64 竜の子3
私を乗せた黒竜のラズが、翼をはためかせる。
すると、ふわりと浮き上がった。
「うわあ! 浮いた!」
「乗り心地はいかがでしょうか?」
「全然揺れないし、すごくいいよ」
すでに私は、樹冠の上まで来ていた。
景色が一気に広がる。
なのに、馬車に乗っているよりも揺れが少なくて快適だった。
「ふん。である。これは飛んでいるのではなく、竜族の翼に生まれつき備わっている魔法の力で浮かんでいるだけなのである。魔法なのだから揺れないのは当たり前なのである」
「へー。すごいねー」
「すごくないのである」
「もー。カメさまってばー」
本当にヤキモチを焼いているのかな。
よくわからないけど、とりあえず手のひらに乗せてヨシヨシしてあげた。
「あのお、では、少し飛んでもいいでしょうか……?」
「うん。いいよー。カメさまはポケットにいようねー」
竜と言っても馬くらいの大きさだし、ここは山の麓で、ケレス叔父様の町は広大な森の向こう側だし、飛んでも目立たないよね。
ラズが翼を軽く動かすと、まるですべるように飛び始めた。
私は最初、振り落とされることを恐れて、しっかりとしがみついたけど――。
浮かび上がっている時と同じで、馬車よりも揺れは少なかった。
まるですべるように、ラズは空を飛んだ。
ただ、全員に風は感じる。
季節は初夏。
お昼が過ぎて、夕方へと向かう時間。
空気は温かくて、心地よかった。
私は気持ちよく森の上空を一周して、崩れた神殿の跡に戻った。
「……どうでしたか?」
メイドさんの姿に戻って、ラズが聞いてくる。
「うん! すごいよかったよ! カメさまはどうだった?」
「ふむ」
「ふむ、じゃなくてね?」
「まあまあなのである。この乗り物があれば、アニスの旅は快適になるのである」
「はい! 私、乗り物になります! 今日から乗り物とお呼び下さい!」
「いや、うん。ラズはラズでいいよ。名前は変えちゃダメだからね? 自分のことは、もっと大切にしていこう?」
「ああ、なんと優しいお言葉! アニス様! いえ、ご主人様! どうかこの最弱でゴミクズでダメダメな竜をお導き下さいお願いします!」
「カメさま、どうしよう……?」
「役には立ちそうなのである。良いではないのであるか?」
「ありがとうございます!」
「ただし、である」
ふわりと浮かんで、カメさまがそれはもう偉そうにラズを睨みつけた。
「身の程は弁えるのである! アニスの第一のペットは我なのである! 其方は、体は大きくとも第二のペットなのである!」
「私、第二どころか第百のペットでもいいので!」
「では其方は、今日からアニスの百番目のペットなのである!」
「ありがとうございます!」
えー。
ペットでいいんだ……。
しかも、百番って……。
いや、うん。
それを言うなら、カメさまもペット枠でいいんだ、なんだけど……。
「さあ、アニス。これと従魔の契約をするのである」
「えっと……。なんだろ、それ」
「これが絶対にアニスに牙を向けられぬようにするための儀式である」
「なんかそれ、奴隷とかみたいでヤダー」
「ヤダも何もないのである。従魔契約をしなければ、これを人間の町に入れることはできぬのである」
「すれば入れるんだ? でも、私だと怪しくない? そんな力なんてないよ?」
私なんて、ただの無印者の小娘だし。
「アニスは男爵家の娘である。金で買ったと言えばいいのである」
「あー。なるほどー」
王都には愛玩用の魔物もいるというし、問題はないのかな。
「あ、でも、あのお……」
ラズがおずおずと何かを言おうとする。
「何であるか?」
「私、奴隷にされていたので……。これがあって……」
ラズが服を少しだけめくる。
すると……。
胸の上の方に、魔術の刻印のようなものがあった。
「ふむ。奴隷の刻印であるか」
「はい……」
「まあ、問題はないのである。アニス、憑依して良いであるか?」
「うん。いいよー」
奴隷の刻印なんて、名前からして深刻なもののような気がするけど……。
そもそも私にはどうしようもないし、カメさまにお任せすることにした。
カメさまが私の中に入る。
「では、行くのである。ディスペル・マジック」
「え?」
私ことカメさまが手を伸ばして、魔法をかけると……。
次の瞬間には、奴隷の刻印は消えた。
やっぱりカメさまはすごいね!
