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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第1部】日常の崩壊と覚醒
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闇の中の邂逅

<第3章 錯綜>





「なんて無茶をさせるんだ!!」





 突如鼓膜をつんざいた怒声に、拓也は反射的な速さで飛び起きていた。



(うっ…)



 途端に、体と声の自由が奪われる。



 いきなりのことで驚いたが、すぐにここが自分の支配領域ではないことが分かったので、無理に(あらが)いはしなかった。



 何が起こったのだろう。

 ここは一体どこなのか。



 辺り一面が闇に満たされた空間で、拓也は静かに思考を巡らせる。



「仕方ないよ。無意識に力を使おうとしているのは、彼の方なんだから。僕に責任はないよ。」



 聞き覚えのある声が耳朶(じだ)を打って、拓也は目だけでその方向を探した。



 ちょうど自分の前方に実がいた。

 実はこちらに背を向けて、誰かと話しているようだ。



「………っ」



 拓也は目を見開いた。



 実が話していた相手は、なんとエリオスだったのだ。

 彼は、苦々しい表情で実を睨んでいる。



「責任がない? 笑わせないでくれ。確かに、あの子は無意識で魔力を使おうとしている。だが、それを手助けしているのは君だろう。あの子は魔力を使うことに慣れていないんだ。あの子を潰す気なのかい?」



 エリオスの(とが)めるような視線を、実は平然と受け流している様子だった。

 そこに感じられるのは、大きな違和感。



 ―――アレは、実の姿をしていているが実ではない。



 そんな確信を(いだ)きながら、拓也は二人の会話を聞くに徹した。



「それは、父さんにも責任があるんじゃないの? ちゃんと、魔力抵抗を維持しておくように細工しておけばよかったじゃない。そうしなかったのは、彼がもう二度とあの世界に関わることがないって、そう決め込んでたからでしょ?」



 実に言われ、エリオスがぐっと言葉につまる。



 実は楽しそうに笑った。

 まるで、エリオスの反応を面白がっているように。



「それに、僕がこうして一時的に体の主導権を握れるくらいに、封印は弱まってる。この間の一件以来ね。まあ、事態は急に悪くなっちゃったし、ちょうどいいよ。本当は嫌だけど、そろそろ僕を解放したほうがいいんじゃない?」



 実が問うと、エリオスは苦虫を噛み潰したかのような表情を作った。



「封印を解く鍵は、実の意志だ。確かに封印をしたのは私だが、封印を解く権限は実にしかない。」



「ふーん……」



 実は肩をすくめた。



「不便だね。」



 そう一言。

 エリオスの顔が、さらに歪んだ。



「……あの子を守るには、こうするしかなかった。」



 それは低い、殺気すら伴った声だった。

 その声の雰囲気に、拓也は思わず息を飲んだ。



 首を冷や汗が垂れていく。

 エリオスが放つ雰囲気に、周囲の空気がびりびりと(しび)れるような感覚がした。



「そうだね。でも、彼が本当に望んだことは、記憶と力を消してくれってことだよ。封印してほしいとは言ってないはずだ。それに、封印した後のことは全く望んでなかったと思うよ? 力を封印した後、父さんは彼をとことん殺意から遠ざけて、なおかつああいう性格になるように、慎重に愛情を注いだ。それは、彼の知り得ないことだったんじゃないの?」



「………っ」



 実の言葉にエリオスが息を飲み、唇を噛んでゆっくりとうつむいた。

 険しい表情を一転させたエリオスは、悲しそうに目を伏せて手を握り締めている。



「ああ、落ち込まないで。それを責めているわけじゃないんだ。」



 言葉こそ(なぐさ)めているが、実の声から(うかが)える態度は、あくまでもエリオスの反応を見て遊んでいるようだ。



(どうして、あんなに笑ってられるんだ。)



 目の前のモノに膨らんでいく、気味悪さを伴った嫌悪感。



 拓也がそんなことを感じているとも(つゆ)知らず、実はくすくすと笑う。

 そして両手を広げて、うたうように先を続けた。



「ああいう性格は、この世界には都合がいいじゃんか。人当たりがよくて、真面目だけど気さくで、周りとの摩擦がほとんどない。穏やかに、幸せに暮らしていけるだろうね。過去のことなんか忘れて、幸せに過ごしていってほしい。そう願った父さんの判断は、当然で正しいものだと思うよ?」



