この世界は、異常か否か。
別にディライトを説得するためにここへ来たわけじゃないが、まさか自分の話を聞いて、彼がより決意を固めてしまうとは。
少し予想外の展開に、実はきょとんと瞼を叩いた。
「どうしてそう思ったのか、聞いてもいい?」
普通に疑問だったので訊ねると、ディライトはとても悲しげに眉をひそめた。
「君は…… 今の世界が異常だって、そんな簡単なことすら分からないのかい? 不可抗力ならまだしも、自主的に誰かを犠牲にすることを認める世界なんて、どう見たっておかしいじゃないか。」
「うーん…?」
ディライトの意見に、実はいまひとつ共感しかねるといった反応を示す。
「ある意味、これも不可抗力だと思うけどなぁ…。俺も封印が解けそうになって実感したけど、これを抱えてるのって、かなりしんどいよ? 自分が少しでも周りに否定的になった瞬間、封印なんてあっさりと解けちゃうんだからさ。俺だって、お願いだからもう殺してくれって、何度そう思ったか分からないよ。多分、そういうのを繰り返してるうちに、お互いに苦しむ前に殺しちゃえってなったんじゃない?」
「だから君が殺されることは、仕方ないと?」
「うん。」
ディライトの問いに、実はこくりと頷く。
「拓也は罪だなんだって言ってたけど……これに関しては、今を生きてる人に罪なんてないんじゃないかな。だって、小さい頃から世界を守るために〝鍵〟を殺そうって教わってるわけだよ? それこそ、健康のためによく食べて運動しようって言われてるようなもん。それを間違ってるなんて疑う?」
「そんな…っ」
「ディライト。ディライトには受け入れられないかもしれないけど、これが今の普通。ディライトはこの世界がおかしいって言ったけど、異常か正常かを判断する基準には、まず〝普通〟っていう概念があるよね? それを起点に論じるなら、この世界はなんらおかしくないよ。至って正常です。」
「どうして君は、そんなにこの世界をかばうんだい…?」
「かばう……そっか。ディライトには、俺がそんな風に見えてるんだ。」
少し意外に思ったが、すぐにそれもそうかと思い直す。
ディライトを始め、世界を滅ぼしてしまえと思っている人には、それに同意しないことはすなわち、世界をかばっているように見えるのかもしれない。
だけど、自分の正直な気持ちを述べるなら……
「俺は、別に世界をかばってるつもりはないよ。今のは先入観や思い込みを抜きに、ただの事実を並べた結果ってだけ。本気で世界を存続させようと思ってるなら、今頃ディライトと真正面から戦ってるって。」
「じゃあどうして、世界のために自分が殺されることを受け入れられるんだい?」
「そうだなぁ…。一番は、封印を抱えてることがしんどくて、俺自身が殺してくれって望んでるからかな。あとはそもそも、俺は生きるってことに関して意識が薄いんだよね。」
自分のこめかみ辺りに指を当てながら語る実は、どこか他人のことを語っているよう。
「みんなと一緒にいたいとは思うんだけど、死ぬかもしれないって場面に直面すると、途端にまあいっかって思っちゃうっていうか…。うーん……これに関しては俺の自我っていうか、殺されまくった魂に染み込んだ気持ちなのかも。今までまともに大人になれた人生もないし、封印が解けたとはいえ、俺もこの先何年生きられるか分からないし。もしくは……」
思案げな実の瞳が、鋭く光る。
「二歳の時にかけられた暗示が、洗脳として残ってるのかもね。」
「………っ!?」
驚いて息をつまらせるディライト。
その反応に、実の方も目を丸くする。
「あれ? この記憶は読んでなかった? まあ、俺もついさっき思い出したんだけどさ。」
なんだか、自分のことを話しているうちに面白くなってきた。
実はくすくすと笑う。
