闇色に揺れる絶望
その日の夜もいつものように、実は皆が寝静まった時間を見計らってベッドを抜け出した。
足音を忍ばせて、廊下に出る扉に手をかける。
その時、ふいに後ろから抱き締められる感触に包まれた。
「……え?」
気配一つ感じ取れなかった自分に驚く。
「また図書室に行くの?」
後ろで、くすりと桜理が笑う。
「なんでそれを……」
「簡単。桜が教えてくれたのよ。実が毎日、必死に調べ物をしてるって。」
固まる実に、桜理は小さくそう言った。
その後、二人の間に沈黙が落ちる。
実は桜理の手をほどいて桜理に向き合うと、華奢な体を抱き寄せた。
それに応えて、桜理も実の体に手を回す。
「ねえ……」
桜理が実の耳元で囁く。
「私を助ける方法、探してるの?」
ずばり核心を突かれた実の体が、びくりと震えた。
その反応に、桜理は微かな笑い声を漏らす。
「実、分かりやすい。」
そう言って、桜理は自ら実の胸に顔をうずめた。
「ありがとう。……でもね、もういいの。」
実は反応しない。
桜理は構わず、静かに告げた。
「もう、悔いはないの。」
「………っ」
実が悔しげに唇を噛む。
「最期の時間を、ずっと実と過ごすことができる。それだけで、十分に幸せだわ。それに……もう、疲れちゃったの。自分の命が尽きるってことに悲しむことも、何もかも…。受け入れてしまった方が、いっそのこと楽よ。どうしたって、私はもう死ぬしか―――」
「桜理!!」
気付けば、桜理の言葉を遮るように叫んでいた。
それだけでは衝動を吐き出しきれなくて、桜理の肩を掴んで強く揺さぶる。
「どうしたんだよ、桜理らしくもない。桜理は、そんな後ろ向きの発言を嫌ってたじゃんか!」
自身が嫌いな言葉を口にする桜理の姿が、いたたまれなかった。
しかし、こちらの言葉は届かず、桜理はうつむくだけ。
「だって、方法がないんだもの…。私だって、散々調べたのよ?」
「まだ分からない。もっと専門的な魔法の観点から考えれば、何か突破口が見えるかもしれない。俺がどうにかするから!」
言い聞かせるも、桜理は頑なに首を振る。
「だめ…。時間がないわ。もう、何をするにも手遅れよ。」
「じゃあ、本当にこのまま死んでもいいのかよ!?」
桜理の肩を掴む手に、力がこもった。
こんな言葉、いつも心のどこかで死にたがっている自分が言うのはお門違いだろう。
分かってはいるけど、それでもいい。
自分勝手でもいいから、桜理には生きていてほしい。
また助けられないなんて、絶対に嫌なのだ。
自分の叫びを最後に静まり返った部屋の中、桜理に聞こえてしまうのではないかと思うほどに、鼓動が大きく鳴り響く。
桜理の答えを聞くのが怖い。
もし桜理が死んでもいいと言ったら、どうすればいいのだろう。
どんなに生きていてほしいと願っても、死こそが桜理の本当の望みだとしたら……
果たして、自分は何をするべきなのか。
一体、残された時間で彼女に何ができるのか。
今の自分は、それらの答えを何一つとして持っていなかった。
桜理はうつむいたまま動かない。
無為に流れる無言の時間は、まるで針の上に立っているような時間だった。
「……な………じゃない。」
桜理の唇がわずかに震える。
その時、下を向く桜理の顔から光るものが落ちたのを見た。
「桜理……」
心配になって手を伸ばす。
その手が桜理自身の手によって弾かれ、ずっとうつむいていた彼女が一気に顔を上げた。
「そんなわけないじゃない!!」
自分に負けない勢いで叫ぶ桜理。
仄かに赤く色づいた頬を、涙が一つ二つと流れていく。
その姿が昔最後に見た幼い桜理と重なって、胸がきつく締め上げられて呼吸が一瞬止まった。
「死にたいわけない! 生きたいよ!! でも……方法も時間もないの。それなのに、一体何ができるっていうの? 無責任なことを言わないで!」
「………っ」
無責任なこと。
何も打開策を見つけられていない状況では、その言葉に反論なんかできなかった。
もどかしげに唇を噛む実。
そんな実の前で、普段の明るさを捨て去った桜理が苦しみに満ちた声で叫び続ける。
そして―――それを皮切りに、全ての現実が露わとなる。
「それに、私なんて生きていても死んでいても同じだわ。だって……私がいなくなったらどうせ、みんな私のことを跡形もなく忘れちゃうんだから!!」
「―――っ!?」
その言葉に息を飲んで、無意識のうちに桜理と距離を取る。
しかし、それだけで動揺が収まるはずもなく、むしろ動揺を煽るように彼女の言葉が頭を激しく揺さぶってくる。
今、桜理はなんと言った…?
全身から、瞬く間に血の気が引いていく。
大きく収縮していた心臓が早鐘を打ち始めて、痛みを訴えてきた。
「何も知らないって、本気でそう思ってたの?」
桜理の声が、冷たいものに変わる。
それをきっかけに彼女の表情から激情が消え失せ、静かな瞳が実を映す。
そこにあったのは―――深い絶望だ。
「ここに来てからしばらく経った時、たまたまここに来た人の協力で、一回だけ地球に戻ったことがあったの。私、みんなに会いに行ったのよ? そしたら……みんな、私のことを忘れてた。私を見ても、何も反応しなかった。ママもパパも、りっちゃんやみきちゃんも、さよ先生も……」
その時の絶望を表すように、闇色の瞳から透明な雫がぽろぽろと零れて床に落ちていく。
「悲しかった…。私がいた意味って、なんだったの? 誰の中にも残らないなら、生きている価値なんかないじゃない。私って、なんのために生きてきたの? これから……なんのために生きていけばいいの?」
桜理はただ、訥々と切ない胸中を語る。
「あの人は、私に色んなことを教えてくれたわ。みんなは、誰かに私に関する記憶を消されちゃったんだって。でも、実―――あなただけは違うって言ってた。」
桜理は一呼吸して、また口を開いた。
「実だけは、自分の意志で私のことを忘れたって、本当なの?」