 広げた手を後ろ手に組み、実はエリオスの顔を下から覗き込む。



「でもそのせいで……彼はこの先、かなり苦労するだろうねぇ?」



 ゆっくり絡みつくような声で放たれる、悪魔の(ささや)き。

 それを聞いたエリオスの顔に、一瞬で血が(のぼ)る。



 そのままの勢いで実の胸ぐらを掴んで―――ピタリと、その体が止まった。



 なけなしの理性でブレーキをかけたのだろう。

 実の胸ぐらを掴む手は、小刻みに震えていた。



 自分に危害が加えられそうになってなお、実に笑みを絶やした様子はなかった。



「あははっ、なんで怒るの? 僕はこれでも、この先に考えられる未来を心配してるんだよ。優しすぎる彼に、全部を壊すことなんてできるのかなって、ね?」



「―――っ!!」



「まあ、僕は彼が壊れても全然構わないんだけどね。前みたいに心が壊れたら、彼はただの殺戮(さつりく)兵器だ。それはそれで、面白いじゃない?」



「ふざけるなっ!!」



 エリオスの口から発せられたのは、血を吐くような叫びだ。



「あの子が壊れてもいいだと…? あの子の存在を、(ないがし)ろにするんじゃない!! 君は、そんなにあの子の心を乗っ取りたいのか!? 君の存在なんて、本来はあってはならないものなのに!?」



 しん、と。

 場が静まり返った。



 実のことを射殺さんばかりの眼力で睨むエリオス。

 すると、今まで実を包んでいた笑みの雰囲気が一瞬で霧散した。



 しばらく、周囲は耳が痛くなるような静寂に包まれる。



 その静寂を破ったのは―――他でもない、実の笑い声だった。





「くだらない。」





 ぽつりと零れた、その一言。



「―――っ!?」



 背中を蛇のように(おぞ)()が降りていって、拓也は全身をぞくりと震わせた。



 なんだ、この胸の苦しさは。

 凍りついたかのように、全身が冷たくなる。



 たった一言だ。

 それだけで、体も心も隅々(すみずみ)まで支配されて屈服させられるようだった。



 聞いた者の恐怖を駆り立てるような声。

 実が発した声は、そんなものだった。



「彼の心を乗っ取りたい? 僕が、そんなくだらないことに執着してると思ってるわけ? これだから、人間なんて嫌いなんだ。どうせ、封印が解ければ僕は消えるってのにさ。僕の存在が本来あってはならないものなのは、他でもない僕が一番よく分かってるよ。」



 実が硬直するエリオスにゆっくりと近付き、その頬に手を寄せる。

 それによって、拓也に実の表情が初めて見えた。



「―――っ」



 息がつまった。



 実は冷笑していた。

 全てを(あざけ)り、(さげす)み、そして全てを見透かしているかような表情。



 あれは、人間が浮かべる表情じゃない。

 本能的にそう感じた。



 実は(わら)う。



「別にいいんだよ? 僕はこの世界がどうなろうと、心底どうでもいいんだから。なんだったらご期待どおり、彼を壊してあげようか?」



 そう問われたエリオスの表情がキッと険しくなる。

 その反応の一つ一つを、実はたのしんで見つめている。



 可愛らしく小首を傾げてみせる実。

 その仕草は〝殺したいなら殺せば?〟と、エリオスを挑発しているように見えた。



 エリオスが口を開こうとしたところで―――ふと、その目が拓也を(とら)えた。



 エリオスの表情の変化に気付いたのだろう。

 振り向いた実は起き上がっている拓也を見ると、にこりと笑った。



「ああ、起きてたんだね。そうそう、封印が一気に弱まったの、この子の影響も多少あるよ。力が強い人の傍にいることで、封印されている彼の力が共鳴を起こしてるんだ。」



「黙れ!!」



 エリオスが叫ぶ。

 実はそれに、溜め息をついた。

 両手を軽く挙げて、首を微かに振る。



「やれやれ。嫌われてるなぁ…。あれ?」



 実の表情に小さな驚きが混じる。

 しかし実は一瞬で笑顔を取り戻すと、くるりとエリオスに向き直った。



「……どうやら、今日はこれで限界みたい。話せて楽しかったよ。」



 じゃあね、と手を振ったその瞬間、実の体が支えを失った。

 エリオスがその体を受け止め、実に衝撃を与えないようにそっと座る。



 実の目が微かに震え、その一拍後ハッとしたようにその目が開かれた。



 ぐるりと周りを見回した実は、エリオスに気付くと、自分と同じ薄茶色の瞳を見つめる。



 先ほどまでとは打って変わって、実の目は不安で大きく揺れていた。



「父さん……俺……」



 エリオスにすがりつくその手は、がたがたと震えている。



 エリオスは厳しい顔を一転させて優しげに目を細めると、実の頭をなでた。



「いいんだ。今はまだ、何も知らなくて。父さんも今、どうにかしようって頑張ってるから。だけど、忘れないで。鍵は実の意志だ。実が望むなら、力は応えてくれる。」



 エリオスが、実をふわりと抱き締める。



「おやすみ。」



 驚いた様子の実の目が、静かに(まぶた)の向こうへと消えていく。



 再び気を失った実の体が、淡く発光する。

 その輪郭がぼやけ、実の体は光の粒子となって消えていった。



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