74話 策略ですわ
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ムーントリノ軍から荷馬車付きで食料を分けて貰い、道案内役はイーサンが自ら買って出てくれました。
お付きの騎士三名も一緒とのことですが、これは小国とはいえ大盤振る舞いです。
聞けばイーサンはムーントリノの第三王子で、王位継承権は第二位という国の大物ですからね。
リュウ先生も流石にこれはと思ったのか、「案内役を一人お貸し頂ければ、それで十分」――と断っていました。
ですがイーサンは毛虫のように太い眉毛を吊り上げて、食い下がったのです。
「どのような事情であれ、我が国の者がご迷惑を掛けたことは事実。ここは私に、せめてもの罪滅ぼしを」
これにはリュウ先生も、面倒臭そうに頷く他ありませんでした。それが、三日前のことです。
ここはムーントリノ王国とリモル伯領を隔てるサマグン山脈。
私達は麓の樹海を抜け、ぬかるんだ大地に人馬とも足を取られつつ、山越えの為に道無き道を歩きました。
その結果、ようやく反対側を見渡せるであろう尾根に辿り着いたのですが――ここで残念なお知らせが、イーサン王子より発せられます。
「霧だ。この状況で先へ進むのは危険です。一先ずここで休みましょう」
山の天気は変わり易いと言いますが、霧もその一つ。急に現れたかと思えば、三日も晴れない場合があるのだとか。
案内役のイーサン王子によると、この状況で先を急げば急な斜面に足を取られたり、道に迷ったりする可能性があるとのこと。
そうでなくとも皆、初めての山越えですからヒィヒィ言っています。休憩無しでは、もう歩けないでしょう。むしろちょうど良かったですね。
もっとも――二時間経っても霧が晴れないようなら、先へ進むとのこと。索敵魔法を応用すれば、それも不可能じゃないそうです。
つまりイーサン王子は先を急ぎつつも体力の低下した私達を気遣い、霧を理由に行軍を止めてくれたのでしょう。ゲジマユおっさんのクセに、気遣いの出来る男です。
そんな訳で、いったん小休止となりました。
ちなみに、この程度の山脈とか言ってたババァは、唇どころか顔まで紫色になっています。そして杖にしなだれかかりヘナヘナ地面に座ると、彼女は情けない声を出しました。
「や、山なんて越えるものじゃないわね……誰が言い出したのよ、こんな無茶なこと……」
アナタですよ、紫ババァ。
ですがこの先の谷を越えれば、すぐリモル領に入るとのこと。確かに迂回するより到着が早そうなので、リュウ先生は彼女を優しく労っていました。
あ、霧を利用して二人が人目に付かない所へ行きましたよ。まさか――こんなところでヤッちゃうのですか。
リュウ先生ってクールに見えて絶倫ですね、このド変態どもめ。
あ、そうそう。ムーントリノの内乱は、第二王子のバグラムが起こしたのだとイーサンが言っていました。彼は兄であるグリードよりも自分の方が才能に溢れていると信じ込み、兵を挙げたそうです。
けれど彼に付き従う有力者は、義父であるムッファ侯爵ただ一人。
思ったほど兵が集まらず、結局のところ私達を襲撃したのが、ほぼ全軍だったとのこと。
「有力者達の子弟を人質にして身代金を取り、それを元に傭兵を雇うつもりだったのだろう」と、イーサン王子は語りました。
けれど私達を襲撃した結果、虎の子の飛竜を全て失い、バグラムの戦力は著しく低下したそうです。
「こうなれば、内乱終結も時間の問題でしょう。それもこれも、飛竜を全滅させたティファニーさまのお陰と心得ております」
それで飛竜を全滅させた私に、イーサン王子は親しく声を掛けるのだとか。
英雄として招きたいとか、祝宴を催すから――だとか、とにかくしつこいのです。
今もまた、彼は私の隣に腰を下ろしました。
「いやはや、ティファニーさまはまったく、我が国の救世主です――ぜひ一度、王宮へお越し下さい」
