60 森に入ります!
こんにちは、私、アニスです。
私は今、町外れの屋根の上にいて、森の中に入るチャンスを窺っています。
町と森の間には田園があって、森に行くなら田園を走り抜けなくてはいけません。
田園には、すっかり荒らされちゃって……。
無惨な様子ですが……。
それでも植物の間に身を隠して走り抜けることはできそうです。
ただ、町の境界は厳戒態勢です。
領兵と冒険者が武装して、今にも来るだろう森からの襲撃者に備えています。
できれば彼らに見つかりたくないので、飛び出すタイミングが重要なのです。
みんなの目がない数瞬に、田園まで跳躍しちゃうのです。
ちなみにカメさまは頭の上にいます。
憑依はしていません。
私はなんと、私のまま、屋根の上に伸び乗ってしまいました。
つい先月までの私なら出来るはずもないことなのだけど……。
今の私なら、マナの力さえ発揮させれば、一足で飛び上がれてしまうのです。
本当に、自分のことながらびっくりなのです。
森からは、たくさんの魔物の怒号や狂乱する声が聞こえていた。
竜の存在は大きい。
竜が吠えるだけで、それまで山にいた魔物が逃げ出し、麓にいた魔物と衝突し、麓にいた魔物が逃げ出して、森の魔物と衝突して……。
さらに逃げた魔物が、町へと押し寄せてくるのだ。
様子を見ていると、状況が動いた。
森から魔物が現れたのだ!
ぶおおおお! と雄叫びを上げながら、巨大なイノシシのような魔物の群れが牙をぎらつかせて町へと突撃してくる。
「来たぞ! グレートボアの群れだ! 前衛は大盾を構えろ! 迎撃するぞ!」
防衛隊長らしき人が叫んだ。
みんなの注意は、間違いなく敵に向いている。
「今がチャンスである」
「ねえ、町のみんな、大丈夫かな? 助けてあげた方がよくない?」
グレートボアという魔物は、犬よりもずっと大きい。
熊よりも大きいかも知れない。
熊、見たことはないけど……。
知識として……。
「グレートボアは低級の魔物である。低級の魔物に如きに対処できないのなら、この町はとっくに潰れているのである。我らは竜を始末するのである」
「うん――。わかった」
竜の始末は、カメさましかできないしね。
みんなの注意が魔物に向いている中――。
私はマナの力を足に集めて、全力で解放、屋根から思い切って跳躍した。
「うわああああ!?」
自分で跳んだのに、私はびっくりして声を上げてしまった。
「アニス、落ち着くのである!」
「でもおおおお!」
だって私、まさに空に跳んでしまったのだ。
私は放たれた矢みたいなすごい勢いで――。
「あああああ! まええええ!」
ひいいいいい!
大きな木が迫ってきたぁぁ!
「叫ぶ暇があるなら、姿勢を正すのである! 枝を掴んで回転すれば、そのまま勢いを殺して着地できるのである!」
「無理ぃぃぃぃ!」
そんなアクロバット、いきなり言われてできるわけないよねえ!
私、普通の女の子なのにいいいい!
どすん。
私は幹に激突して……。
ずるるる……。
そのまま下に落ちた。
「アニス、生きているであるか?」
「う、うん……」
なんと私、生きていました。
普通に全身が痛いけど……。
でも、痛いながらも私は身を起こした。
すごいね。
どう考えても普通なら死んでいる気がするけど……。
「まったく、呆れるのである。いくら陸で身体強化するのは今日が初めてとはいえ、ここまで強化状態で走ってきておいて、まだ力の加減すら理解していなかったとは」
「ううう……。緊張してたのー!」
力加減くらいは、さすがにわかっているよー!
なんとなくは……。
ともかく私は痛いながらも頑張って走って、森の中に入った。
森の中に入ると……。
「ひいいいいいい!」
なんかすぐに、ゴブリンと目が合ったああああ!
「ぎゃぎゃぎゃ!」
棍棒を振り上げたゴブリンが襲いかかってきたぁぁぁぁぁ!
「やあああああ!」
私は悲鳴を上げつつ、恐怖のあまりぶん殴った!
