赤く燃ゆるはアザミの花〜魔女の下僕は静かに復讐の火を灯す〜
何度も滑り落ちながら井戸の中から這い出たときには、指はもう血塗れになっていた。
一部は爪が欠け、または剥がれ落ち、痛みで指先の感覚が鈍い。
けれど、その痛みを気にする暇など無かった。
焼け焦げた匂いが鼻を刺す。
黒煙と共に舞い上がる灰が、まるで雪のように降り注いでいる。
見る影もなくなった、生まれ育った村。
目の前には、真っ白な骸があった。
突然村を包み込んだ赤い炎に焼かれた、かつて人だったもの。
肉は綺麗に焼かれ灰となり、舞う灰の中に紛れてしまったのだろう。
初めて見る人骨はあまりにも白く、降り注ぐ黒雪の中でも埋もれることなくその存在をしっかりと主張していた。
あまりの光景に喉の奥からこみ上げるものがあった。
それは凄惨な現実を受け入れられないことによる慟哭と、生理的な現象によって胃から昇ってきたもの、その両方だ。
口から吐き出されたものが、灰が降り積もり始めた大地を濡らし、汚す。
空っぽになるまで、吐き出し続けた。
一体どれくらいの間、そうしていたかは分からない。
気づいたら黒煙も消え、落ちる灰も少ない。
身体はすっかり灰に塗れ、白かった骸も降り注いだ灰によって黒く汚されていた。
もう、どうすればいいか分からない。
全てを焼き尽くされて、生きる希望がどうしても見えなかった。
一体どうしてこんなことになったのか。
あまりに突然過ぎて、現実を到底受け入れられない頭はすぐに許容量をオーバーした。
収まりきらなかった分は心へと落ちていく。
──憎しみと言う黒い感情として。
自分が一体何をしたというのか。
この小さな村でただ精一杯生きていただけだというのに。
なのに、なぜ奪われた?
どこの誰がこんな残酷なことをしたのだ。
とにかく憎かった。
村を焼いた犯人を今すぐに見つけ出して、殺してやりたかった。
一切の命乞いも聞かず、慈悲も与えてやらない。
────絶対に、ユルサナイ。
白い布地に落ちたシミのように、憎しみがあっという間に心を汚した。
そんなときだった。
サク、サク、と降り積もった灰を踏みしめる足音を聞いたのは。
吐瀉物や灰で汚れた顔をあげた先で一人の女性を見つけた。
髪は太陽の如く輝かしい金色。
青空よりも深い青の双眸。
整えられた顔立ちは精巧な人形のようで、陶器のような白い肌が人並み外れた彼女の美貌を際立たせていた。
最初は生き残りがまだいたのかと思ったのだが、彼女のような美しい人を村で見たことがない。
それじゃあ、不幸な境遇を見兼ねて女神が降りてきたのか?
──それも違う。
女性が纏っていたのは漆黒──清廉潔白な女神とは程遠いほどの闇を彼女は着飾っていたのだ。
何色にも染まらない漆黒のドレスを。
彼女が地面を踏むと、降り積もった黒い灰がふわりと舞い上がる。
ひらひらと波打つドレスの裾が舞う灰を拾うが、汚れは漆黒の中に飲み込まれて影形も見せない。
彼女が歩いたあとの大地はまっさらだった。
まるでこの地には最初から何もなかったかのように、白い骸でさえも漆黒が飲み込んでいってしまう。
異様な光景に思わず目を奪われた。
しかし漆黒が目の前にまで届いた瞬間、ようやく気が付いたのだ。
村を焼いたのは、他の誰でもない。
憎しみを向ける先は──この魔女である、と。
✼✼✼
爪の上にマニキュアの小筆が乗る瞬間が好きだ。
ひんやりとした瞬間が爪越しに伝わるのが気持ち良い。
花への愛撫を心待ちにして震える──あの瞬間に似ているから。
それから、色を纏った小筆に爪の色が塗り替えられていくのを見るのも好きだ。
小筆を持つ指先は男らしく骨張っているが、小さな筆を慎重に掴んで器用に操る。
真っ白なキャンバスを塗りつぶすかのように、小筆は枠からはみ出すことなく、ぬるり、ぬるりと色を埋めていく。
その様を眺めているのが、とても楽しい。
巧みな指技によって濁流のように押し寄せる愉悦を思い出させてくれるから。
色は血のような赤も好きだが、一番好きなのは黒だ。
どんな色もすべて塗り替える漆黒がやはり良い。
他の何色にも染まりがたく、他の色を飲み込んでしまう黒を見ていると安心する。
それはやはり、魔女を象徴する色だからというのもあるかもしれない。
やがて右手の爪すべてに漆黒が乗せられると、私はすぐにその出来栄えを確認する。
