実の答え
「―――ふう。」
後ろ手に扉を閉めて、実はやっと肩の力を抜いた。
腹をくくれば、案外簡単なものだ。
あとは、ここでどうやって拓也を捜すかだけど……
何気なく周囲を見回して、実はようやく自分の腕にすがりついてガタガタと震えている梨央に気がつく。
「うわあっ、梨央!? なんでここに!?」
「なんで、じゃないわよ!」
梨央が涙目で喚く。
「実が急に走っていったから、追いかけたの。そしたら……なんなの、これ!? 説明してよ!!」
「わわわっ……待った待った!」
ぐいっと迫ってくる梨央を、実はなんとか制する。
「説明は後。あーあ、なんでついてきたんだよ……後悔するよ?」
「だ、だって…っ。怖くて硬直しちゃって、実から手を離せなかったんだもん。」
「じゃあ、今からでも戻る?」
「嫌!!」
怖いと言ったくせに、梨央はきっぱりと実の提案を断った。
「なんで? 怖いんでしょ?」
「怖いけど…っ。でも、このまま一人で帰される方がもっと怖いのよ!」
意地でも離さないと、その態度が言っている。
そんな梨央に、実は溜め息をつくしかなかった。
こうなってしまっては仕方ない。
「手、離さないでよ。」
そう言ってから、実は闇の中を歩き出した。
「ねえ、どこ行くの?」
「そんなの知らないよ。」
「はあっ!?」
目をまんまるにする梨央。
こちらの言葉が予想外だったらしく、完全に声が裏返っていた。
「何それ!? どういうこと!?」
「仕方ないじゃん。俺だって、今初めてここに入ってるんだから。」
「嘘でしょ!? 信じらんない!!」
「だから、戻るかって訊いたじゃん! 大体―――わっ!?」
実と梨央は足を止めた。
急に闇が晴れたのだ。
闇に慣れきっていた目には光がまぶしすぎて、きつく目をつぶる。
大した明るさではなかったのだが、まるで目の裏まで焼かれている気分だった。
「みっ、実!?」
聞き慣れた声が耳朶を打って、実は顔を上げた。
「!!」
実は瞠目する。
見上げた先に広がっていた光景に、すっと内臓が冷えたようだった。
「拓也!?」
拓也は、自分に絡みつこうとする触手を必死に振り払っているところだった。
しかし、足元は完全に触手の作る闇の中に沈んでいて、必死に抵抗しながらも苦戦しているのが表情からありありと分かる。
「どういう……こと…?」
梨央が茫然と呟く。
こちらの腕を掴んでいたその手が、するりとほどけた。
どうしたのかと梨央を見ると、彼女は目の前の状況に放心しているようだった。
少し迷ったが、実は梨央を部屋の隅に置いて拓也の元へ駆け寄った。
拓也の足元にしゃがみ込み、そこに絡む触手に手を伸ばす。
「実、よせ!」
拓也の制止を無視し、触手が蠢く闇の海に手を突っ込む実。
部屋に入る時は触手に触れている感覚もなかったのに、今は拓也の足に絡みつく触手の形や絡み方までが明瞭に分かった。
それをぐっと掴み、一気に引き剥がす。
すると、拓也の足から離れた触手が腕を伝って自分の全身に絡みついてきた。
拓也が驚いて手を伸ばそうとするが、それを他でもない実自身が止める。
実は動じる様子もなく、触手をまとわりつかせたまま立ち上がる。
そして、この触手を作り出した張本人であろうサリアムを静かに睨んだ。
「これ、どういうこと?」
「どういうことも何も、私は村田君から色々と教えてもらおうとしただけだよ。少々手荒かもしれないけどね。」
サリアムはあっさりと言う。
別に責められる謂れはないと思っているのか、その態度は堂々としたものだった。
「高嶺……先生?」
梨央が放心状態のまま呟く。
サリアムは、それで初めて梨央の存在を認識したようだった。
「おや、一人余計な子がいるね。実君が連れてきたのかい?」
「まさか。勝手についてきたんだよ。巻き込みたくなかったのに……」
「ふーん、そう。それにしても実君、よくここが分かったね。普通の子には、見えないようにしてあったんだけど。」
「拓也とあんたがここに入っていくのを見てたから。最初からあるって分かってたから、来られたのかもしれないね。」
自分の言葉を聞くサリアムの表情は、優しくて穏やかだった。
この状況がなければ、思わずほだされてしまいそうなほどに。
「そう。……ここに来たってことは、昨日の話の答えが出たのかな?」
「はあっ!?」
サリアムの問いかけに目を剥いたのは拓也だ。
「実!! まさか昨日、こいつと会ったのか!?」
どうして、すぐに言わなかったのだ。
詰問のような口調で問うてくる拓也の顔には、こちらを非難するような色が浮かんでいる。
その反応を冷静に受け止めながら、実は一つ頷いた。
「うん。昨日、この人が俺の部屋に来たんだ。夜のことだったし、混乱しててどう言えばいいのか分からなかったから、今日言えばいいと思ってた。ごめん。」
素直に謝って拓也の方を見ると、拓也は想定外のことに絶句していた。
実はそれに構わず、サリアムと向き合う。
「……ねぇ、サリアム。俺さ、正直まだなんにも決めてないんだ。だって、どれだけ考えてもやっぱりどっちが正しいのか分かんないし、それ以前に俺が何も知らないんだ。答えを出せなくて当然だよ。俺もそれに甘えて、答えを出すことから逃げてた。」
そう。
自分は何も知らない。
だから散々迷ったし、ずっと問題を先送りにしてきた。
「―――だけど。」
実は、サリアムを睨む目に力を込めた。
「俺、やっぱりそっちには行けない。」
叩きつける答えは、拒絶。
「今の状況を見ると、明らかにあんたの方が悪者に見えるんだ。それに、どうしても俺が必要だっていうなら、どうして父さんが来ないの? 最初から父さんが来れば、俺は何も疑わずに従ったよ。それは俺に限ったことじゃないし、考えれば誰でも簡単に分かったことだと思う。それなのに父さんが来ないってことは、少なくとも父さんは俺が向こうに行くことを望んでない。俺は勝手にそう判断する。俺は、そっちに行けない。行きたくない!!」
強い口調で、一思いに言い切った。
本当は怖い。
サリアムに敵うはずもないのに、自分はサリアムに逆らう答えを出した。
この後果たして自分がどうなるのかなんて、考えるだけで恐ろしくなる。
けれど、これ以外の答えが自分にはないのだ。
理屈や損得勘定は関係ない。
サリアムに従いたくないのは、気持ちの問題だ。
サリアムは実を静かに見据え、深く息を吐いた。
その表情や態度は、初めからこちらの答えなど分かっていたと言わんばかりだ。
「やはり……君は、そういう答えに至ったんだね。その目、あの方に逆らったエリオスにそっくりだ。私はね……―――その目が、大嫌いなんだよ。」
そう告げた赤い瞳に、残忍な光が宿った。