すると……。
ゴブリンはすっとんで、木にぶつかって、動かなくなった。
どうやら私ほど丈夫ではないみたいだ。
私は自分の手を見た。
私の手袋には、何かがべったりとついていた。
「ねえ、カメさま……。なんかついてるんだけど……」
「なんかではなく、ゴブリンの血肉である」
「血、肉……?」
「で、ある」
「ひいいいいいいい! カメさま、代わってぇぇぇ! 私、そういうの無理いぃぃぃ!」
「頑張るのである。アニスも力を得た以上、魔物退治には慣れるのである。いちいち悲鳴を上げていてはマナが暴走するのである」
「でもー!」
もう暴走寸前だよ、私!
そんなすぐに慣れるわけないよねー!?
私が必死に訴えると、
「仕方ないのである。では、我の裏側でよく見ているのである。見て慣れるのである」
カメさまが仕方なくの様子ながら、憑依してくれた。
すると体の中に真っ白な熱が広がる。
その熱の中、私の意識は、すうっと希薄になって、ぼんやりとした感じになって、同時に乱れていた感情も収まった。
意識は、やがてハッキリとするけど……。
その時には、私の世界は、まるで水の中にいるような……。
薄い水面ごしに景色を見ているような、幻想的な感じへと変わっている。
憑依されるのは不思議な感覚だ。
なにしろ、私が私であって、私ではなくなるのだから。
カメさまになった私は、まっすぐに森を走った。
「うおおおおお! であるー!」
行く手を遮る魔物は……。
うん、はい……。
すべて、ぶん殴って薙ぎ払っていった。
問答無用だ。
まさに、カメぇへんだった。
カメさまだけに。
「ねえ、カメさま。考えてみるとさ」
「なんであるか?」
「もうさ、敵が出てきたら、すぐにカメさまでいいよね。私が頑張らなくても」
「強くなりたいと言ったのはアニスであるが?」
「それはねー。そうなんだけどねー」
「アニス、いい加減に覚悟を決めるのである」
「うえーん。私、強くはなりたいけど、覚悟はいらない子なのー」
「とはいえ、アニスは竜退治を志願したのである。口ではいろいろ言いつつも責任と覚悟が芽生えていることは、我にはわかっているのである。アニスは、焦る必要はないから少しずつ歩んでいけば良いのである。その内、全身に返り血を浴びても何も思わなくなるのである。人間とは不思議なほど慣れていく生き物なのである」
「うう……。それは本気で嫌だぁ……」
でも言われてみれば、確かに竜を退治しようと言ったのは私だった。
私は自らの意思で、ここに来たのだ。
「……ねえ、カメさま。やっぱり私が行くよ。代わって」
「わかったのである」
カメさまはすぐに憑依を解いてくれた。
私は剣を抜いた。
両手でしっかりと握る。
そこに目の前から、私の二倍は身の丈のある鶏のような魔物が現れたぁぁぁぁぁ!
蛇のような尻尾もあるううううううう!
「カメさまぁぁ! なんかすごいのが出てきたけどぉぉぉぉぉぉ!」
「これはコカトリスである。強力な毒を持つ上位の魔物である。先手必勝である。跳躍して一撃で頭を叩き切るのである」
「えええええ!?」
「やるのである! 威嚇している今がチャンスである!」
「うううう! わかったあああ!」
私は自棄になって跳んだ!
「やあああ!」
同時に剣を振り上げて、叩きつける!
私は剣なんて素人だ。
はっきり言って、変な構えだったと思うけど……。
勢いだけはついていた!
鶏のような頭を、叩き切る!
と思ったら弾かれて、私は大きくうしろに倒れた……。
「いったぁぁぁぁ」
「何をしているのであるか。剣にもしっかりとマナの力を込めねば、上位の魔物など斬れるわけがないのである」
「そんなの教えてもらってないんですけどぉぉぉ!」
「ふむ。そうであったか?」
「私、剣を持つのも初めてなんですけど?」
「ふむ。言われてみれば、そうだったのである」
「ガァァァァァ!」
「うわああああ! 来たよおおおおお!」
結局、カメさまに倒してもらいました。
私の戦い……。
前途多難みたいです。




