
隠すことだけは……
実は、そっと目を閉じる。
そして次の瞬間、拓也に掴まれていた腕を倒した。
すると、鈍い音と共に拓也の手の甲がテーブルに打ちつけられる。
「俺の勝ち。」
「……は?」
意味が分からずにまばたきを繰り返す拓也だったが、すぐにその顔に血が上っていく。
「おまっ……そういう問題じゃないだろ! おれは真面目に―――」
拓也の抗議がふと途切れる。
拓也の言葉を遮るように、実が彼の頭を軽く叩いたからだ。
思ってもみなかった衝撃に拓也が呆けて実を見ると、実は柔らかく微笑んでいた。
静かで、穏やかで、温かい。
そんな笑み。
「ありがとね、拓也。」
「………っ」
不意打ちとは、まさにこのことを言うのだろう。
拓也は言葉につまったまま、何も言えなくなる。
言いたかった文句もわだかまる不安も、実の笑顔が一気にさらっていってしまった。
なんてずるい笑顔だろうか。
拓也が渋い顔で口を引き結んでいると、ずっと伏せていたハエルが立ち上がり、実の膝に頭を乗せた。
「あ、はいはい。」
ハエルから音なき声を聞いたらしく、実は席を立って扉の前まで歩いていく。
「入りたきゃ、入ればいいじゃん。」
次に、そんなことを言いながら扉を開く。
扉の向こうには、五十代後半ほどの男性が立っていた。
茶色の髪と瞳は、ユリアスやエーリリテと同じ。
ここまでくると、言われずとも彼が実とどんな関係なのかが分かる。
実は男性を見るなり、大きく溜め息を吐き出す。
「まったく……いつまでそうしてるつもりだったのさ。」
「そうは言ってもだな、今入ったら野暮というものだろう。」
「そうかもしれないけど……あ。」
何かに思い至った実が、拓也に体を向けてから男性を指差す。
「一応、俺のじいちゃんらしいよ。」
さっくりとした男性の紹介。
次の瞬間、男性の拳が実の頭を軽く小突いた。
「一応はいらない。」
不満げにそう言う男性は、まるで拗ねているよう。
それに顔をしかめる実に構わず、彼は拓也に友好的な笑顔を向けた。
「やあ、こんにちは。私は、このタリオンの領主を務めているイリヤという。いつも実が世話になっているね。どうか、これからも孫をよろしく頼むよ。」
「えっ……あ、失礼いたしました。村田拓也と申します。」
ハッとして慌てて立ち上がった拓也は、姿勢を正して頭を下げる。
そんな拓也に、イリヤは目元を和ませた。
「そんなにかしこまる必要はないよ。タリオンはあまり大きい街ではないし、私も固いのはあまり好きではないから。実と仲良くしてくれるだけで、私はとても嬉しいよ。この屋敷でも、ゆっくりと羽を伸ばしなさい。」
「はい…。ありがとう、ございます。」
拓也は戸惑いぎみに言葉を濁す。
にこにことご機嫌な様子のイリヤを、実が横目に睨んだ。
「変なこと言わないでよ。気色悪いなぁ。」
「どこが変なんだ。おじいちゃんが孫の心配をして、悪いことは何もないだろう。」
「余計なお世話。」
イリヤの言葉をばっさりと斬り捨てる実。
だが、ほんの少しだけ赤らんだ頬を見る限り、ただの照れ隠しだということは明らか。
それを知っているのか、イリヤがあえて露骨に傷ついた顔をしてみせた。
それでうっと言葉をつまらせた実の頭を、彼はぽんぽんと叩き始める。
「そんなこと言わなくてもいいじゃないか。素直じゃないんだからなぁ…。つんけんしないで、もっとおじいちゃんに甘えてもいいんだぞ~?」
実の頭をなでながら、イリヤは笑み崩れた顔でそこに頬を寄せる。
すると、途端に実の体がぶるぶると震え出した。
その顔は、さっきとは比べ物にならないほどに真っ赤である。
勢いよくイリヤの手を払いのけた実は、彼にキッと鋭い視線を送った。
「拓也の前で、そんなこと言わないでよ! 恥ずかしいんだってば!!」
「なら、二人の時だったらいいのか?」
「ちがっ……そういう問題じゃなくて!」
「じゃあ、どういう問題なんだ?」
「いや……だから……」
さすが年の功と言うべきなのだろうか。
口で負けなしだった実が、今は口をもごもごとさせている。
と、そこでイリヤの表情がパッと変わった。
「……ん? そういえば、エーリリテはどうした? いつも一緒だったろう。」
「ああ、あの二人ね。」
実は据わった目つきでそっぽを向くと、ぶっきらぼうにこう告げる。
「エーリリテなら、昨日一目惚れした相手と、それはもう~楽しそうにお話し中だよ。」
「何!?」
一瞬で目の色を変えたイリヤ。
あっという間に踵を返した彼は、一目散に部屋を出ていく。
そのすぐ後、ドアが激しく開閉する音がこちらにまで響く。
何か感じるものがあったのか、イリヤは迷わずに隣の部屋に飛び込んだようだ。
「とっ……父さん!? 何しに来たのよ!?」
エーリリテの悲鳴のような叫び声を皮切りに、隣の部屋が非常に騒々しくなっていく。
「……実。今の、明らかに八つ当たりだよな。」
「………」
苦笑いを浮かべる拓也の前で、実は素知らぬ顔で冷めた紅茶を啜るのみ。
「今、一番の被害者ってさ……」
「そりゃ、もちろん。」
今度の問いには、実が口を開いた。
「尚希さんだよね。」
「だよな……」
それぞれ思うところがありながらも、しれっと隣の喧騒に聞き耳を立てる二人。
その足元で、ハエルが狼らしからぬ溜め息をつく。
そしてこの後、実はエーリリテから手痛い仕返しを受けることになるのだった。