染料のよれもムラもなく、つるりと光沢のある仕上がり。私の細く長い爪は美しい漆黒で彩られていた。
男の手でマニキュアの小筆は持ちにくいだろうに、この下僕は本当に上手く仕上げるものだ。
「やっぱり、アンタに塗ってもらうのが一番ね」
「光栄です」
私が満足気に告げると、下僕は控えめに微笑んだ。
マニキュアの色に似た黒髪がさらりと揺れる。
まだ彩りのない私の左手を取って、下僕が告げる。
「ご主人様の爪は綺麗な形をしていらっしゃるので、僕も塗るのが楽しいのです」
主である私を褒める言葉も決して忘れない。
ご機嫌取りだと分かってはいても、気分が良いものだ。
何故なら、私に気に入られ続けなければ下僕の未来は唐突に途絶えてしまうから。
下僕の命は私の手中。潰すも延ばすもいつだって私の自由。
支配している、私は奪う側にいるのだということを改めて実感すると、絶頂したときのようにゾクゾクしたものが私の身体を駆け昇る。
だから拾っては捨てることをやめられないのだ。
「あら、そう? じゃあこれからはずっとアンタにお願いするわ」
ほんの一瞬、私が一度まばたきをした間だけ、下僕の手が止まった。
気のせいかと思えるような、刹那。
「いえ、僕は」
下僕は至って冷静だった。
いや、そう努めようとしているのだということくらい私には分かる。
この下僕は、私のもとに来てから長い。
故に、先程の私の言葉が何を意味しているかをちゃんと理解している。
「クロード、ちょっと来て」
せめてもの情けか、おそらく悲劇を回避するべく紡ごうとした下僕の言葉を遮る。
遠慮などいらない。私が気に入ったのだから、下僕はただその役割をまっとうすればいい。
「絶炎の魔女フレイフィア様、私めはココに」
私が呼べば使い魔は黒い翼をはためかせてすぐにやって来る。
魔女になったときから私に仕えているカラス頭の彼──クロード。長身に似合うよう仕立てさせたダブルスーツは、黒い羽根がとてもよく映える鮮血のような赤だ。
下僕たちは彼を処刑人と呼んでいるらしい。
確かに、これから彼が行うことを考えると相応しい呼び名だと思う。
私が彼に赤色を着せているのは、カラスの濡れ羽色を際立たせたいだけではない。
散らされた赤いアザミの花が使い魔のスーツを汚しても目立たないようにするためだ。
「アレ、もういらないわ」
私がするのは処刑宣告。
「かしこまりました」
私の命令を恭しく頭を下げて受け入れた彼が処刑を執行する。
ひゅるりと僅かに風を起こして、次の瞬間にはもうクロードの姿は消えていた。
私がアレと呼んだ下僕のもとへと向かったのだろう。彼の身体から抜け落ちた黒い羽根がひらひらと落ちて、静かにやりとりを聞いていた下僕の足元に舞い降りた。
これは今、どんな気持ちでいるのだろう?
そういえば、もういなくなった下僕はこの下僕を慕っていたはずだ。
ここに連れてきたときにこの下僕に世話を任せていたから、それなりに親しくしていたはずだ。
しかしその慕っていた相手が役割を奪ったから私に捨てられたのだと知ったら、あの下僕はどんな顔をしていただろうか。
絶望に堕ちる表情を見る機会を逃してしまったのは、少し惜しいことをしたかもしれない。
だけど、まあいい。
「アレ、マニキュア塗るの下手くそだったのよね」
なめらかな黒髪が気に入ったから拾ったのだが、絵が得意だと言っていた割にはマニキュアのような小筆を扱うのは苦手だったようだ。
大きなキャンバスにだからこそ自由にのびのびと描くことができる。
部屋の壁に掛かっている私の肖像画を描いたのはアレだったが、得意と言うだけあって本当に上手だった。
まるで私自身がそのまま絵になったような再現度だった。
自慢の金糸の髪を美しい黄金色で描き、今にもさらさらと風になびいてしまいそうな質感を絵具で表現しているのが見事だったのだが。
爪のように小さなキャンバスではすぐに行き場を失くし、何を描けばいいのか分からなくなってしまうそうだ。
小さな小筆はアレの指先には合わず、何度も染料をよれさせては私の指を汚した。
あんな不器用さでは、私を巧みに導くことも出来ない。
もう少し躾けて調教するというのも有りだったかもしれないが、私の性には合わなかったことはとうの昔に証明されている。
