抗いたいなら
「………」
実はしばらく、レティルが去っていった方向を無言で見つめていた。
―――ふ、と。
突然、糸が切れたようにその場に座り込む実。
その身から迸っていた異常な魔力と威圧感が、あっという間に霧散する。
「実!?」
拓也は梨央から離れ、大慌てで実に駆け寄った。
実の前に膝をついてその両肩に手を伸ばす途中、手に何かが落ちた。
動きを止めた拓也の手に、温かく濡れたそれが次々と落ちてくる。
「実…?」
顔を覗き込むと、実は茫然とした表情で涙を流していた。
「全部……思い出した。」
「………っ」
とっさに返せる言葉がなかった。
実の言葉が何を意味するのかが分かってしまったからだ。
全部ということは、本当に何もかもだ。
それはきっと、今の実にとって何よりもつらい。
「記憶を取り戻した時から、分かってた。本当の俺は、自分を守るためなら人を殺すこともできる人間なんだって。……だけど、俺には何も知らずに地球で過ごしてきた記憶もあるんだ。だから地球での自分にすがって、頭に響いてくる声に逆らおうとしたし、昔の自分の心を認めたくなかった。なのに……皮肉だよね。封印を解く前から、俺は人殺しだったんだから……」
ぽつぽつと語られる言葉は、拓也に向かって言っているというよりは、自分自身に言い聞かせているという表現の方が合っていた。
〝人殺し〟
自分で口に出して、その時の記憶が脳内に再生される。
レティルの前に兵士たちが立ち塞がったあの時、なんだか自分の体が自分のものではないような気分だった。
思い出せる記憶もぼんやりと霞んでいて、夢なのか現実なのか分からないくらいにおぼろげだ。
しかしあの時、自分ではない自分が―――認めたくなかった幼い自分の心が、確かに人を殺したのだ。
本能的にしたことでも、それを止められなかった以上、その罪は自分にある。
実は顔を覆った。
胸の奥から、深い絶望が滾々とあふれてくる。
取り返しのつかない現実に、身も心も潰れてしまいそうだった。
「拓也……無駄だって分かってるけど、言わせて。拓也の言うとおりだよ……」
「おれの…?」
眉をひそめる拓也に、こくりと頷く実。
「殺された方が楽だよ。こんなもの……抱えていけるわけない。ただでさえ、こんなに心が不安定なんだ。いつ〝鍵〟の封印が解けたっておかしくない。死んでしまった方が世界のためだし、俺のためだよ。でも……生きなきゃいけないんでしょ? 拓也は、殺してくれないんだよね…?」
痛いところを突かれて、拓也は顔を歪めた。
無駄だと分かっているけど、もしかしたら……
実がそんなわずかな期待を抱いていることは、嫌でも分かる。
でも……
拓也は実の肩を掴む手に、力を込めた。
「……ごめん。」
囁くような懺悔。
実は、それに何も言わない。
「でもな、実。抗いたいなら抗っていいと、おれは思う。」
それが、拓也に言える精一杯の言葉だった。
その言葉に、実がのろのろと顔を上げる。
どういうことかと問うように、その瞳が不思議そうに揺れていた。
「大変なことなのかもしれないけど、昔の自分の衝動を認めたくないなら、とことん抗えばいい。もしまた暴走しそうになったら、今度は全力で止めるから。」
優しくそう言われて、実は大きく顔を歪めた。
「そんなこと……」
できるわけがない。
そう思った。
拒絶したいのは山々だが、あまりにも抱えるものが重すぎる。
他でもない自分の心を拒絶すれば、その分封印が不安定になるだろう。
それならいっそ、この心を受け入れてしまった方がいいのではないか。
今の状況では、そうとさえ思えてしまう。
「実。」
次に呼びかけてきたのは、拓也の横にしゃがんだ梨央だった。
「私も、村田に賛成。」
そう言った梨央は、困ったように笑う。
「なんて……本当は、あまり意味は分からないんだけどね。でもね、実が進んで人を殺すような人じゃないってことは知ってるし、今も私は、実のことを信じてる。これから大変だろうけど、きっと大丈夫だって思う。だからね、諦めてほしくない。実がいなくなる方が、私は嫌。何ができるか分からないけど、私も協力するから。」
「………」
どう答えたらいいのか分からずに、実は地面に視線を落とした。
二人がくれる言葉は温かい。
でも、二人が言ってくれるほど、自分は解放してしまった自分自身を信じることができない。
本当に、認めずに抗ってもいいのだろうか。
もしそうしたことで拓也たちに万が一のことがあれば、自分にはとても耐えられない。
迷う実の前に、拓也が手を出した。
「帰ろう。」
拓也は微笑む。
「これからきっと、散々迷うはめになるんだ。今は帰って、とりあえず休んだ方がいい。まだ記憶も戻ったばかりだ。焦らずに、これからゆっくりと向き合っていけばいいんだ。」
「………」
拓也にここまで言ってもらっているのに、それでも自分は、この手を取ることを迷ってしまう。
お願い。
後悔しないし、後戻りもしない。
今この場で覚悟を決めるから。
ふいに、記憶と魔力の封印を解いた時の自分の心の声を思い出した。
それにハッとしたのと、待ちくたびれた拓也がこちらの手を掴んで引っ張るのはほぼ同時。
「遅ぇよ。まったく、言ったそばから迷ってるし。」
仕方ないな、と拓也は笑う。
そんな拓也の笑顔に、実は複雑な心境にならざるを得なかった。
不安も迷いも、まだ払拭できない。
だけど……
どんなに重いものでも、この心を呼び覚ましたのは自分の意志。
あの時確かに、自分はこの世界と向き合うと決めたのだ。
そう決断した自分の意志からは逃げてはいけないし、きっともう逃げられない。
「帰るぞ。」
拓也が笑みを深める。
「そうよ、早く帰ろう。」
その後ろから、梨央が顔を覗かせた。
実は逡巡したが、思い直して顔を上げて―――
「うん。」
はっきりと、そう口にした。
<第6章 帰郷>END 次章へ続く…




