19 湖岸で精霊を感じる
「んー! 開放感!」
家から出て、いつものように裏庭の森の道に入ったところで、私は気持ちよく背伸びをした。
「アニス、これからお祭りに行くのではないのであるか?」
私の頭の上に乗ったカメさまがたずねてくる。
「行くよー」
せっかくだし、見学はしたい。
「なのに森に来たのであるか? キノコを採ってから行くのであるか?」
「あ、ううん。つい、いつもクセで来ちゃっただけ。さすがにお祭りの日にキノコを採っていくのは不自然だよね」
「我としては、美味しいキノコなら歓迎なのであるが」
「カメさまはすっかりキノコ好きだねー」
「で、ある。キノコは良いものである。我はキノコの虜なのである」
「じゃあ、お祭りで探してみよっか」
「おお! お祭りにもキノコがあるのであるか!」
「うん。キノコの串焼きは、湖のエビと並んでリムネーの名物だしねー。いろんな種類があるんだよー」
リムネーの森では、たくさんのキノコが採れる。
キノコの串焼きは、お祭りの屋台の定番だ。
お店によって使うキノコや味付けが違って、楽しみ甲斐もある。
「むむむ。それは森でのんびりしている場合ではないのである! 早く町に行って探索するのである!」
興奮したカメさまが、私の頭から浮き上がって先導を始めた。
「はいはーい!」
私は走ってついていく。
途中、封印石の広場へと入る場所に差し掛かって――。
ちらりとそちらを見て――。
なんとなく、昨日のことを思い出したけど――。
もうおわったことだし気にしないことにした。
魔石は売ってしまったのだ。
お父様もお母様も喜んでいたし、良いことができたんだよね。
私は森を抜けた。
すると目の前には湖が広がる。
町の名前にもなっている、リムネー湖だ。
ものすごく広い湖で、対岸にも町があるのだけど、その町は見えない。
ずっと遠くだ。
「うん。今日も湖は綺麗だ」
私は湖面を見て、満足してうなずいた。
リムネー湖は私たちの命の源。
リムネー湖が平和なら、だいたい町も平和なのだ。
「ふむ」
私の頭の上に戻って、カメさまが何やら意味ありげに声を出した。
「カメさま、どうしたの?」
私は気になってたずねた。
「ふと哀愁を覚えたのである。我の兄弟は、きっとこの湖の中に、多くいるのであろうな」
「それって、カメの? 神様の?」
「カメである。今の我は、ただのカメであるが故に」
「あはは。ただのカメではないと思うけどねー」
しゃべるし。
強いし。
浮かぶし。
「……でも、カメにも家族の記憶ってあるんだねえ。カメさまの兄弟は、どんな子達だったの?」
「知らんのである。今のは、知識を参照しての感傷なのである」
「そっかー」
「幸せに生きてくれていると良いのである。我のように食われていなければ良いのであるが……。キツネの歯が我の甲羅をミシミシと押し潰す音は今でも……。あああああああああああ!」
トラウマを発動させたカメさまが、ネズミ花火みたいにくるくるくるくる空中で回り始めたぁぁぁぁ!
「大丈夫! 大丈夫だよ、カメさま!」
「キノコ! キノコがいるのである!」
「キノコはこれから買いに行くからぁぁぁぁぁぁ!」
「……で、あった」
よかった!
カメさまは正気に戻った!
「すまぬ。我としたことが、恐怖に呑まれてしまったのである」
「もう大丈夫だよー。よしよしー」
私はカメさまを手のひらに乗せて、優しく撫でてあげた。
「あ、そうだ」
私はいいことを思いついた!
「カメさまの兄弟については、湖の精霊様にお願いしようよ。そうすればきっとよくしてくれるよ」
「ふむ。で、あるか」
カメさまがあらためて、私の手のひらの上で湖を見つめる。
「リムネーの湖には精霊様が住んでいてね――。私達と、このリムネーの豊かな自然を守ってくれているの」
私は精霊様から刻印をもらえなかった。
昔はそれで落ち込んで、精霊様に嫌われていると思ったりもしたけど……。
でも、私は健康だ。
リムネーも豊かだ。
湖を見つめれば、私にもキラキラと優しく輝いてくれる。
それは湖の精霊様が、私に微笑みかけてくれている証だ。
お姉様がそう言った。
私も、そう思うことにした。
刻印がもらえなかったのは、単に私に才能がなかっただけのことだ。
私は精霊様に、カメさまの兄弟のことをお願いした。
すると……。
なんだろう……。
小さくてかすかな声が、頭の中に響いてくる。
言葉としては聞き取れないけど、なんだか楽しげな音色だった。
「ねえ、カメさま。何か聞こえない? 不思議な声……」
「それは精霊の声なのである。我とつながったことによって、アニスにも聞こえるようになってきているのであるな」
「そうなんだ……。ハッキリとはわからないけど……」
「たいした内容ではないのである。我の存在に気づいて喜んでいるのである。なにしろ我は神。精霊にとっては、まさに親のような存在なのである。精霊とは、我ら神の力を受けてマナより変化した存在なのである」
「そんな子に醜態晒しちゃったね。叫んで回っちゃって」
私は笑った。
「う。うう、なのである! 言われてみれば恥ずかしいのである! アニス、早く町へ行くのである!」
「えー。もうちょっといようよー」
「コリーとかいう友達も、きっと待っているのである! あと、キノコも!」
カメさまに急かされて、私は仕方なく身を返した。
精霊様の声が聞こえた。
しかも明るくて、楽しそうな。
それは私にとって、本当に嬉しいことだった。
だって本当に、嫌われているわけではないと感じられたのだから。
「あ、しかし待つのである」
「どうしたの?」
行こうとしたらカメさまが止めてきた。
「アニスよ、少しだけ憑依させてもらってもいいであるか?」
「いいけど、どうしたの?」
「せっかくである。この湖に我の祝福を与えるのである。カメ達が健やかに生きられるように」
「わかったー。いいよー」
私は快く体を貸してあげた。
私は湖岸に立って、湖に両腕を広げた。
「湖のマナを、少しではあるが活性化させるのである」
おおー!
足元の湖面がきらめいて、まるで帯のように広がって、湖面の奥へと伸びていった。
カメさまはすぐに私から出てきた。
「これで良いのである。皆、元気に生きるのである。さあ、行くのである!」
「はーい」
私はカメさまを頭に乗せて、湖岸を歩いて町の方に向かった。
町の通りに続いた場所では、いくらかの人達が湖に祈りを捧げていた。
お祈りは中央広場の教会で捧げるものだけど――。
湖でも祈る人もいるのだ。
湖岸の人達は、先程の湖面の輝きを見ていた。
みんなはそれを、精霊様の元気なお姿だと思ったようだった。
みんな感動していた。
本当はカメさまの力なんだけどね……。
もちろん余計なことは言わないけど。
私は町に入った。
通りには色とりどりの布が飾られて、お祭りを彩っている。
華やかなのは春が来た証だ。
ああっ!
キノコのいい匂いが、早速、漂ってきたー!