下僕にしてみればそんな理由でと思うかもしれないが、そんな理由で捨てることができる残忍さがあるからこそ私は魔女として生きているのだ。
「ねぇ、アンタ。ここに来て何年目だったかしら?」
「はい、もう十年になります」
「あら、もうそんなに経った? アンタくらいよ、私のもとに長くいるの」
それは私がすぐに拾ってきた下僕を捨てるからなのだが、言葉にした通りこの下僕が十年もいることに驚いた。
もう何度も何度も下僕を入れ替えているのと、魔女の長い生を過ごしていると段々と数を数えるのが面倒になってくるのだ。
私が魔女になってからもう何年が経ったのかさえ忘れてしまった。
だが、いつ頃かは忘れてもこの下僕のことはちゃんと記憶にある。
「アンタを拾ったときのこと、覚えてるわ。大体すぐ忘れちゃうのにね」
「──そんなことを言われたら、自惚れてしまいますよ。ご主人様」
「あら。アンタ、アタシのこと好き?」
「──ええ、とてもお慕いしております」
あらあら、と私はクスクス笑いを止められなかった。
私を熱く見つめる下僕の瞳を見つめ返す。
下僕の瞳に、紅の唇をくっと曲げて微笑む私が映っている。
一見感情も見えないような黒い瞳には確かに情の色が感じ取れた。
────でも、それは愛ではない。
まだ塗りかけの左手を持ち上げて、探るように下僕の顎をなぞった。
「嘘つきね」
私の断定にも下僕の瞳は揺らがなかった。
「アタシはアンタの故郷を焼いたのよ? つまり、親の仇。アンタの家族も家もすべて真っ黒焦げにしたじゃないの。覚えてるって言ったでしょう?」
「──いいえ、嘘ではございません。僕の親は、屑でしたので、むしろ感謝しているのです」
「あら、そうだったの? それは初耳だわ」
聞かせなさい、と目線だけで促すと下僕は素直に過去を紡ぎ始めた。
下僕の故郷は小さな村だった。
ろくに働きもしない父親と、都会出身の母親とのあいだに生まれた下僕。
母親は何かワケ有りで村に移り住んだらしいが、都会での暮らしが忘れられず『子供なんかできなければ』が口癖で、実子への八つ当たりはしょっちゅうだったそうだ。
父親は酒に溺れており酒が切れるとすぐに暴力を振るってきた。
そんな両親から食事がまともに与えられるわけもなく、いつもひもじい思いをしていたと下僕は語る。
「八歳までよく生きられたと思います。ですが、あんな奴らを親だと思いたくない。ご主人様が村ごと燃やしてくださって、すっきりしました」
その言葉には憎しみがこもっていた。
これは紛れもない下僕の本心だ。両親だけでなく村まで焼いたことについても特に思うことはないらしい。
小さな村だったそうだから、村人も他所から来た厄介な移住者と関わろうとはしなかったのだろう。下僕の虐待を知っていても、見て見ぬふりをしていた可能性が高い。
「あの時のアンタ、すごく汚らしかったもの。相当酷い生活だったのね、可哀相な子」
下僕の顎に這わせた手付きを変える。
慰めるように下僕の唇や、顎、喉を撫でると、私は彼の額に口づけを落とした。
「アンタを拾って正解だったわ。マニキュアも塗らせれば仕上がりも綺麗だし、私の髪の手入れも──なんだって上手なんだもの。それに、綺麗な子に育ったわ」
「ありがとうございます。すべてご主人様のおかげです」
「ふふ。私ね、アンタの目が好きなの」
例えるなら、微塵の濁りもないブラックダイヤモンド。
悪魔も欲しがるほど強いパワーを持つと言われる美しい宝石だ。
この瞳を見ていると、確かに喉から手が出るほど欲しい気持ちに襲われる。気に入ったものは奪ってでもそばに置いておきたいからだろうか。
だが、この目はこの下僕の両のくぼみに嵌っているからこそ輝いている。故に無理矢理抉り出して飾ろうとは思わない。
初めて出会ったあの日、この瞳を見た瞬間強く強く惹き込まれた。
本音を綺麗に黒く塗りつぶして私を見つめる、この眼差しに一目惚れしたのだ。
「ねぇ、アンタ──今夜もアタシの部屋にいらっしゃい」
「……はい」
うっとりと目を細めた下僕の表情に、ゾクゾクする。
こみ上げる笑いを堪えるのが大変だ。
「嬉しそうにしちゃって。ホント、アンタは可愛い下僕ね」
「そんなことを言わないでください。夜が待ち遠しくなってしまいます」
本当に本当に可愛い私の下僕。