「ええ、まあ、何度も言っていますが――嫌ですわ」
「ところでティファニーさまは、婚約者などおいでですかな?」
「いませんし、婚約など思いもよらぬことです。つまらないことを言いますと、ゲジゲジ眉毛を抜きますわよ。このように――」
私は顔をプイと背け、手近の草を引き抜きました。
霧のせいか、草の表面には沢山の露が付いています。気分が悪いので、ポイッと投げ捨てました。
「わ、冷てっ! ぺっ、ぺっ! なんだこれ! 口の中に入ったぞ! ふざけんな、誰だ、草なんか投げたのっ!」
あ……ウィリアムの声が聞こえます。
まあいいでしょう、あんなところで口を開けて寝るなんて、私に草を投げられても仕方ありません。戦場でお漏らしをするリリアード二世ですしね。
「まあまあ、そう仰らずに……お聞き下さい、ティファニーさま」
「お前の話など、聞きたくありません。あーあーあーあーあー」
イーサンが眉毛の様な毛虫――ではなく毛虫の様な眉毛を寄せて、話を更に続けます。まったく、迷惑ですね。
「我が国の王太孫が今、十二歳でしてな。もしティファニーさまのご婚約がまだでしたら、是非、一度お会いしていただけないかと……年齢も釣り合いますし、我が国には未来がございます。ですから――」
「……わたくしはともかく、十二歳の子が可哀想ではありませんか。彼にもし好きな子でもいたなら、その意思はどうなると言うのです?」
「それがですな……我が王太孫はミールの聖女伝説が大層好きでしてな。むしろティファニーさまに憧れを抱いておられる。うわははは!」
背筋に悪寒を覚えた私は額に手を当て、天を仰ぎ見ました。
「とりあえず、まあ――けほっ」
断りの言葉を繋ごうとした所で、イーサンが私の背中をバンバンと叩きます。
「いやはや、そうですかっ! ティファニーさまが王妃となられれば、実に目出たい! 我が国の八大列強入りも、夢ではありませんなぁ! うわはははっ!」
「――ちょっと、どうしてそうなるのですッ!? 人の話を聞きなさいッ! わたくし、どこにも嫁ぐ気なんてありませんわ!」
「ですが我が国の救世主ですし、これはもう運命では?」
「そんな運命、下水に投げ捨ててやりますわっ!」
私はイーサンのしつこさに辟易し、立ち上がってその場を後にしました。けれど後ろから、尚もイーサンが迫ってきます。
「姫、あいや、未来の王妃さま、お待ちあれ〜〜!」
「絶対に待つものですかッ!」
早足で歩く私の前に、ランドが現れました。手を引かれます。霧のせいで、近くにいたことさえ気付きませんでした。
「ちょっと来い、ティファ。面白いモンを見せてやる」
面白いものと言われれば興味をそそられますし、イーサンを撒くにも役立つでしょう。私はランドに手を引かれたまま、小高い岩の上に登りました。
岩は霧よりも上にあり――というより、霧は雲だったのでしょう。そして私達は今、雲海に囲まれた山々を見下ろす位置に立っていました。
「はっ……これは……」
雲の海から姿を現した山々の頂が、小島のように浮かんで見えます。目線の高さで飛ぶ鳥が、気流に乗ってユラユラと揺れていました。
美しいと云うには力強く、荘厳というには儚い景色……私は言葉に詰まったまま、ランドを見上げます。
「いい景色だろ?」
「ええ、素晴らしいですわ」
「はは……さっき見つけたから、お前に見せてやろうと思ってな」
「それは殊勝な心がけですわね——すぅ……はぁ……」
私が大きく息を吸い込んでいると、ランドが唐突に言葉を発しました。
「なあ、ティファ。さっきの話、本当か?」
「へっ? さっきの? なんのことです?」
「どこにも嫁ぐ気はないって——あれだよ」
「え? ああ……まったく興味ありませんもの」
「だが、父親に嫁げと言われたら、何処かに行かざるをえないのだろう?」
ふむ……世間一般では、そう考えて当然でしょうね。でも私の予定は違います。
