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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第1部】日常の崩壊と覚醒
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揺れる心


「―――この手を、取るつもりはないかい?」



 決して強要するわけじゃない、優しい問いかけ。



「………」



 実はそれに、何も答えなかった。



 しかし、薄茶色の目はサリアムの手を食い入るように見つめていて、そこから少しも動かない。



 己の迷いを代弁するように大きく揺れる瞳。



 実がこの状況に激しく心を揺らしているのは、誰の目からも明らかだった。



 サリアムは根気よく実を待ち続ける。



 やがて、力なくぶら下がっていた実の手がピクリと動いた。



 ―――いい傾向だ。



 微かに、サリアムは笑った。





(……どうする?)





 サリアムが見守る中、実は自問を繰り返す。



 この手を取れば、もう後戻りはできない。

 だけど、少なくとも今の何も分からない状況からは脱出できる。



 この手を取った結果が吉と出ようと凶と出ようと、自分は何らかの答えを得ることができるのだ。



 それは、今の自分にとって大きな進歩と言えた。



「………っ」



 実は目元を険しくする。



 この迷いが、今の八方塞がりの状況から少しでも逃げ出したいという、自分の逃避願望から来るものだということはなんとなく分かっている。



 でも、仕方ないじゃないか。



 誰だって、自分が可愛いものだろう?

 自分が壊れないためにも逃げたくなるし、いつまでもこんな板挟みはつらい。



 だからいっそ、サリアムの手を取ってしまおうかと思ってしまう。



 しかし、サリアムの言葉が嘘だった場合、自分を守りたくて下した選択が、逆に自分の首を絞めることになる。



 それでも、この手を取るのか?



 冷静な自分が問いかけてくるけど、それでもいいと言えるほどの自信も度胸もなかった。



 葛藤(かっとう)で目の前がぐらぐらしてくる。

 視界と五感が、だんだんと麻痺してくる気分。

 迷いに押しつぶされる心が、悲鳴をあげている。



 もう、楽になりたい。



 無意識に救いを求めた心に浮かんだのは……



(―――父さんに、会いたい。)



 ただ、それだけだった。



 その気持ちに突き動かされて自分の手が震えるのを、実はどこか他人事のように感じていた。



 小刻みに震える手が、長い時間をかけてサリアムの手を目指す。

 ゆっくりと、ゆっくりと。



 それを見つめるサリアムの口の端が、にやりと吊り上がった。





 ―――――だめだっ!!





「―――っ!!」



 サリアムの手に触れるか触れないかというところで、実は突然手を引っ込めた。

 一方のサリアムは、()(げん)深そうに目を細める。



「どうしたんだい?」

「え…? あ、いや……」



 実は、戸惑いがちにサリアムから目を()らす。



 ……なんだか、急に目が覚めた気分だった。



 今の自分の行動が、とんでもない間違いを犯すものだったような気がする。

 心臓がどくどくと早鐘を打っていて落ち着かない。



「も……もう少しだけ、考えさせて。」



 下手すれば裏返りそうになる声を、なけなしの理性で制御しながら実は言う。



「時間がないのは分かった。だけど……落ち着いて考えないと、納得できる答えが出せそうにないんだ。」



 サリアムに逆らったら、それこそ自分の身を危険にさらすかもしれない。

 そんな恐怖で震える喉から、一生懸命に声を絞り出した。



 すると、サリアムが動く素振りを見せる。

 自分に向かって伸びてくる手に、反射的に身をすくませた。



 しかし、想像するような危険は訪れなかった。

 サリアムは、自分の頭を優しくなでただけだったからだ。



「え…」



 驚いた実は(まぶた)を叩く。

 見上げた先で、サリアムは柔らかく微笑んでいた。



「分かった。今日はこれで帰るよ。私は、君を怖がらせすぎたみたいだね。すまなかった。でも、君の言うとおり時間はあまりない。君がいい答えを出してくれるよう、期待しているよ。」



 目を(みは)る実の前で、サリアムの姿は空気に溶け込むように消えていく。



 最後に残ったのは緊張感の消えた静寂と、泣きたくなるほどにいつもと変わらない自分の部屋。



 全身をがちがちに固めていた力が抜けて、実はドアに身を預けて、そのままずるずると座り込んだ。



「こ、怖かった…。俺、生きてるよね…?」



 意味もなく、両手を握ったり開いたりする。

 自分が無傷でここにいることが、奇跡のようだった。



 本音を言うなら、サリアムが自分の部屋に現れた時に、もう逃げられないと(なか)ば諦めていた。



 サリアムが話をしに来ただけというのにも驚いたが、何よりも彼がこちらの意見を認めてくれたのが一番の驚きだ。



 一つの危機を乗り切った頭は、どうにか事態が丸く収まる方法はないかと模索している。



 我ながら、往生際が悪いと思うけど。



「父さんは……どう思ってるんだろ…?」



 ふと呟いた途端、大きな不安の波が心を襲った。



 向こうの世界の人間である父。

 国家の重要人物であるという父。



 ……自分が知らない、父の姿。



 いくら仕事が忙しいからといって、息子がとんでもない苦境に立たされているんだ。

 こんな時くらい、父自身が迎えに来たらいいじゃないか。



 そうすれば、事態はここまでこじれなかったはずなのに……



 実は膝を抱いて縮こまる。



 何もかも分からない。

 拓也たちが正しいのか、サリアムが正しいのか。



 自分はどうすればいいのか。

 父はどう思っているのか。



「父さん、なんでここにいないの? ……なんで俺は、一人でここにいるの?」



 その呟きは、今にも泣き出してしまいそうなほどに切なかった。



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