「え、あ……。魔人様につけられた奴隷印が、こんな簡単に……? 一瞬で……?」
「さあ、ラズよ、誓うのである」
「はい……。私、エンデュロ生まれの黒竜ラズベールは、アニス様を主と認め、アニス様にお仕えすることを誓います」
「うむ。認めるのである」
私とラズの体が、ほんの少しの間だけど、不思議な光でつながった。
光はすぐに消える。
「おわったのである」
カメさまが私の体から抜けて、再び空中に戻った。
ふわふわと浮かぶ。
「ああ、嬉しいです! 今までの鎖みたいな感覚とはまったく違う、柔らかくて温かい、力が湧き出るようなつながりを感じます! ご主人様、ありがとうございます!」
ラズは本気で喜んでいる様子だった。
ホントに、いいのかなぁ……。
ペットなんて……。
正直、私はまだ戸惑っていたけど、そこまで喜ばれて今更ダメとは言えない。
「これからよろしくね」
なので、私はラズに笑いかけた。
「はい! ご主人様!」
「うむ。精一杯に尽くすのであるぞ。あと我のことは先輩と呼ぶように」
「わかりました、先輩! これからご指導下さい!」
「うむ。其方はヨワヨワの雑魚雑魚であるが故、何かあれば守ってやるのである」
「ありがとうございます!」
このあとは、カメさまが、本当に偉そうな顔で……。
あれやこれやと、ペットのあり方についてをラズに語った。
ラズはうんうんとうなずいた。
私は正直、なんだかなぁと思ったけど……。
とりあえず、カメさまとラズが仲良くするのは良いことだと思ったので、笑顔でそれを聞いていることにした。
正直、あたりのことは、まったく気にしていなかった。
なので気づいた時には手遅れだった。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
勝ち誇るような不気味な笑い声が響いて、やっと私は気づくことができた。
いつの間にか、私達は魔物の群れに囲まれていた。
目を血走らせて錆びた剣を構えたゴブリン……。
牙の間から涎を垂らすウルフ……。
加えて、群れのボスらしき、棍棒を構えた他よりも大きなゴブリン……。
彼らは、すでに包囲をおえて、完全に勝利を確信した様子だ。
なのですぐには攻めて来ない。
ヒッと怯えた私の顔を見ると、楽しそうに笑った。
「カメさま! ラズ!」
「む」
「え」
私が叫んで、やっと二人も気づいた!
「カメさまー! 包囲されちゃってるー! 気づいてよー!」
「むむ」
「むむ、じゃなくてー!」
「と言っても、アニスよ」
「なによー!」
「我ほどの巨大な存在になると、ゴブリンなど蟻以下なのである。蟻以下のものを知覚するのはなかなかに大変であって……」
「ザル!」
「我はカメである! ザルではないのである!」
「もー」
「アニスこそ、クマなのにもーはないのである。せめてがおーと言うべきなのである」
「私はクマじゃないからー! 今にクマるだけだからー!」
今もだけど。
あ、その今では、私はクマなのか。
なんて思って、ほんの少しだけ私が冷静になっていると……。
すい、と、ラズが前に出た。
「ラズ、危ない!」
ゴブリンが襲いかかってきたぁぁぁ!
「え、あ、はい」
上段から伸びてきた錆びた剣を、ラズは無造作に片手で掴んで、破壊した。
そして、ゴブリンを蹴る。
ゴブリンは吹き飛んで、木立に激突して、そのまま動かなくなった。
一気に戦闘となる。
なったけど……。
あっという間にラズが蹴散らして……。
大きなボスっぽいゴブリンも、簡単に蹴飛ばしてしまった。
それを見て……。
残ったゴブリンとウルフは四散していった……。
戦いはおわった。
「……大丈夫だった?」
私はおそるおそるラズにたずねた。
「はい! あの程度の雑魚なら、さすがに私でも余裕です! ご主人様と先輩の手を煩わせるまでもありません!」
ラズは、疲れた様子もない爽やかな笑顔でうなずいた。
「ぐがあああああああああ!」
さらに騒ぎを聞きつけてか、巨大な四本腕の熊が襲いかかってきたけど……。
「えいっ!」
またもやラズの蹴り一発で吹き飛んで……。
あ。
上位の魔物だったようで、ただの魔石へと変化してしまった……。
「ラズ、大丈夫だった……?」
「はい。雑魚でしたので」
「そっかぁ。でも、すごかったよー!」
「そうでしょうか……」
「うん! すごかった! 私は感動したよー!」
「えへへ。ご主人様にそう言ってもらえると、嬉しいです!」
「ラズ! あの程度の雑魚を倒したくらいで、調子に乗るのではないのである! ザコザコの分際でいい気になるな、なのである!」
「乗ってませんよおおお! 許して下さいー!」
なぜか始まったカメさまの説教を聞きながら、私はつくづくと思った。
ラズは自己評価が低すぎて、抵抗なんて本当に考えてもしていなかったみたいだけど……。
仮にラズに襲われていたら……。
私、即死だったよね……。
カメさまは、私でも簡単にあしらえるとか言っていたけど……。
絶対に無理だよね。
ラズの蹴りを食らったら、死ぬ自身がある。
やっぱりさぁ……。
カメさまって、ザルだよねえ……。




