クリスマスの事故
「!?」
顔を上げた時には、世界が一変していた。
あっという間に周辺から人々が逃げ去っていき、それでも避けられなかった人々を巻き込みながら、こちらに突っ込んでくる一台の車。
「危ない!!」
とっさの判断で、母親を思い切り突き飛ばす。
しかし、地面に座り込んでいた少女まではかばいきれなかった。
視線を巡らせると、車との距離はもうほとんどない。
(―――っ! 間に合わない…っ)
拓也は少女を自分の胸の中に抱え込み、きつく目を閉じた。
鼓膜を叩きつけるのは、車が建物にぶつかる衝撃音とガラスが割れる音。
バラバラと降ってくるガラス片。
騒然とした空気の中、拓也はおそるおそる目を開く。
車は自分の左隣すれすれを横切り、ガラスに突っ込んで止まっていた。
(……やば。)
白く染まった頭の中に、その言葉だけが浮かぶ。
本当なら、この車は自分たちを直撃していただろう。
体を苛むちょっとした疲労感から察するに、無意識に魔法を使って車の軌道を逸らしてしまったらしい。
とはいえ、こちらも命の危機だ。
こんな時まで、魔法のコントロールなど考えてもいられない。
魔法を使ってしまったといっても特に怪しまれない程度のものだろうし、第一こんな学生が不可思議な術を使えるなんて誰も思わないはずだ。
大丈夫だと思う。
多分。
少しばかり不安になる拓也の懐で、もそ…と何かが動いた。
「あ…」
拓也は腕の力を緩める。
腕の中では、無意識にかばった少女が不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
「……大丈夫か?」
狼狽えながらも、なんとかそう訊ねる。
「うん。」
少女はこくりと頷いた。
その頷きどおり、彼女はこれといった怪我をしていない様子。
これは、不幸中の幸いとでも言うべきか。
ほっとした拓也は、肩を落として表情を和らげる。
「あやか!!」
突如響いた半狂乱の甲高い声に、少女がピクリと反応する。
少女と共にそちらを見ると、先ほど突き飛ばした母親が必死に駆け寄ってくるところだった。
「あやか、あやか!! 大丈夫!?」
「うん。」
彼女は少女の体をベタベタと触り、怪我がないと分かると泣きそうな顔で少女を抱き締めた。
「あなたも大丈夫!?」
「はい、なんとか。そっちも、怪我がなさそうでよかったです。」
眉を下げて微笑むと、彼女はまた顔を歪めて何度も頭を下げてきた。
そうやって気が抜けたところで、遠くから聞こえてくる救急車のサイレンの音に気付いた。
周囲を見渡すと、すでに何人かの警察官が駆けつけてきていて、野次馬たちを近付けないように規制線を張り始めていた。
そして、それと同時作業で何人かが怪我人たちの応急手当てに奔走している。
こちらに声がかけられるのも、時間の問題か。
「大丈夫ですか!?」
思ったそばからこれだ。
「はい。びっくりしたけど、大丈夫です。」
思わず出かけた溜め息を殺しながら、駆けつけてきた警官の男性にそう答える。
すると、彼は安堵した表情を見せながら、手にしていた救急箱を開いた。
「意識ははっきりしているみたいでよかったです。じゃあ、とりあえず止血だけさせてくださいね。」
「え…?」
言われて驚く。
(止血?)
拓也は目をしばたたかせながら、彼の視線の先を追った。
まず目に入ったのは、ばっくりと縦に裂けたジャンパーの袖。
おそらく、ガラスがかすったのだろう。
ガラスは、ジャンパーだけではなく、その下のシャツや皮膚までも切り裂いていたらしい。
ジャンパーから覗く白いはずの綿は、真っ赤に染まっていた。
言われて気付いたが、左腕全体が濡れた感触に包まれている。
「いつの間に……いって…っ」
怪我を自覚した瞬間、痛みが灼熱の炎となって全身を襲ってきた。
痛いのか熱いのか分からない感覚に、拓也は顔をしかめるしかない。
「痛いとは思いますけど、上着は脱げそうですか?」
「あ、はい。」
訊ねられ、拓也は頷いてジャンパーのチャックを下ろした。
本当は治そうと思えばすぐにでも治せるのだが、目の前に警官や親子がいる以上、それもできそうにない。
隙を見てこっそり帰ろうにも、衆人環視のようなこの状況では無理がある。
(ま……いっか。)
近付いてくるサイレンの音を聞きながら、拓也はそっと息をついた。
これが、全ての騒動の始まりだとは思いもせずに……




