出てきた可能性
ぞわっ
「―――っ!?」
手が影の中に入った瞬間に襲ってきたのは、得も言われぬ不快感。
間一髪で悲鳴をあげることは抑えられたものの、とっさに引っ込んだ手が向かう場所まではコントロールできなかった。
「いってぇ!!」
耳朶を叩く、驚き混じりの声。
それで我に返り、拓也の頭を思い切り叩いていたことに気付いた。
「あ…」
見下ろした先には、頭を押さえながらこちらを睨む拓也の顔。
色んな意味で戸惑った。
どうしよう。
拓也が気付かないうちに去るつもりだったので、言い訳を全然考えていなかった。
考えること三秒。
「ごめん。虫がいたから、つい。」
適当な建前を口にするも、当然ながら拓也には懐疑的な視線を向けられた。
「本当かよ?」
「本当。」
「……嘘くせ。」
「はいはい、白状しますって。学校に来てすぐに勉強してるから、ちょっかい出しに来たんですー。」
まったく、拓也の嗅覚には困ったものだ。
ごまかすのも一苦労じゃないか。
まあ、考えるより先に嘘を重ねた上に、ばっちりと悪戯な笑顔を作れる自分も自分だけど。
「よくやるよね。昨日もずっとこんな感じだったわけ?」
またもや香りで嘘臭さに言及されるのは嫌なので、拓也のノートを覗き込んでからかうように言ってやる。
すると、目論みどおり態度の方に気を取られた拓也がむっと顔をしかめた。
「そうだよ。どこかの誰かさんと違って、おれは勉強しないと点数が取れないんでね。」
ぶっきらぼうにそんなことを言う拓也は、まだ頭をさすっている。
どうやら、相当痛かったらしい。
無意識に動いていた手で力の加減などできるわけもないので、仕方ないけど。
拓也の頭を叩いてしまった自分の手も、若干の痺れを伝えてきているほどだ。
これは、かなりの力がこもっていたと見える。
実は、苦笑を漏らすしかなかった。
「おいおい…。俺だって天才じゃないんだから、ちゃんと勉強はしてるよ?」
「それにしては、随分と余裕じゃねぇか。こうやって、おれにちょっかいを出しに来るくらいなんだから。」
「あー……はいはい、悪かったって。もう何もしないから、好きなだけ勉強に集中してください。」
このままでは狙った以上に拓也の機嫌が悪くなりそうなので、実は早々に拓也の席を離れた。
自分の席に戻ってから拓也の様子を見ると、先ほどのやり取りなどなかったかのように、勉強に集中している拓也の姿が。
しばらくは、拓也がこちらに意識を向けることはないだろう。
それを確認して、実は肩の力を抜いた。
「………っ」
影に突っ込んだ右手を、やや凍った面持ちで見つめる。
あの時全身を駆け抜けた不快感。
それが、未だに全身を苛んでいた。
特に、影に直接触れた右手に関しては、無駄だと知りつつも今すぐに洗いたい気分だ。
心臓はどくどくと早鐘を打ち、血の気が引いて体の末端が冷えている。
あの影の中は、明らかに普通の空気とは違っていた。
右手が影の中に入った瞬間、空気から別の物体の中に手を差し入れたかのような感触がしたのだ。
おそらくは、影を認識していない者が同じことをしても、なんの手応えも得られない。
それは、昨日から影と周囲の様子を観察していた結果から断定できる。
ならば、自分は影の存在をきちんと認識しているので、その違いを感じることができたと考えるのが筋というもの。
と、いうことは……
介入しようという確かな意志があれば、もしかしたら接触も可能かもしれない。
実は右手をぐっと握り締める。
一つ深呼吸をする間に、自分の中でぐるぐると渦巻くわだかまりを振り払う。
時間の猶予は、全くないと考えていい。
接触できる可能性が出てきた以上、それを行動に移さないわけにはいくまい。
(とりあえず、拓也も休憩する昼休みを狙うか……)
そう結論づけて、実はゆっくりと右手をひらめかせる。
そこから、淡い光がきらめいた。




