ゼロになったら、想いはどこへ――?
「俺さ……なんか、ずっともやもやしてたんだよね。」
ぽつり、と。
実は独り言のようにそう零す。
「別に、俺はこの世界が好きじゃない。その気持ちに正直になるなら、拓也や父さんに言われたとおりに、ディライトと一緒に世界を滅ぼしちゃってもいいんだよね。尚希さんには申し訳ないけど、父さんや母さんが笑って受け入れてくれるなら、俺も笑って眠れる気がするもん。桜理も一緒なら嬉しいな。」
はは、と明るく笑った実は、すぐにその表情を神妙なものにする。
「でも、何かが腑に落ちなかった。俺たち家族だけじゃなくて、世界も丸ごと消える……それは何かが違う気がして、拓也にも父さんにも〝うん〟って頷けなかった。……で、逃げながら色んな人を見て、何に引っ掛かってたのか分かった。」
地面を見つめていた実はゆっくりと顔を上げて、ディライトを真正面から見据えた。
「ねぇ、ディライト。このまま世界をリセットしたらさ……俺やディライトの苦しみや、俺を大切にしてくれるみんなの想いは、どこに行くのかな?」
『今ここで生きている僕たちは、〝今〟にしか存在できないんだぞ!!』
何をやっても、助からないとしたら。
そう訊ねた自分に対して放たれた、命の全てを込めたような叫び。
あれを聞いて、自分の中でくすぶっていた違和感の正体に気付いた。
「リセットして、ゼロに戻したら……何が残るの? その先に何が待ってるの? ―――同じことの、繰り返しじゃない?」
それは、素朴な疑問。
「俺がさっき〝受け継いだものはないの?〟って訊いたのは、そういう意味だよ。俺たち人間は、これまで散々間違えてきた。間違って、痛い目を見て、それを繰り返さないために学んできたよね。歴史的な間違いは教訓として残って、今を生きる俺たちの中に根付いてる。それがなくなったら、人間はどうなるのかな?」
実の声は、とても平坦なものだった。
その瞳は特定の感情を宿さず、無機質なガラスのようにディライトを映している。
自分の感情を差し込まず、ディライトの感情も受け入れず。
ただ目の前にある真理だけを見つめる。
それは、そんな印象を持たせる姿だった。
「多分、不幸ではないんだと思うよ。幸せって感情も知らないんだからさ。……最初だけ、ね。」
淡々と、実は抑揚に欠けた声で言葉を紡ぎ続ける。
「俺たちは機械じゃない。考える頭があって、感じる心がある。そんな俺たちはきっと……変わらないでいることはできない。内側からも外側からも影響を受けて、それぞれが自分なりに変わっていくんだ。それはきっと、いい方にも……悪い方にも転がる。」
「そんなの、悪い方に転がらないようにすればいいだろう。」
ここで、ディライトがそう述べてきた。
「どうやって?」
実はディライトの意見を否定はせず、ただ訊ねるのみ。
「だって、ゼロに戻すんでしょ? 生まれ変わった人間たちはきっと、自分の変化がいいものか悪いものかも分からないよ?」
「それを断じる存在がいればいい。」
「それって、誰がやるの? もしかして、俺やディライトがその役割を持つ? やったとして、手が回るかなぁ? 百ヶ所でも千ヶ所でも同時並行で起きてる変化をいちいち判断して処理するなんて、現実的だとは思わないけどなぁ。」
「ふむ…。確かにね……」
実の少し悩ましげな反応に触発されてか、ディライトも考える素振りを見せた。
「―――なら、人間をそういう仕組みに創ればいいか。」
少しの無言の時間を経て、ディライトはそう呟いた。
「そういう仕組みって?」
実はまた訊ねる。
「愛し、慈しむことしか知らない。そうすることしかできない。人間をそういう生き物に作り替えればいいんだ。ルティ君が変えるのが難しいと言ったのは、今の人間を見ての話だろう?」
「まあね。」
「なら、そもそもを変えればいい。悪意や殺意なんか生まれないように、根本的に仕組みを作り直せばいいんだよ。」
「なるほどね……」
ディライトの意見を聞いて、実は腕を組んで考える。
その時間は、十秒にも満たなかった。
「でもさ……―――それって、世界っていうお馬鹿さんが、すでにやってるんだよねぇ。」
そう告げた実の声が、すっと温度を下げた。




