交渉
「サリアム……」
茫然と、尚希は目の前の侵入者を見つめた。
「あの子たちを追ってきたところで、まさか君を見るとは思わなかったよ。ふーん…。あの子が、君が熱心に面倒を見ていた子か。なかなか優秀じゃない。」
「何しに来た!?」
尚希が警戒して身構えると、サリアムはわざとらしく肩をすくめた。
「やれやれ…。やっぱり、君には嫌われてるようだね。……それにしても、私のことを毛嫌いしていた君の口から、あんな言葉が出るとは思わなかったよ。あの言葉は、私の力をそれなりに認めてくれているという意味でいいのかな?」
「………っ」
尚希は奥歯を噛み締める。
どうやら、話は全部聞かれていたらしい。
依然として警戒態勢を崩さない尚希に、サリアムはくすりと笑った。
「そんなに警戒しなくても、私は危害を加えるつもりでここに来たのではないよ。少し、交渉を持ちかけにきただけだ。」
「交渉だと?」
訝しげに問い返すと、サリアムは頷いた。
「簡単さ。実君を、素直に引き渡してほしい。」
聞いた瞬間、尚希の中でその交渉に応じる気は失せた。
サリアムは構わずに続ける。
「それか少しの間だけ、拓也君を連れて国に戻っていてほしい。」
「……何?」
思わず聞き返す。
狙いが分からなかった。
自分と拓也が国に帰ったところで、一体なんの得になるというのか。
話に食いつきを見せた尚希に、サリアムは満足げに笑みを深めて口を開いた。
「ようは、邪魔をしないでほしいんだ。素直に国へ戻るなら、君たちの罪は咎めない。私たちに協力したということで、それなりの地位を約束しよう。どうだ、悪い話ではないだろう? 拓也君はともかく、キース。君は、実君と知り合って日も浅い。どっちを取った方がいいか、拓也君よりも冷静に判断できると思うが? ……なに、実君にだって悪いようにはしないさ。実君は、名誉ある大役に選ばれたんだ。こんないい話、邪魔立てする理由はないだろう?」
なるほど、そういうことか。
合点がいった。
邪魔な自分たちにわざわざいい条件を提示してまでも、国は実が欲しいと。
尚希は、険しくしていた表情をふと和らげた。
「悪いが、その要求は飲めないな。」
「ほう。条件が不服かな?」
サリアムは驚く様子も見せずに訊ねてくる。
こちらの反応は、予想済みだと言わんばかりである。
「いいや、そういうことじゃない。」
尚希は一度目を閉じ、くすりと笑った。
そして、ゆっくりと目を開く。
開かれた瞼の向こうから現れたのは黒い瞳ではなく、リビングに差し込む西日のように柔らかい色彩をしたオレンジ色の瞳だった。
「その条件が嘘臭いんだよ。オレと拓也は、国から逃げたようなもんだ。知恵の園で育って、国のために働く義務があるにもかかわらずな。そんな輩を丁重に迎えてくれるほど、あそこは優しい場所かね? 仮にお前の言うとおり国に戻ったとして、そこで待っているのは記憶の改ざんのような気がするんだけど、それは間違ってるか? オレたちは、魔力や魔法の腕だけは知恵の園でもトップだからさ。記憶をいじって、国に忠誠を誓うようにしたいんじゃないのか? 国の力は増すし、オレたちが敵に回る心配も解消できて、一石二鳥というわけだ。オレたちが抵抗した場合、最悪殺す算段もあるんだろう? そんな下心丸見えの要求には応えられないって言ってんの。」
「……まったく、優秀すぎるのも考えものだね。君には、嘘も通じないから困るよ。」
端から、この交渉が上手くいくとは思っていなかったのだろう。
こちらの指摘をあっさりと認めたサリアムは、手をひらひらと振って大きく息をつく。
「じゃあ―――」
次に向けられたサリアムの瞳からは、和やかな雰囲気が霧散していた。
それを直視して、自然と背筋に緊張が走る。
「今からでも遅くはない。あの方に、忠誠を誓う気はあるか? ここで忠誠を誓うと宣言するなら、私が上に掛け合おう。」
「はっ、誰が。」
それこそ、愚問というもの。
尚希は、サリアムの言葉を鼻で笑う。
「国に忠誠は誓えても、あんな奴に忠誠なんか誓えるかよ。あんな、人の命を犠牲にして国に君臨し続ける化け物なんかの言いなりになってたまるか。お前らは、昔からそうだよな。国のために動いてるんじゃなくて、あいつのために動いてる。それが嫌だったから城を出たんだ。あんなものにすがってしか成り立たない国なんかに仕える気は、さらさらない。」
言い切った途端に、サリアムがまとう雰囲気が豹変した。
激しい怒気と殺気がリビングを満たす。
その凄まじさに、空気がびりびりと痺れるようだった。
「君は、人間の力だけで成り立つこの世界を気に入っていたからね……きっと、そう言うと思ったよ。今の言葉は、れっきとした国への反逆だ。」
激しく空気を掻き乱す怒りとは反対に、静かで平坦な声音。
サリアムは、暗くたぎるものを内包させた目で尚希を睨む。
その痛いほどの視線を、尚希は堂々と受けた。
「ああ、そうだな。だからこっちに来たんだ。国に残って反乱を起こすよりは、よっぽど穏便だろ? オレには、それだけの力があるんだからさ。」
尚希がにやりと笑うと、サリアムはぐっと唇を噛んだ。
「では、実君を渡す気もないと?」
「当たり前だ。エリオス様が、こんなに大事に守ってきた子だぞ? あんな奴の犠牲にさせるのは、もったいないじゃないか。お前たちが実を捜すのに苦労してたってことは、エリオス様は実があいつの器になることに反対だってことだろ? オレは、エリオス様の意志に従わせてもらう。これまで世話になった恩、少しは返さないとな。」
「交渉決裂……か。」
サリアムの声のトーンが落ちる。
その声を聞きながら、尚希は険しげに目元に力を込めた。
一見落ち着いて見えるが、サリアムの周りには濃密な魔力が漂っている。
いつ攻撃されてもおかしくはない。
「本当に、エリオスが指導した子供は、ろくな考えを持たないな。あの方が何故あんなにもエリオスを気に入っているのかは分からないが……まあいい。君たちは国に脅威をもたらすかもしれないと、常々危惧していたんだ。私の……あの方の邪魔をするというのなら―――」
好戦的に揺れる、赤い瞳。
「ちょうどいい。ここで排除しておこう。拓也君には、もう私の部下を向かわせている。」
「なっ…!?」
全身から、ざっと血の気が引いた。
反射的に身を翻してリビングのドアへ戻るが……
―――バンッ
ドアは、こちらが手を伸ばすより一拍早く閉まってしまった。
「行かせないよ。二人で束になられては困るからね。私がわざわざここで君を待っていた理由が、本当に交渉だけだと思っていたのか、キース? 君の相手は、この私だ。」
いつの間にか、リビングはサリアムが張り巡らせた結界によって隔離されていた。
拓也の元へ向かうには、サリアムを倒すしか方法はない。
尚希はもどかしげに顔を歪め、ドアを思い切り殴った。
(くそっ……拓也!)




