このままだと―――
実の姿が消えていくのを、エリオスは悲しげな瞳で見つめる。
そして、実の姿が完全に消えると、エリオスは立ち上がって拓也へと歩み寄った。
「すまなかったね。苦しかっただろう。」
エリオスが手をかざす。
それで、拓也を戒めいていた力がなくなった。
拓也は自分の体が動くことを確認しながら、自らも立ち上がった。
「アレは、何なんですか?」
拓也は目を細めて、詰問口調で問いかけた。
単刀直入に訊かないと、エリオスは適当にはぐらかすだろう。
彼は、そういう人間だ。
「悪いけど、話すことはできない。アレの存在は、誰も知らない方がいい。実でさえもね。」
「それで、納得するとでも?」
拓也の鋭い視線に、エリオスは申し訳なさそうに頭を下げた。
思わぬその展開に、拓也は狼狽えてしまう。
「そうだね。君の性格上、それが通じないことは十分に承知している。だけど、すまない。どうか、何も訊かないでほしい。できることなら、実の魔力は封じたままにしてあげたいんだ。」
「……そんな願い、本気で叶うと思っていますか?」
実の魔力を封じたままにしてあげたい。
その言葉で、戸惑いが綺麗に霧散した。
拓也は厳しい口調で語る。
「この一年、エリオス様が魔法精鋭部から実を隠し続けたことは称賛に値します。ですが、もう限界です。実が自分から魂寄せに抵抗した以上、崩壊は加速するだけです。奴らの手は、すでに実を捕らえてしまった。だからおれは、急いで実に現実を受け入れさせる必要があった。あなたも分かっているはずです。どんなに手を尽くしても……もう、間に合わないと。」
「………」
エリオスは無言。
「このままだと―――実は死にます。」
拓也は、非情な現実を突きつける。
「………そうだね。」
長い沈黙の末、エリオスは深い溜め息と共に拓也の言葉を認めた。
「そういえば、あの時は君も一緒にいたんだっけね。君って子は……まったく、相変わらず容赦がない子だね。―――拓也君。」
それを聞いた瞬間、ピクリと拓也の眉が跳ねた。
「どうして、こっちでの名を?」
こちらの問いに、エリオスは微笑むだけ。
「私が異変を察知してここに駆けつけた時、実が君を揺すりながらそう呼んでいたからね。……とうとう、君までこっちに来てしまったのか。キース君といい君といい、私が指導してきた子は、忠誠心をどこかに置き忘れてくるらしい。」
「あなたが指導すれば、誰でもこうなりますよ。あなたがそういう人なんですから、仕方ないです。」
「ふふ、もっともだ。」
エリオスは、どこか楽しげに笑った。
そんなエリオスの笑い声に誘われて、拓也もつい笑ってしまう。
「あいつなら、元気に社会人やってますよ。今後の平穏の為にも、あいつはこの件には関わりたくないって言いそうですけど……そうもいかないでしょうね、おそらく。」
拓也がそう言うと、エリオスは表情を曇らせた。
「この前実が抵抗した一件と、先ほどのセリシアの術へ君が介入した一件。この二つの出来事によって、向こうではこの街に実がいるという見解が確実だと結論づけられただろう。きっと、近々そちらは大変なことになると思う。あくまでも影でしかない私は、これ以上は実を助けてやることができない。でも、だからといって君たちが無理に実に関わる必要はどこにもないんだよ? 君たちには、君たちが望んだ暮らしがあるだろう。それを優先しても―――」
「ふざけないでくださいよ?」
暗に手を引けと言うエリオスの言葉を、拓也はたまらず遮った。
拓也の不快そうな鋭い眼光がエリオスを射る。
「誰が離れるっていうんです? こっちでの生活を優先させるつもりなら、こうやって色んな世話を焼きませんよ。関わらないでいるつもりなら、あの時に実を助けるわけがないでしょう? それにおれ、実のことは割と好きなんで。できれば……おれたちみたいな苦しみは、味わってほしくない。」
拓也の発言に、エリオスは虚を突かれたような表情をした。
しばらく拓也をまじまじと見つめていたエリオスは、やがてぽつりと呟く。
「……変わった…ね。」
「どうでしょう。」
エリオスの感想に対する拓也の答えは、やけにそっけなかった。
「自分では、あまり変わってない気がしますよ。だって―――」
次の瞬間、拓也の表情が暗い笑みに彩られる。
「実を助けるためにおれが動けば、あいつらに一泡吹かせられるってことなんですから。」
自嘲的な響きを伴った声。
黒から変わった紺碧色の瞳に宿る、静かながらも苛烈な感情を含んだ光。
「拓也君……」
「分かったでしょう? おれの目的は、昔から何も変わってませんよ。今はキースの馬鹿のせいでこっちにいますけど、きっかけすらあれば、おれは目的のために動く。口では苦しんでほしくないなんて綺麗事を言ったけど、きっと本当は―――」
「拓也君。」
拓也の名を呼んだエリオスは、複雑そうな表情で拓也を見つめていた。
口をつぐんだ拓也の瞳をじっと見据えたエリオスは、目を閉じるとその表情を和らげる。
「大丈夫だよ。実を好きだと言ってくれた君が、きっと本当の君だ。あの場所は、子供の心を破壊しかねない場所だからね。あそこにいる時は、君があんな風に荒れていても仕方なかったんだ。だから、そうやって自分を貶めようとするのはやめなさい。」
「……買い被りすぎですよ。」
「そうかい? じゃあ―――」
エリオスは再び、拓也に頭を下げた。
「実のことを、助けてやってほしい。」
突然のことにたじろいだ拓也に向かって、エリオスの真摯な口調でそう頼んだ。
とてつもなく重たいものを託されたように感じて、一瞬言葉につまる。
でも、答えに迷いはなかった。
「頼まれなくても、そうしますよ。この無駄に強い魔力が役に立つなら、惜しみなく使わせてもらいましょう。」
澱みない口調で拓也が答えると、エリオスはゆっくりと顔を上げた。
「ほら、ね? やっぱり、君は本当の自分を誤解してるみたいだ。」
「………っ」
エリオスから向けられた微笑みに、拓也は返せる言葉を見つけられなかった。
(おれ…は……)
脳裏にひらめく記憶の欠片が、胸にちくちくと針を刺すような気がした。
違う。
自分はそんなんじゃない。
自分は―――そんなに綺麗な人間じゃない。
眉を寄せて闇を睨む拓也。
エリオスはそんな拓也をしばらく見つめていたが、ふとした拍子に息を吐き出して拓也の頭に手を置いた。
「そろそろ戻った方がいい。私が送ろう。」
「……そうですね。」
自分の中に渦巻く感情には蓋をして、拓也はエリオスの言葉に答えて頷いた。
そしてエリオスも、そんな拓也を問い詰めるようなことはしなかった。
「最後に一つ、実に伝言を頼みたい。」
「なんですか?」
拓也が訊ねると、エリオスは真剣な表情を作る。
「あの声に応えてはならない、と。そう伝えておいてくれ。」
エリオスの危惧することが分かって、拓也は同じく真剣な顔つきで頷いた。
頭に触れたエリオスの手から温かい熱が広がって、意識が遠退いていく。
その力に抗わずに、ゆっくりと拓也は目を閉じた。