辺に誤摩化して、ムーントリノに嫁ぐかも、なんて噂が立ったら迷惑ですからね。ここは正直に答えましょう。
「いいえ。わたくし、学院を卒業したらミール家を相続し、女子爵として独立する予定ですの。臣籍降下ですわね」
「へえ……だったら、誰を夫にするかはティファ次第ってことか?」
「まあ、そうなりますね。誰も夫にしませんが」
ランドは私の目を真剣に見つめ、それから眼下を見下ろしました。
「ティファ——俺は、俺の国を手に入れる」
「……あら? それは大それた野心ですわね。てっきり、大貴族になるのが夢だとばかり思っていましたわ」
「それは……ジュリアに聞いたのか?」
「ええ、もともとお付き合いしていたのでしょう?」
「——まあな。現実を見ろと言われたよ」
「商人らしい言い草ですわね、あはっ」
「ティファも、そう思うか?」
「う〜ん……とは思いませんが、国を手に入れるなんて、普通の人には無理でしょうからねぇ」
「俺は、普通だと思うか?」
「まあ、ラファエル・リットに比べれば……普通ですわ」
メキリと音がする程、ランドが自分の拳を握っています。あ、怒りましたかね?
「なら、もしも俺が国を手に入れたら、結婚してくれるか? 身分の差を超えて——」
私は多分、ポカンと口を開けていたのでしょう。
何を夢見ちゃっているんだ? と思っていたので当然です。
武力88で国を手に入れるなど、まず不可能。しかも私は元男なので、男との結婚なんて冗談じゃありません。
だけど考えてみれば、ランドはヴァルキリアに士官します。かの地はやがてアーリアが支配する訳で、彼女は根っからの武断派君主。私がクラインを継がなければ、かならず攻めて来るでしょう。
となると——アーリアの足下に地雷があっても楽しいですね。
ま、それ以前にヴァルキリアを獲れと言えば、さすがに引き下がるでしょうけれど。
「いいですわ。面白い賭けです」
「だったら——」
「でも、条件があります。だってわたくし、小国の王妃なんて嫌ですもの。だからヴァルキリアです。かの国を手に入れることが出来たなら、あなたと結婚してもいいですわ。まぁ、絶対に無理でしょうけれど、あはっ」
ランドはニヤリと笑って、頷きました。
「分かった、約束だぞ」
「ええ、そうですわね。やっぱり不可能で——ん? 今、なんと?」
「分かったと言った。ヴァルキリアを獲る。そうしたら、お前は俺と結婚する——約束だ」
「え? ええ!?」
「ティファ。自分で言ったことだぞ」
「わ、分かりました。そうですわね……確かに、約束しましょう。で、でもあなた、アーリアに勝てると思ってますの?」
「知らん」
「知らんって……あなた……」
「勝てなくても、ヴァルキリアを獲らなきゃティファは俺と結婚してくれないんだろ?」
「え、ええ……と、当然ですわ!」
「なら、やるさ。ホントは、きっぱり断られると思ってたんだ。それに比べりゃ、なんて事は無い」
お、おおお、お、お……。
ランドのメンタルの強さ、舐めていました。
こうなってしまえば、さっさとこの場を去りましょう。非常に面白くありませんが、ここは戦略的撤退です。
正直、もっと尻込みをすると思っていました。それなのに何ですか——あのやる気に満ちた目は。
せいぜいアーリアに噛み付いて、蹴散らされれば良いのです。
でも、蹴散らされなかったら……?
そうしたら私、本当にお嫁さんにされそうですね……。
アイツ、絶対でっかいですよ。でっかいのとか、入りませんから! 通行止めです! 進入禁止です! 嫌です、嫌です、ちょうこわい!
ううう……アーリア、頑張れ……!
ああ……ダメです、それじゃ攻め込まれる……!
これじゃ、どっちが勝ってもダメじゃないですかっ!
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