陽炎に佇む姿は―――
冷たいサリアムの声が放たれた瞬間、なんの前触れもなく体に絡みつく触手が全身を締め上げてきた。
「うぐ…っ」
実は呻いて、その場にくずおれてしまう。
反射的に首を絞める触手を掴もうとするが、先ほどとは違って、触手を掴むことができなかった。
「実!!」
拓也も触手を散らそうと努力するが、触手はどんどん実の体に食い込んでいく。
「うっ……く…っ」
「いや残念だよ、実君。」
うずくまって喘ぐ実の前に、サリアムが悠然と立った。
実に手を伸ばすサリアムだったが、その手は実に触れるよりも先に拓也に払いのけられる。
サリアムは、鋭い目つきで睨んでくる拓也をじろりと一瞥した。
その瞬間、拓也の背後からおびただしい量の触手が襲う。
それを防ごうとした拓也の腕に一瞬で大量の触手が絡みつき、拓也の腕を背中に捻り上げた。
「ぐ…っ」
「邪魔をしないでもらおうか。」
床に倒れた拓也を、サリアムは容赦なく触手で締め上げた。
背中に捻られた拓也の腕が軋み、肩の関節が嫌な音を立てる。
「―――っ」
音にならない悲鳴をあげる拓也。
動けなくなった拓也を横目に、サリアムは実に向き直った。
「君にはね、最初から選択権なんてないんだよ。君は、あの方に選ばれたんだ。これは、とっても名誉なことなんだよ?」
「そん…なの、俺が、知るか…っ」
「そうだね。君には理不尽かもしれない。けれど知らなかったとはいえ、君は間違いなくこちら側の人間なんだよ。だから、こちらのしきたりに従うべきだろう?」
「ふざけるな! 俺は……ぐっ…」
首がさらに絞まり、実は苦悶の表情を浮かべる。
まるで、一切の抵抗と反論を許さないというように。
触手が喉に食い込んで、声を奪おうとしてくる。
口腔から、ひゅうと空気が漏れる。
全身が痺れて、激しい耳鳴りが脳内を襲って視界が揺れた。
「く…」
たまらず、片手を床につく。
必死に体を支える腕が、ぶるぶると震えていた。
―――このまま、こいつらの思いどおりになるのか?
胸の奥が、ざわめいた。
「………っ。冗談、じゃない。」
吐き捨てた瞬間、触手に触れようとしていた手が確かな感触を捉えた。
実は、それを強く握り締める。
そして。
「―――消えろ。」
低く呟いた。
次の瞬間。
―――ゴォッ
突如として、実を中心に暴風が吹き荒れた。
触手が一瞬で霧散し、風の勢いに負けた拓也とサリアムが近くのテーブルに激しく叩きつけられる。
その暴風の中、実は一人立っていた。
その身を、陽炎のようなものに包まれて。
「エリオス……」
サリアムが、実を見て茫然とそう零した。
拓也も無意識に息を飲む。
体中からすさまじい魔力を迸らせるその姿は、確かにエリオスと見間違えるほどに似ていた。
いや、あの魔力はエリオス以上だ。
今まで、実のどこにこんなにも強力な力が隠されていたというのか。
ざわざわと、部屋の空気がざわめきだす。
この部屋にいる様々な精霊が、実の魔力に共鳴しようとしているのだ。
そこでハッとした拓也は、緩んでいた触手を振り払って立ち上がった。
(このままじゃ、実が危ない!)
実の魔力は、まだ封印されている状態。
封印を解いてもいないのにこんな無茶な魔力の使い方をしたら、命に関わりかねない。
「実!! もうよせ!」
拓也は叫び、視界を奪いそうな暴風の中を必死に進んだ。
なんとか実の元に辿り着き、実を包む陽炎に触れる。
その瞬間、電流が走ったような痛みに襲われた。
それでも怯まずに、拓也は実の腕を掴む。
のろのろと振り向く実。
半ば光を失っている虚ろな目が、こちらの姿を捉えた。
「拓也……」
「実、もういい。」
「………」
「もう、大丈夫だから。」
安堵させるようにしっかりとした口調で言い聞かせると、それを聞いた実の肩からふっと力が抜けた。
陽炎が消え、吹きすさんでいた暴風も嘘のように消える。
「う…っ」
拓也は思わず腕を押さえた。
封じられているというのに、なんと強力な魔力なのだろう。
あまりにも暴力的な魔力に当てられたせいで、しばらくは腕が動きそうにない。
拓也が感覚のない腕に目を落としていると、ふと目の前で実の体が傾いだ。
拓也が反応するよりも早く、倒れた実の体は別の人物に支えられる。
うっすらと目を開けて、実はその人物を見上げた。
「サリアム……」
「すばらしい…。実君、君の力はとてもすばらしいよ! おそらく、今の我が国に君に勝る力の持ち主はいないだろう。封じられているのが、もったいないくらいだ。君は誰よりも、あの方の器にふさわしい!」
興奮したように弾むサリアムの声は、すぐ近くから発せられているはず。
なのに、その声はまるで遠くから聞いているようにくぐもっているように感じる。
実は力なく目を閉じた。
体が泥のように重たい。
瞼を開ける力すら残っていない。
意識が不確かで、ゆらゆらと水面に浮かんでいる気分だった。
サリアムから離れなければいけない。
そう思うのに、体が自分のものではないかのように動かせない。
まるで、首から下がなくなってしまったかのようだ。
とにかく疲れていて、ただひたすらに眠い。
「まあ、多少予定とは違うが仕方ない。」
その言葉を境に、かろうじて感じていた地面の感触すら消えた。
代わりにサリアムの気配が近付き、人の温もりがすぐ傍に感じられる。
それで、自分がサリアムに抱き上げられたのだと分かった。
ここまでされているのに、抵抗することはおろか声を出すことすら叶わない。
彼に逆らいたい気持ちも、だんだんと曖昧になっていく。
「待て! 連れていかせるか!!」
拓也がサリアムに向かって叫ぶ。
無論、サリアムは首を横に振った。
「それはできない相談だよ、村田君。あの方が待っているんだ。」
「じゃあ、無理にでも止める。」
「今の君にできるかい? 実君の暴走を止めるためとはいえ、彼の魔力に当てられて相当なダメージを受けているのに?」
「それでもだ!」
「……そうかい。じゃあ、仕方ないね。」
臨戦態勢を崩さない拓也に、サリアムはふうと息をつく。
「ここでどんなに抵抗しても無駄だよ? 種明かしをするとね、この部屋は少々特殊に作ってあって、あえて一つの次元に定着させていないんだ。だから、この部屋ごと次元を越えることもできる。」
「なっ…!?」
「そしてもう、向こうへの道は繋がっている。―――セリシア様、援護をお願いします。」
拓也に抵抗の隙を与える間もなく、部屋の内装がぐにゃりと歪んだ。
世界の全てが、遠くなっていく―――
<第5章 迷い>END 次章へ続く…




