受け入れがたい現実
響いたのは、思わずほっとしてしまうような柔らかい声。
「―――っ!?」
その声に一番反応したのは、他でもない実だった。
(うそ……)
心臓が、ばくばくと早鐘を打ち始める。
信じられない。
そんなはずない。
必死に、目の前の現実を否定する。
(でも、この声は……)
実はおそるおそる、顔を上に上げ始めた。
見たくない。
見てしまったら、否定していたことを全て信じなければならなくなる。
本当に、戻れなくなってしまう。
それが、たまらなく怖い。
(嫌だ……嫌だ……)
必死の抵抗も虚しく、無情にも顔は上へ上へと上がっていく。
そこに立つ人物の姿が見えてくる。
足、腰、胸、首、そして―――
実の蒼白な顔が、大きな驚愕に彩られた。
その唇が、わなわなと震え始める。
「―――父さん……」
その口から、かすれた声が零れた。
そこにあったのは、なんと父親の姿だったのだ。
しかし、動揺するのは自分だけ。
拓也は少しも驚かなかった。
「これが……現実だ。」
拓也はそう告げるだけ。
実はその言葉を聞き咎めて、思わず拓也に掴みかかった。
「現実って……現実ってなんだよ!? なんで、父さんが拓也の記憶の中にいるわけ!?」
実は拓也を揺さぶる。
「……仕方ないだろ。現実は、現実なんだから。」
拓也は、実から逃げるように顔を逸らした。
「本当は、初めて実を見た時からほぼ分かってたんだ。実がこっちの人間で、エリオス様の子供だってことは。」
拓也の告白に、実は目を見開く。
「初めて実を見た時、あまりにもエリオス様にそっくりでびっくりしたよ。まさかと思ったけど、他人の空似かもしれないし…。だからテストをした。そしたら花は見えてるし、証拠とばかりに国家から術の干渉を受けてるし…。おれの中で、実がエリオス様の子供だってことは確定だったんだ。ここに連れてきたのは、実にそれを認めさせるため。全部、おれの都合でしたことだ。昔の記憶がないなら、実にとっては多分……いや、絶対に知らない方が幸せだったと思う。ごめん。」
実は、薄ら寒い心地で拓也の言葉を聞いた。
胸の中から、だんだんと激情が抜け落ちていく。
拓也の胸ぐらを掴んでいた手が、ふとした拍子に力を失って地面に落ちた。
「父さんって、どんな人なの…?」
ひどく疲労した声が、拓也の耳朶を打った。
訊ねた実の瞳に動揺はない。
人形のように空っぽな双眸が、静かにこちらを見つめていた。
「教えてよ、拓也。俺、父さんのことをよくは知らないんだ。あんまり家に帰ってこない人だったし、ここ何年かは全然連絡もつかない。……父さんって、本当はどんな人なの?」
その言葉には、有無を言わせない力が込められている。
そんな実の静かな圧力に押されて、拓也は口を開いた。
「エリオス様は、〝アクラルト〟と称される水の精霊の統治者だ。四大芯柱の中でも一番の実力者で、この知恵の園をまとめている総責任者でもあった。……優しくて、誰からも好かれる人だったよ。」
「……そう。」
拓也の話を聞きながら、実はゆっくりと頭上を見上げた。
ここにいる父は、優しげな表情で笑っている。
その笑顔は、自分の記憶の中にある父の笑顔と寸分の違いもなかった。
(俺……どうすればいいの? 父さん。)
心が疲弊しきっている。
もう、どうすればいいのか分からなかった。
ここにあるのは、父親が確かに異世界の人間だったという事実だけ。
それが心に染み込んだ時、胸の奥の奥で何かが蠢いた。
(………?)
最初に感じたのは違和感。
そして、何かの蓋が開くような感じと共に、脳裏に一瞬だけ映像が弾けた。
あまりに唐突かつ一瞬だったので、その映像が何かは分からない。
しかし映像が弾けた直後、周りの景色に抱く印象がガラリと変わった。
(あれ? ……俺、ここを知ってる。)
具体的にこの景色を知っているわけじゃない。
知っていると感じたのは、身を包むこの空気。
―――自分は、この世界にいたことがある。
そう思った刹那、思考を貫くほどの頭痛と吐き気が込み上げてきた。
自分がそれ以上の思考に及ぶのを阻止するかのように、脳内で何かがざわめく。
目の前の景色がぐわりと歪み、揺れる。
「う…」
実は思わず、耳を固く塞いだ。
それで異変に気付いた拓也が実の肩を掴む。
「実?」
訊ねた拓也の髪を、ふいに吹いた風がなでる。
拓也は怪訝深そうに眉根を寄せた。
おかしい。
記憶の中で、風が吹くはずがないのに。
風の根源を探した拓也は、その根源に気付いて瞠目した。
風は、実の周りに円を描きながら吹いていたのだ。
「実!? しっかりしろ! 力を暴走させたらだめだ!!」
拓也は実を現実に引き戻そうと、その肩を激しく揺らした。
ダメダ、ダメダ、ダメダ。
拓也の声と脳内でざわめく声がうるさい。
頭痛と吐き気をこらえる実は、ざわめきを振り払おうと必死に頭を振る。
「実!!」
拓也が必死に叫んでいる。
ダメナンダ……
ざわめきは消えない。
……ハ、イケナイ
「―――っ!?」
ふいに気付いた。
ダメダ、ダメダ、ダメナンダ。
脳内に響く、この声は……
―――オモイダシテハ、イケナイ。
他でもない、自分の声だ。
「―――――あ……」
ブツン、と。
何かが自分の中で切れた。
「あああああああああああっ!!」
実の口腔から絶叫が迸る。
それに応えるように、風が勢いを増した。
実と拓也を中心に、風は巨大な竜巻へと変貌を遂げる。
ガラスが割れるような音を立てて、記憶の世界が竜巻に掻き消されていく。
「みの――くっ…」
勢いが収まらぬ風は、拓也の視界と呼吸すらも奪う。
窒息する苦しさの中、なす術もなく、拓也の意識は闇に閉ざされた。
<第2章 平和の崩壊>END 次章へ続く…