これだから捨てることが出来ないのだ。
擽ったそうに照れる仕草も、熱を乗せた眼差しも、私へ向ける言葉も。
──全部嘘で塗り固めたものだということに私が気付いていないと思っているところも、すべてが愛おしい。
この下僕の従順さは、命惜しさではない。すべて計算された演技だ。
これは私を復讐の炎で焼く、絶好の機会を待っている。
それを知っているからこそ、私はこれを夜伽に呼ぶのをやめられない。
燃え滾る炎を内に秘めたまま貫かれるあの瞬間は、絶頂するよりも──たまらない。
かつては私も純真無垢な女だった。
今となってはほとんど思い出せないけれど。
おそらく、普通の両親によって人並みの愛情を与えられ。
おそらく、普通だけど愛情深い恋人に大切にされていた。
そう、きっと。
純真だった頃の私の記憶で唯一はっきりと覚えているのは、私の身体を染める赤色のあたたかさ。
それから冷たくなっていく体温と、虚ろを映した黒色の眼差し。
そして私を喜んで犯す男たちの声。
これは私が魔女になった日の記憶だ。
男たちに身体を揺さぶられながら、当時の私には考えられないような言葉を呪詛のように繰り返していた。
すべてに絶望し、すべてを恨み、すべてに憎しみを向けた始めたそのとき、私の前に一人の魔女が現れたのだ。
真っ黒な髪に、真っ黒なドレス。だが、唇だけは艶やかな紅の彼女がいつの間にか私を見下ろしていた。
あとで知ったことだけれど、魔女は人の黒い感情に反応するのらしい。
絶望、恨み、憎しみ、苦しみ、殺意、そういった黒い感情すべてに。
そしてその黒を背負う人の前に現れて、願いを尋ねるのだ。
白は何色にも染まる。
純真だった心にひとつシミをこぼせば、あっという間に広がっていく。
だからこそ、私は魔女になれた。
黒い感情にあっという間に支配されやすく、何色にも染まりやすい白色だったから──絶炎の名を冠する魔女になれたのだ。
その時の私はまさにそうだった。
これまで無縁だった──例えるなら黒く焦げた肉のように真っ黒な思いに侵食され、気付かぬうちに魔女を呼び寄せる条件をしっかりと揃えていたのだ。
「こいつらを殺す力が欲しいかい?」
魔女は甘美な響きを持って私に囁いた。
不思議なことに男たちは魔女の存在に気付いていないようで、真上の男は荒い息を吐き続け、身体を押さえる横の男たちは犯される私を見て呑気に笑い続ける。
魔女から視線を男たちに戻したとき、それがひどく滑稽な物に見えた。
だから、私は笑った。心の底から笑った。
突然笑い出した私を男たちは不気味そうに見下ろしていたが、それでも私を穿つのだけは止まらない。
なんて愚かで、滑稽な男たち。
だが、それが一周回って愛おしいとも思った。
私は魔女に願った。力をちょうだいと。
愛おしいからこそ、私の手で終わらせられる力を。
魔女が何かを唱えたその刹那、私の身体から炎が吹き出した。
私を犯し続けていた男たちを、そばで転がっていた死体も、魔女でさえも、私から溢れ出た炎はすべてを巻き込んで燃やし尽くす。
気付けばあとに残っていたのは、降り積もる灰と綺麗な白骨。
私はひどく乱れた格好のままその場に座り込んでいて、あまりの景色の変わりようにまた笑った。
誰もいなくなった場所で、ひとりきり────
その日から私の立場は逆転したのだ。
奪われた者から、奪う者へと。
✻✻✻
ワインレッドの唇が嬌声をこぼす。
黒を飾った爪が肩を引っ掻いて、ぴりっとした痛みに僕は僅かに表情を歪めた。
この女はいつもそうだ。
いつもどうにか自分を奮い立たせて、憎き女の中を埋めてやるとき、いつも肩に爪を立ててくる。
僕の肩にある多数の引っかき傷。この女と身体を繋げた夜を数えるかのように刻まれた傷だ。
「やっぱり、アンタ、最高だわ」
「僕は貴女の下僕。愛おしいご主人様に、精一杯の御奉仕を、するのが僕の役目ですから」
「ふふっ、本当にイイコね。──いらっしゃい、特別に私へ口づけることを許してあげるわ」
欲情の色に塗れた女の声が耳を撫でる。
──ああ、なんて不愉快。
蕁麻疹が出そうなくらいの不快感を、萎えそうな偽りの火に焚べて僕は喜びの表情を被る。
僕は、絶炎の二つ名を持つ美しき魔女フレイフィアの下僕なのだから。
どんなことでも忠実に実行しなければならない。
