垣間見える闇
マンションの七階。
廊下の柵に両腕をつき、拓也は眼下に広がる景色を見つめていた。
視線の先には、とぼとぼと歩く実がいる。
泊まっていくかと訊ねた自分に、実は塾があるからと首を横に振った。
その目に宿っていたのは、根強い拒絶。
とにかく今は、これまでの生活に少しでもすがっていたい。
急いで帰り支度をする実の態度が、そう語っていた。
「……あいつらは、いつだって勝手なんだ。」
ぼそりと、低い声が口腔から漏れる。
実の姿が視界から消えるまで見届け、拓也はくるりと踵を返して家に戻った。
玄関の重い金属製のドアを開けると、玄関で尚希が立って待っていた。
その表情に、もちろん笑顔はない。
「―――拓也。さっきの話は、本当なのか?」
固い声で訊ねられる。
「ああ、本当だ。近々、奴らが来るだろうな。」
靴を脱ぎながら答えると、尚希が息を飲む気配が伝わってきた。
顔を上げると、そこでは尚希が険しい目で床を睨んでいる。
仕方ない反応だ。
拓也は静かにそれを見つめた。
尚希はしばらく黙り込んでいたが、やがて脱力しながら詰めていた息を吐き出す。
「はぁ、やだねぇ…。地球に来てもう六年……今さら、あいつらと顔を合わせたくはないって。実にはああ言ったけど、正面からあいつらとやり合うのは得策ではないと思う。」
尚希は、想像どおりの言葉を口にする。
「あいつらはまだ、具体的には実のことを見つけられてないんだろ? だったら、どうにかこうにか、実を他の場所に逃がしてやった方がいいんじゃないのか?」
「それができるならよかったんだけどな。」
拓也は肩をすくめた。
「尚希の気持ちは、もっともだと思う。だけど、そうもいかないのが現実なんだよなぁ……」
「どういうことだ?」
尚希に問われ、拓也は廊下を歩きながら説明を始める。
「知ってるか? この辺りは、アズバドルから流れてくる人間が他の場所に比べて異様に多いんだ。だから、ここには色んな魔力が渦巻いている。エリオス様が実を隠すために、アズバドルの人間が多いこの場所を選んだのか、逆に眠っている実の魔力に引き寄せられて、アズバドルの人間が自然とここに集まったのか…。因果関係は分からねぇが、初めて地球に移動してきた人間がこの辺に出てくることが多いのは確かだ。おれもそうだしな。」
拓也は思案げに腕を組んで記憶を手繰る。
とにかくこの土地は、異世界でありながらアズバドルとの相性がいい。
初めてここに降り立った時、思わず移動に失敗したかと思うほどに、この土地はアズバドルの空気に酷似していた。
「……とまあ、国の調べで分かっているのはここまで。あの魔法精鋭部が、実がこの辺りにいる可能性が高いと踏んでから、実際に実を見つけるのにここまで手こずっている理由がこれなんだよ。ここは、いらない魔力が多すぎる。しかも、実の魔力は封印されていて、気配もひどく希薄だった。初めて実と会った時はよく捕まらなかったもんだ思ったけど、今ならその理由も分かる。あの時の実からは、魔力なんてほとんど感じられなかったからな。セリシアの術が実を取り巻いていなければ、他人の空似で済ませたところだ。で、さっきそうもいかないって言ったのは、実を見つけられないことに危機感を抱き出した精鋭部が、大胆な策を実行しているから。」
リビングのテーブルの前で振り返る拓也。
尚希は入り口付近で立ち止まり、続きを待っていた。
「この辺りに住むアズバドルの人間を、片っ端から国に送り返してる。」
拓也は、もったいぶらずに言葉を続けた。
告げられた言葉に対し、尚希は眉を微かに上げただけ。
「なるほどな…。邪魔なものがあるなら、掻き分けるより刈れってことか。確実と言えば、確実と言える。」
尚希の言葉に、拓也は同意の意を示して頷く。
「今は、おれたちの魔力反応が特に強いだろう。おれたちは、知恵の園の中でも力が強い部類に入るんだ。おれたちの力は、ただでさえ希薄な実の存在をさらに曖昧にする。あいつらにとっては、おれたちが一番邪魔だろうな。」
「そりゃ違いないな。大体、お前の言いたいことは分かってきたぞ。」
そう言う尚希の表情は、避けられない問題を前にしたかのように険しかった。
「つまり、オレたちはもう、奴らにとって排除すべき雑草ってことなんだな。」
「そのとおり。」
拓也は尚希が辿り着いた結論を肯定する。
「今日おれが真正面からあいつらに逆らっちまったから、逃げ場はないな。尚希はとばっちりに遭う感じだから、ちょっと申し訳ないけど。」
「お前……楽しそうだな。」
尚希の表情に苦々しい色が浮かぶ。
彼が指摘するように、拓也の口調は歌うように軽かった。
「そうか?」
拓也は小首を傾げるだけ。
「拓也……」
「なんだよ? 言いたいことあるなら、はっきり言えばいいじゃねぇか。」
鋭い視線を尚希に向ける拓也。
「私利私欲のために、実を利用するなってさ。」
「………」
その場に静寂が満ちた。
黙り込んだ尚希に、拓也は胸が荒むような気分に陥る。
分かっている。
尚希が今、何を考えているのか。
結局自分は、こういう人間でしかないのだ。
何も誤解などしていない。
そう。
何も―――
「………」