「普通、二歳の子供が自分で消えるなんて判断できないでしょ? あれは、俺に封印を解かせたかった神様が俺に無理やり知識とかを流し込んで、封印を解くのが世界のためだって暗示を刷り込んだからだよ。もしかしたらその時に、俺が死ぬことに抵抗を持たないように意識操作をしたのかもね。猶予を与えたとはいえ、俺が〝やっぱり死にたくないから、封印を解きたくなーい〟なんて言い出したら面倒だろうし。……ま、今さらのたらればだし、真偽なんてどうでもいいけどさ。」
「どうでもいいって―――」
「逆に、気にする意味ってある?」
とっさに口を挟みかけたディライトに、実は淡々とした口調で訊ねた。
「俺は今まで散々、俺はこんな人間じゃないって言い聞かせてきたよ。本能的な恐怖に負けて周りを遠ざけながら、本当の俺はみんなと笑いたいはずなのに……って、自分がとことん嫌になった。でもさ……そんなことをしても、なんの意味もなかったよ。自分のこともみんなのことも傷つけただけ。それで折れる一歩手前まで追い込まれて、訳も分からずにひどい本音を言っちゃって……そしたらさ、嘘でしょって思うくらい、いい笑顔をされちゃったよ。」
脳裏に浮かぶのは、地の精霊に飲み込まれかけたあの日に見た拓也の笑顔。
所詮は誰かに預けられる程度のものだったのだろう、と。
自分はあの時、拓也が抱えてきた苦悩を全否定してしまった。
あの時に拓也が見せた心底嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。
ああ……
拓也たちが求めていたのは、運命に負けない強い自分じゃないんだって。
落ち着いてからそのことに思い至って、これまでの自分が本気で馬鹿らしくなったものだ。
「だから、全部まるっと受け入れることにしたの。この腐りきった世界のことも、そんな世界を好きになれない自分のことも。そしたら、一気に楽になった。今まで言えなかったことも、するするっと言えるようになった。それで思うんだよね。」
実は、自分が至った答えを告げる。
「仮に洗脳されてたとして、だから何? その洗脳込みで今の俺がいるんだ。今さらそれは本当の俺じゃないって言われても、俺にはその〝本当の自分〟とやらが分からない。俺にとっての〝本当の自分〟は、今ここに立ってる俺だけ。何度も自分を見失いながらだったけど、俺は今まで自分が正しいと思うことを精一杯やってきた。だから、俺は今の俺を認めるよ。みんなが認めてくれてるからね。」
所詮自分は、長年の負債を解消するための捨て駒。
それはきっと、どう足掻いても変えられない一つの事実。
だけどそれに対して、周りの皆は自分以上に怒ってくれた。
きっとそれは、皆が本気で怒れるだけの価値が自分にあったから。
自分で自分のことを認められなくても、そんな優しい皆のことは認められる。
だから自分は、今こうしてまっすぐにディライトと向き合えるのだ。
「………っ」
ディライトは深くうつむいている。
ピクリとも動かない体の中で、両の拳だけが小さく震えていた。
「ありがとう。ディライトも、俺のために怒ってくれるんだね。」
実は微笑む。
どんなに絶望して、世界を滅ぼそうと思っても。
彼は、その根底に横たわる優しさを捨てていない。
それを知って、安心した。
―――これなら多分、自分の想いは伝わるはずだから。
「どうする? いっそ、神様も作り替えちゃう?」
あえて、そう提案してみる。
すると―――
「!!」
ディライトが、弾かれたように顔を上げた。
「できないことはないよ。ディライトに授けられたのが創造の力なら、俺に授けられたのはその逆……終焉の力だからね。綻びさえ見えちゃえば、神様だって―――それこそ、世界だって殺せるよ。」
「………」
ディライトは、こちらの提案にすぐには乗ってこなかった。
しかしその目を見れば、彼がこちらの提案にかなり惹かれているのが分かる。
「でも、それをするのは……俺のわだかまりを解消してから、かな?」
さあ、長い前置きはここまで。
本格的に、世界の進退を決める話に進もうか。