例え寒気がするような行為でも。
──命惜しさだけではなく、僕の目的のために喜んで受け入れる。
魔女が漏らす吐息を唇で覆う。
食べるようにワインレッドの唇を甘く噛みながら、こちらの口内に入り込んできた舌と絡み合う。
魔女と僕のおぞましい夜が始まったのは、今からひと月前のことだ。
その時までこの女の夜伽番を務めていたのは、黒髪の美男子だった。
彼は遠い都で財を成していた伯爵家の令息だった。
軽薄なノリが僕には合わなかったが、魔女のお気には召したらしい。都にいた頃も数々の女性と関係を繋いでいたそうだから、その顔は恐怖で怯えつつも得意分野を命じられて自信ありげに微笑んでいたのを覚えている。
──だが魔女は三日目の夜に彼を処分してしまった。
その処刑は僕が魔女の髪を手入れしているときに執行された。ちょうど今日のように。
『アンタの髪を扱う手つきなら、愛撫も上手そうだと思って』
曰く、彼のは自分に酔った自己満足な行為でしかなかったと。自ら育てるつもりでいたが早々に飽きてしまったのだと言う。
そして僕はその場で試させられ、夜伽番も兼任することになった。
今日の彼にも本当に申し訳ないことをした。爪が綺麗に塗れなくても、彼が描く絵はとても美しかったのに。
これまでにも、僕が代わることで何十何百と仲間が処刑されていった。
彼女のドレスの手入れも、料理も、掃除も、アフタヌーンティーの準備も、今ではすべて僕の役目。
その度に申し訳ないと思いながらも、僕は彼女に取り入り続ける。
彼らの無念も喜んで背負おう。
「愛しております、ご主人様……」
本音を黒く塗り潰して、愛おしさの仮面を被る。
嘘で塗り固めた心を眼差しに乗せて、魔女を熱く見つめながら女の園を穿つ。
どんなにおぞましい行為でも、僕の身体はしっかりと快楽を得て昂ぶらせようとするから不思議だ。
「ねぇ、アンタ……名前は?」
十年もそばに置いておきながら今更何を。
「……僕は名などないに等しい存在ですから」
でもそんなことは決して口に出さない。
僕の頬を撫でる黒い光沢を乗せた指先に口づけながら僕は答える。
「それもそうね。なら、私がアンタに名前をつけてあげるわ」
「僕は貴女の物。どんな名前でも喜んで賜ります」
「ふふっ、きっとアンタだけよ? 私の下僕で名前をつけてあげるのは」
「……ありがたき、幸せです」
愛おしい、愛おしい、偽りの時間。
僕を見つめる深い青の瞳に、僕の本心を見抜かせてやるものか。
「それじゃあ、アンタの名前は──シスル、なんてどうかしら?」
しかし時々、魔女の青い瞳が何を考えているのかを読み取れないでいる。
「触れた者にトゲを刺して、でも触れたくなるような可憐な花を咲かす。それがシスル。東方ではアザミとも呼ばれるそうね。私の好きな花なの。それに花言葉が──報復、なんだもの」
「……シスル……素敵な、名前です」
可憐なのに物騒でたまらないのよね、と魔女はクスクスと笑う。
もしかしたら彼女は気付いているのかもしれない。
そう思うことがある。
僕の頬を擦る指先が、僕の動揺を探しているような気がするのだ。
「シスル、アンタはずっと私の物よ。私、アンタを手放したくないの。きっとアンタになら何をされても許せる気がするのよね。どうしてかしら?」
「……僕も、貴女になら何をされても構いません」
「ふふ、そう?」
だけど、それは悟られたくない。
例えこの女が気が付いていたとしても、必死に奥底に押し込んで最後の最後の瞬間までその顔を見せてやるつもりはない。
僕はどんな仮面だって被る。
愛される者、人を殺す者、純粋な者。何にだってなる。
────彼女のためなら。
僕が魔女の炎から逃れられたのは、彼女が咄嗟に僕を井戸へ落としてくれたからだ。
「それじゃあ、舐めて綺麗にしてくれるかしら?」
だから、脚を開いて見せてきても、うっとりとした眼差しを送り返してやる。
愛して、愛されて、いつか復讐してやるために。
「喜んで」
僕は両親を殺されたことは本当に恨んでいない。
あの小さな村にだって思い入れもないから、憎んでもいない。
でも、優しい彼女まで燃やしたことは絶対に許さない。
生涯もっとも大切に想い、そして今も愛している僕の片割れを。
あの日、井戸から這い出た僕の前にあった真っ白な骸は────僕の双子の姉だ。