これは、もしかして……
返り血まみれの実を気にしてか、エーリリテは細く暗い道を選んで歩いた。
そうして十分ほど経過した頃、実たちは周囲の建物よりも数段立派な屋敷の前に辿り着く。
荘厳な雰囲気の門扉をくぐり抜け、その先の大きな両開きの扉を開くエーリリテ。
すると、すぐに一人の女性が寄ってきた。
「世話は大丈夫よ。この馬鹿の怪我も今日は軽いみたいだから、もう休んで。」
エーリリテは彼女にそう告げる。
女性はエーリリテの後ろにいる尚希たちを見て少し目を見開いたが、別に何を言うわけでもなく、静かに一礼をすると去っていった。
それを軽く見送り、エーリリテはすぐに歩き始めた。
階段を上り、部屋がずらりと並ぶ廊下を突き当たりまで止まらずに歩みを進める。
「その子、そこに寝かせてあげて。あなたはその隣の部屋を使って。」
エーリリテは奥から二番目の部屋を指して尚希に告げると、実を一番奥の部屋に押し込んで、自らも中に入っていった。
ぽつんと廊下に取り残された尚希は、とりあえず言われたとおり、指示された部屋に入ることにする。
広い部屋を見回しながら寝室を探し、大きなベッドに拓也を寝かせてやった。
実が言ったとおり、拓也の表情に病的な青白さはなく、呼吸も穏やかでしっかりとしている。
ゆっくりと眠れば、無駄に消費した魔力もすぐに回復するだろう。
尚希は部屋を出ると、次に実たちが消えていった部屋に向かった。
ノックをしてから部屋を覗き込むと、中ではエーリリテが実の怪我の手当てをしているところ。
扉の前で声もかけずに棒立ちになっている尚希に、実は淡い笑顔を向ける。
「ああ、尚希さん。どうしたんですか? そんなところで突っ立ったままで。」
「いや……手際がいいなって思って。」
思ったことを正直に述べる尚希。
至る所に怪我をして、たくさんの返り血で汚れた実の姿。
普通なら、驚いて叫んでもおかしくはないと思う。
しかし、エーリリテは実の姿を見て片眉も動かさなかった。
屋敷に向かうために選んだ道も的確だったし、この部屋にはあらかじめ治療用の道具が揃えられているようだ。
おそらく、実は何度もここに足を運んでいるのだろう。
「ああ…。まあ、最近はいつもこんな感じなんで。ここの人たちも、もう驚かないですね。」
罪悪感の欠片も持っていない様子の実の物言いに、エーリリテは深く溜め息をついた。
「こんなのに慣れる日が来るなんて思わなかったわよ。毎度のごとく怪我ばっかしてきて。まったく、小さい子供じゃないんだから。……はい、終わりよ!」
包帯の端をぎゅっと結び、実の肩を強く叩くエーリリテ。
痛がる実を仁王立ちで見下ろす彼女は、ふとその表情を和らげて息をついた。
「でも、今日の傷は一昨日ほどじゃなくてよかったわ。」
「……そうだね。」
服を着ながら呟く実。
以前のことを思い出してか、二人の表情は心なしか嫌なものでも見るよう。
「そんなに……ひどかったのか?」
躊躇いがちに尚希が問うと、途端にエーリリテが勢いよく彼の方を振り向いた。
そのあまりの剣幕に、尚希は思わず一歩後ろに下がってしまう。
「そりゃあもう、ひどいもんよ!! 今だから手足にしかないけど、一昨日はその何倍も傷があったんだから! 血も止まらないし、実は治癒魔法の使いすぎと貧血のせいで、そのうち気絶しちゃうし。医者を叩き起こしたりして、さすがに屋敷中が大騒ぎだったわよ。あなた! 普段実と一緒にいるなら、この馬鹿をどうにかしてよ! ねえ!!」
勢いよく尚希に近付いたエーリリテは、ヒステリーでも起こしたかのように喚き立てながら、がっしりと掴んだ尚希の肩を大きく揺さぶる。
「わっ……ちょっと……」
「だって! こんな問題児、私たちだけの手には負えないわよ! せめて、この馬鹿が無理しすぎないように監督してーっ!!」
エーリリテの手は止まらない。
頭が前後に揺れて、尚希は軽い眩暈に見舞われてしまう。
「もう、もう、もうーっ!!」
「わわわっ……分かった、とりあえず分かったから。やめ……ストップ…ッ!」
さすがにこらえきれなくなった尚希が、エーリリテの両手を掴んで自分の肩から離した。
「きゃ…っ」
思った以上に尚希が力を込めてしまったのか、突然のことにエーリリテが対応しきれなかったのか、その拍子に華奢な体が後ろに大きくよろめく。
「うお、危な―――」
尚希はとっさに、エーリリテの腰に手を回してその体を支えた。
「あ…」
二人の目が間近で合って―――何故か、二人の動きがそこで止まった。
その後、見つめ合ったまま互いに微動だにしなくなってしまう。
「………」
「………」
二人の間には、なんとも表現し難い微妙な空気が流れていた。
「ご……ごめん…なさい。」
「い、いや……こっちこそ……」
たっぷりの時間をかけた後、尚希は慌てて手を離す。
そして今度は、二人揃ってうつむいて黙り込んでしまった。
(あれぇ…?)
その様子に、実は丸くしていた目をきょとんとまたたかせた。
気まずげに視線を逸らす尚希とエーリリテ。
そんな二人の顔がほんのりと赤く見えるのは、果たして見間違いだろうか。
(これは、もしかして……)
これはこれは、まさかの展開ですこと。
状況を察した実が面白おかしく二人を見ていると、尚希に目を合わすことができずに視線をさまよわせていたエーリリテが実の視線に気付いた。
「ちょっと! 何にやにやしてるのよ、実!」
今度ははっきりと赤面するエーリリテに、一瞬噴き出しそうになってしまう。
それをなんとかこらえ、実は笑顔でエーリリテに手を振った。
「いや、なんでもないよ。俺のことは、お気になさらずー。」
実の仕草と言葉が何を意味しているのか。
それは、当人たちに如実に伝わったのだろう。
尚希があらぬ方向に目をやる。
エーリリテに至っては、耳まで真っ赤になっていた。
実はベッドから降りると、尚希とエーリリテの傍を颯爽と通り過ぎる。
「じゃ、俺はその辺を散歩でもしてくるよ。」
二人の答えを待たず、実は扉に手をかける。
「実、待っ――」
思わず実を呼び止めようとした尚希の言葉が、途中で途切れる。
その理由は―――ぎゅっと、エーリリテが彼の手を握ったから。
予想外かつ突然のことに、尚希は驚いてエーリリテを見つめた。
「………」
エーリリテは、黙ったまま何も言わない。
赤らんだ顔は床に向けられているものの、微かに震える手は尚希をその場に引き留め続けている。
「………っ」
尚希の顔が、羞恥ともう一つの感情とで赤く染まっていく。
扉が、静かな音を立てて閉まる―――
<第1章 隠し事>END 次章へ続く…




