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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第1部】日常の崩壊と覚醒
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抗いたいなら


「………」



 実はしばらく、レティルが去っていった方向を無言で見つめていた。



 ―――ふ、と。



 突然、糸が切れたようにその場に座り込む実。

 その身から(ほとばし)っていた異常な魔力と威圧感が、あっという間に霧散する。



「実!?」



 拓也は梨央から離れ、大慌てで実に駆け寄った。



 実の前に膝をついてその両肩に手を伸ばす途中、手に何かが落ちた。

 動きを止めた拓也の手に、温かく濡れたそれが次々と落ちてくる。



「実…?」



 顔を覗き込むと、実は茫然とした表情で涙を流していた。



「全部……思い出した。」

「………っ」



 とっさに返せる言葉がなかった。

 実の言葉が何を意味するのかが分かってしまったからだ。



 全部ということは、本当に何もかもだ。

 それはきっと、今の実にとって何よりもつらい。



「記憶を取り戻した時から、分かってた。本当の俺は、自分を守るためなら人を殺すこともできる人間なんだって。……だけど、俺には何も知らずに地球で過ごしてきた記憶もあるんだ。だから地球での自分にすがって、頭に響いてくる声に逆らおうとしたし、昔の自分の心を認めたくなかった。なのに……皮肉だよね。封印を解く前から、俺は人殺しだったんだから……」



 ぽつぽつと語られる言葉は、拓也に向かって言っているというよりは、自分自身に言い聞かせているという表現の方が合っていた。



〝人殺し〟



 自分で口に出して、その時の記憶が脳内に再生される。



 レティルの前に兵士たちが立ち塞がったあの時、なんだか自分の体が自分のものではないような気分だった。



 思い出せる記憶もぼんやりと(かす)んでいて、夢なのか現実なのか分からないくらいにおぼろげだ。





 しかしあの時、自分ではない自分が―――認めたくなかった幼い自分の心が、確かに人を殺したのだ。





 本能的にしたことでも、それを止められなかった以上、その罪は自分にある。



 実は顔を覆った。



 胸の奥から、深い絶望が滾々(こんこん)とあふれてくる。

 取り返しのつかない現実に、身も心も潰れてしまいそうだった。



「拓也……無駄だって分かってるけど、言わせて。拓也の言うとおりだよ……」

「おれの…?」



 眉をひそめる拓也に、こくりと頷く実。



「殺された方が楽だよ。こんなもの……抱えていけるわけない。ただでさえ、こんなに心が不安定なんだ。いつ〝鍵〟の封印が解けたっておかしくない。死んでしまった方が世界のためだし、俺のためだよ。でも……生きなきゃいけないんでしょ? 拓也は、殺してくれないんだよね…?」



 痛いところを突かれて、拓也は顔を歪めた。



 無駄だと分かっているけど、もしかしたら……



 実がそんなわずかな期待を抱いていることは、嫌でも分かる。

 でも……



 拓也は実の肩を掴む手に、力を込めた。



「……ごめん。」



 囁くような(ざん)()

 実は、それに何も言わない。



「でもな、実。抗いたいなら抗っていいと、おれは思う。」



 それが、拓也に言える精一杯の言葉だった。

 その言葉に、実がのろのろと顔を上げる。



 どういうことかと問うように、その瞳が不思議そうに揺れていた。



「大変なことなのかもしれないけど、昔の自分の衝動を認めたくないなら、とことん抗えばいい。もしまた暴走しそうになったら、今度は全力で止めるから。」



 優しくそう言われて、実は大きく顔を歪めた。



「そんなこと……」



 できるわけがない。

 そう思った。



 拒絶したいのは山々だが、あまりにも抱えるものが重すぎる。

 他でもない自分の心を拒絶すれば、その分封印が不安定になるだろう。



 それならいっそ、この心を受け入れてしまった方がいいのではないか。

 今の状況では、そうとさえ思えてしまう。



「実。」



 次に呼びかけてきたのは、拓也の横にしゃがんだ梨央だった。



「私も、村田に賛成。」



 そう言った梨央は、困ったように笑う。



「なんて……本当は、あまり意味は分からないんだけどね。でもね、実が進んで人を殺すような人じゃないってことは知ってるし、今も私は、実のことを信じてる。これから大変だろうけど、きっと大丈夫だって思う。だからね、諦めてほしくない。実がいなくなる方が、私は嫌。何ができるか分からないけど、私も協力するから。」



「………」



 どう答えたらいいのか分からずに、実は地面に視線を落とした。



 二人がくれる言葉は温かい。



 でも、二人が言ってくれるほど、自分は解放してしまった自分自身を信じることができない。



 本当に、認めずに抗ってもいいのだろうか。

 もしそうしたことで拓也たちに万が一のことがあれば、自分にはとても耐えられない。



 迷う実の前に、拓也が手を出した。



「帰ろう。」



 拓也は微笑む。



「これからきっと、散々迷うはめになるんだ。今は帰って、とりあえず休んだ方がいい。まだ記憶も戻ったばかりだ。焦らずに、これからゆっくりと向き合っていけばいいんだ。」



「………」



 拓也にここまで言ってもらっているのに、それでも自分は、この手を取ることを迷ってしまう。





 お願い。

 後悔しないし、後戻りもしない。

 今この場で覚悟を決めるから。





 ふいに、記憶と魔力の封印を解いた時の自分の心の声を思い出した。



 それにハッとしたのと、待ちくたびれた拓也がこちらの手を掴んで引っ張るのはほぼ同時。



(おせ)ぇよ。まったく、言ったそばから迷ってるし。」



 仕方ないな、と拓也は笑う。

 そんな拓也の笑顔に、実は複雑な心境にならざるを得なかった。



 不安も迷いも、まだ払拭できない。

 だけど……



 どんなに重いものでも、この心を呼び覚ましたのは自分の意志。



 あの時確かに、自分はこの世界と向き合うと決めたのだ。

 そう決断した自分の意志からは逃げてはいけないし、きっともう逃げられない。



「帰るぞ。」



 拓也が笑みを深める。



「そうよ、早く帰ろう。」



 その後ろから、梨央が顔を覗かせた。



 実は逡巡(しゅんじゅん)したが、思い直して顔を上げて―――



「うん。」



 はっきりと、そう口にした。



<第6章 帰郷>END 次章へ続く…



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