現れた敵
その朝、昇降口でちょうど拓也と会った。
「よう、実。なんか、久々に寝不足そうな顔をしてるじゃん。」
「んー、ちょっとね……」
実は上履きを履きながら欠伸を一つ。
「実は、夜に今までとは違う人が呼びかけてきたんだよね。」
報告した瞬間、隣で上履きに手をかけていた拓也が石のように固まった。
先ほどまでの暢気さは消え失せ、緊張した面持ちがこちらに向けられる。
動き方が、まるで錆びた機械のようだった。
「……なんだって?」
険を帯びた声。
落とされるそのトーン。
神経を尖らせる拓也に、実は夜中の出来事を話した。
できるだけ、覚えている限りを詳しく。
こちらの話を聞く拓也の表情が、みるみるうちに強張っていく。
よほど深刻な事態なのかもしれない。
拓也の表情には、そう思わせるような何かがあった。
しかし、さすがは拓也と言うべきか。
自分が夜中の出来事を語り終える頃には動揺から立ち直り、腕を組んで考えに耽っていた。
何やら独り言のように口元を動かし、拓也は自分の世界に入り込んでいる。
その邪魔をしないように、実は静かに拓也の後ろを歩いた。
「なるほどな。実、今日は……あれ? 実?」
隣に実がいないことに気付いた拓也が後ろを振り返る。
実は数メートル離れた所で立ち止まり、きょとんと目をしばたたかせていた。
その目は、拓也を見ていない。
怪訝そうにする拓也の前で、実は前方を指差した。
「いや…。あれ、誰だろうって思ってさ。」
実に言われて、拓也も実が示す先に視線を移す。
職員室の前に、茶髪と切れ長な目が印象的な一人の男性がいた。
パッと見としては、二十代後半くらいだろうか。
彼は、人当たりのよい笑顔で数人の女子生徒と和やかに談笑している。
「おれも知らないな。」
拓也も首を捻った。
「だよね。みんなと仲良く話してるから、ちょっと不思議で。」
「単純に、かっこいい人だからってあいつらが囲んでるだけなんじゃないのか?」
「そっか。」
拓也の言葉に、実はすんなりと頷いた。
なんとなく違和感がしたのだけど、言われてみればそうかもしれない。
二人は男性のことをそこまで気に留めず、歩くことを再開する。
このまま特に何事もなく、無関心に彼らの隣を通り過ぎる―――はずだった。
「やあ、おはよう。宮崎君、村田君。」
「は?」
実と拓也。
二人の声が、見事に重なる。
そんな二人を前に、謎の男性は当然のように微笑んでいた。
「……なんで、俺の名前を?」
実が思わず問う。
「えー? 宮崎君、何言ってるの?」
男性が口を開くより先に、女子生徒の一人が声をあげた。
「数学の高嶺先生じゃない。毎週会ってるでしょー。」
「え? ……え?」
女子生徒たちの不思議そうな視線に、実と拓也はたじろぐ。
何故、彼のことを知っていて当然という目で見られなければいけないのだろう。
彼に会ったのは今日が初めてなのだから、知っているわけがないじゃないか。
大体、自分たちのクラスの数学の教師はもっと年配だったはず……
実たちは男性に対して、不審げな視線を向けざるを得なくなる。
すると、男性が女子生徒の間を優しく割って実の前に立った。
彼は実の肩に手を置いて、静かに顔を近付けてくる。
「もしかして、僕のことが分からない?」
声をひそめて、彼は訊いてきた。
その瞬間、ぞくりと怖気が背を走る。
なんとなく、この問いに答えてはいけない気がした。
だが、思わぬ事態に混乱していた実は、つい素直に頷いてしまう。
「―――――そう。」
彼は、満足そうに笑った。
「―――っ!?」
実は息を飲んだ。
急に、自分の視線が男性の目に視線が固定された。
目を逸らしたくても、まばたきすることすら叶わないのだ。
彼の瞳が揺らめく。
その瞳が、脳裏に強烈かつ鮮明に焼きついた。
肩に触れられた手が熱い。
甲高い耳鳴りがして、意識がふと遠退きかけた。
ぼうっとしてくる視界と意識。
その中で、彼の瞳と肩の熱だけが明瞭に感じられた。
肩の熱は自分の呼吸に合わせて脈動し、徐々にその温度を上げていく。
「やっと―――」
「熱っ!」
熱が全身を貫く。
この感触は、前にもどこかで―――
「実!!」
叫び声をあげた拓也が、実の肩に置かれた男性の手を慌てて振り払った。
それと同時に、拓也は実の目をもう片方の手で塞ぐ。
……暗闇が心地いい。
男性の目の呪縛から解放されて、自然と全身から緊張が抜ける。
まだ肩はじんじんと熱を持っているが、全身を貫いた熱は消えたようだ。
「どうしたんだい、村田君?」
男性が首を傾げるが、拓也はそれに答えない。
「行こう、実。」
拓也は実の手を引いて走った。
どんどん離れていく二人を見送る男性の口元が、不気味な笑みをたたえたことには気付くこともなく……




