彼女を救うには―――
<第7章 最後の語らいを>
「……え?」
全てを委ねてほしいという実の言葉に、詩織は茫然として目をまたたいた。
そんな彼女に、実は真摯に語る。
「詩織さんがどんなに冷酷になったとしても、俺は今の詩織さんを絶対に忘れない。詩織さんが本当はとっても優しい人だって、俺は知ってるもん。でも、それじゃあ……詩織さんの心は永遠に救われなくて、今後も同じ苦しみを繰り返しちゃうよね。」
抑止力の影響で、世界にとって都合が悪いことは全て消されてしまう。
ほとんどの神は何も感じないだろうが、きっと彼女は違う。
過去に二回も人間を助けようとした彼女だ。
彼女はこの先、救われない人間を見ては可哀想だと思って、何度でも手を差し伸べてしまうだろう。
創造や再生という〝始まり〟を司る神として、その衝動は抑止力にも勝る本能なのかもしれない。
しかし、その本能のせいで、彼女は神の世界における過ちを繰り返すことになる。
そして、記憶と感情が作り変えられるまでの短い間、こうして自分を責めて苦しむのだ。
今の彼女こそ、本当の救われない存在だと思う。
そんな彼女を、報われないまま置き去りにするくらいなら……
「詩織さんの想いが消える前に、俺が詩織さんの力ごとそれを受け継ぐよ。それがきっと……人間である俺にできる、一番のことだと思うから。」
さっきまで無様に座り込んでいたくせに、自分は何を言っているんだろう。
そう思うもう一人の自分がいたけど、胸の奥から湧き上がるこの気持ちに勝てないんだ。
これまで自分を守ってくれた詩織を、自分は放っておけない。
そして、彼女を救える方法はこれしかないと思った。
やろうと思えば、この場で彼女を抑止力から解放してあげられるだろう。
しかし、自分が消えた後に終焉の力を回収したウォルノンドが彼女を殺してしまうのだとしたら、その解放も一時で終わる。
それでは、なんの意味もない。
一時的に抑止力から解放されたせいで苦しんでいる彼女に、同じ苦しみを味わえと言っているようなものだ。
それならせめて、彼女が彼女である内に、彼女に共感できる自分が―――
「どうかな? もちろん、詩織さんがよければだけどね。」
決して無理強いはせず、あくまでも提案するだけという口調で訊ねる。
すると―――
「う…っ」
それまで茫然としていた詩織の顔が、大きく歪んだ。
一度止まっていたはずの涙が、ぽろぽろと頬を伝っていく。
詩織はその涙を拭わずに、弾かれたように実に抱きついた。
「あなたは本当に……優しい子ね。こんな私でも、助けようとしてくれるなんて……」
「そんなことないよ。」
詩織に応えて、実もその背中に手を回す。
そして、穏やかに微笑んだ。
「詩織さんは、こんな私っていうほど小さな人じゃないよ。詩織さんは、ずっと俺を支えてくれた。何度も俺を助けてくれた。だから俺も、心から詩織さんを助けたいって思えるんだよ。大丈夫。詩織さんは、何も悪くない。」
詩織にこう告げる自分に、人々はどう言うだろう。
全ては彼女がディライトに力を渡したせいだろうと、そう言ってこの意見を否定するだろうか?
―――勝手に言ってろ。
彼女がディライトに力を渡したのは事実。
しかし、その力を使って暴走したのはディライトだ。
そして、彼が暴走するに至ったのは、心ないチェイレイの奴らが無慈悲な暴力を振るったからじゃないか。
どこに彼女の責任がある?
神でも解けない封印を施したのはキリナミだし、そんなキリナミの魂を殺し続けてきたのはこの世界の人間たち。
この歴史を前に、本当に彼女に全ての責任があると言えるのか?
自分はそう思わない。
彼女だけに罪を償えと言うのはお門違いだ。
彼女の味方が誰一人としていないとしても、自分だけは彼女の味方であり続けたい。
彼女の選択が罪だというならば、自分も一緒にその咎を背負おう。
「詩織さんは、十分償ってきたよ。これ以上、苦しまなくていいんだ。だから―――俺に、全部ちょうだい。」
「―――っ!!」
詩織がより一層強く抱き締めてくる。
それと同時に、自分に強力な力が大量に流れ込んできた。
ただでさえ、魔力を詰め込みすぎて破裂寸前の魂と肉体。
この状態でもう半分の創造の力を受け取ったら、自分はどうなってしまうのだろう。
以前のように、立つこともままならなくなるだろうか。
もっとひどくなって、覚めない眠りにつくだろうか。
それは分からないけれど、どのみち先が短い人生だ。
後悔を残さないように、やりたいことはやりきって死にたい。
閉じていた目を、ゆっくりと開ける。
終焉の力が、真に自分の力になったからだろうか。
意識を集中させずとも、綻びの糸や点がよく見える。
その一本一本がどんな綻びなのかも、なんとなく分かる。
数度、深呼吸。
右手に力を集めて、青い剣を握る。
胸は痛む。
だけど、この選択が誤りだったと後悔することは、決してないだろう。
強くそう思って―――詩織に絡む糸の全てを断ち切った。
途端に、詩織の体が淡く発光する。
その輪郭がぼやけて、徐々に崩れ始める。
「ありがとう。」
実の首から手を放した詩織は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
彼女は両手を伸ばして、実の頬を優しく挟む。
「私を……私の心を救ってくれて、本当にありがとう。誰がなんと言おうと、あなたは私の自慢の息子よ。―――愛してる。エリオスとルティを、ずっと愛していたわ。」
涙を流しながら、綺麗に笑う。
そんな詩織が、どんどん透けて消えていく。
「俺も、本当に大好きだったよ。今までありがとう―――母さん。」
一度は言えなくなってしまった呼び名で、最後に彼女を呼ぶ。
それを聞いた詩織は、数秒きょとんと目をまたたいて……
どこか子供のように無邪気に笑って、頬にキスを落としてきた。
その姿が、光の粒子となって消える―――……




