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32話 シチューが食べたいですわ

 ◆


 迷宮都市キーマは北に聳えるシュヴェンツァー山脈の麓にあり、南側を東西に伸びた高い城壁に守られています。

 城壁の両端はシュヴェンツァー山脈の張り出した山裾と繋がり、迷宮を囲うような形となっていました。つまり凹のような形で迷宮を塞ぎ、その中に都市があるのです。

 

 また、この城壁はキーマの長城と呼ばれ、迷宮から魔物が大挙して押し寄せた際の最終防衛ラインともなります。

 と、言うよりも長城はもともと、迷宮の魔物を封じ込める為のもの。従って最初は銃眼などの防御設備も内側に対してのみ、向いていたと言います。

 しかし数百年の間、迷宮から魔物が溢れ出た例はなく、だからこそ城壁の内側に都市が築かれたのでしょう。

 

 反対に、迷宮が生み出す利権を得ようと周辺諸侯が攻め入ることが多々あり、そうして長城は外側に向けても防備を整えることになりました。

 とはいえ落城したことは一度もなく、よってキーマを長年領有するソワール男爵家の勇名は、それなりのものだと聞いています。

 

 ちなみに現在は至って平和。

 都市内の人口は凡そ三〇〇〇人。対して冒険者が五〇〇人から一〇〇〇人は常時滞在していると言いますから、二十一世紀日本的な言い方をすれば、一大観光都市となりますね。

 ですから平民の大半が宿泊施設関連の仕事に従事し、生計を立てているそうです。


 となると馬車が到着すれば、熱烈歓迎を受けそうなものですが……残念ながら、長城の門はぴったりと閉ざされていました。

 ここは城門から百メートルほど手前で、街道の周辺には長閑な小麦畑が広がっています。今はちょうど苗が出てくる時期で、褐色の大地と緑色が混じり合っていますね。


「おかしいな……前に来た時は、この辺りにも露店があって土産物を売ってたのに。ちょっと見てきます」


 そう言って馬車を降りたわんわんは、門衛の所へ走って行きます。

 尻尾をピンと伸ばして走るのは、バランスを取っているからでしょうか。

 というか、あのズボンが気になります。お尻に尻尾用の穴が空いているのでしょうか。履くのが難しそうですね。

 私がそんなことを考えていると、わんわんが戻ってきて、申し訳なさそうに言いました。


「今は誰も中に入れるなと、男爵さまからお達しがあったそうです」


 クロエが御者台から、わんわんに声を掛けます。


「それは平民ならば、の話じゃない? こっちにはクライン公爵家のご令嬢がいるのよ」


 なんですか、その謎理論は。

 警察が入るなって言う場所に、こっちは自衛隊高官の娘がいるのよ! みたいな話です。

 そもそもの管轄が違いますし、何より私は単なる娘、ぶっちゃけ無関係じゃないですか。

 しかも私は最初から、首無し騎士(デユラハン)の討伐に乗り気ではありません。

 なので、私の答えは決まっています。

 

「お腹が減りました。途中で温泉に寄って帰りましょう。温泉タマゴを油で揚げたものが、食べたいですわ」


 引き返せと命じようとした時、ミズホが「待って、お姉ちゃん!」などと言いやがりました。


「なんなのですか、ミズホ」

「温泉タマゴ苦手……」

「油で揚げてあります、大丈夫」

「無理。でろんとしたところが気持ち悪いの。それにお姉ちゃん、太るよ? ううん、太ったよ」


 そう言って私のお腹をつつくミズホ……。


「ほら、前よりもめり込む!」

「ご、誤差ですわ、やめなさい!」

「あ、違うよ、お姉ちゃん! そんなことが言いたかったんじゃないよっ!」

「な……わたくしの心を深く傷付けておきながら、そんなこととは……」

「あのね、中から泣き声が聞こえるの。助けてって……」

「それは、わたくしの心の中でしょうか? ですが最近、食べ物が美味しくって……」

「違うよ!」

「わたくし、生憎と喘ぎ声しか興味ありませんの」

「もういいよ、お姉ちゃんのデブ!」

「デブ!? 生まれて初めて言われた悪口ですわ……」


 項垂れる私を無視して、ミズホも馬車から降りてしまいました。それからクロエと二言三言交わし、クロエも頷いています。

 長い耳をピンと張って、クルクルと動かすクロエはまさに兎さん。

 あとで、野営用の人参をあげてみましょう。


「そうね、悲鳴だわ……ただ事じゃなさそう」


 クロエが御者台から下り、いよいよ移動が出来なくなりました。

 仕方なく私も馬車から下りて、耳を澄ませます。

 時折、城の方からトンテンカンテンといった金属音が響きますが、これは悲鳴ではありませんね。


「あ、クロエ。食べますか?」


 馬車から持ってきた人参を、クロエの口に近づけました。


「食うかっ!」


 顔を背けられてしまいました。悲しいですね。


「あ、じゃああたしが食べるね、むふー」


 あ……でも、ミズホが生の人参を齧っています。

 この子の生態は、一体どうなっているのでしょう。

 なんで温泉タマゴを揚げたものが駄目で、生の人参はいけるのか……。


「美味しかった! キールへ行こう、クロエちゃん!」

「だね、ミズホ。これはひょっとすると……」


 人参を食べ終わったミズホは、私を無視してクロエと頷き合っています。

 ですが……まてまてーい! 私の意思は無視ですか? 無視なんですか?

 ちょっと、意味が分からないですね。


「あなた達、待ちなさい! 城の中で何が起こっていようと、わたくしの関知するところではありません。何より、お腹が減りました! 帰りますわよ!」


 そう言って馬車に戻ろうとした時、ミズホが言いました。


「お腹が減ったなら、人参食べればいいよ」

「それはクロエのご飯です!」

「違うわよ!」


 クロエは鋭いツッコミを入れて、御者台へ再び上ります。


「ティファ、戻ってもいいけど、温泉までは遠いわよ? あっても温泉タマゴが売ってるかも分からないし」

「なら、炊事をここでなさいな! 黒竜騎士団、前へっ! お昼ご飯の時間ですわっ! 野外炊飯用意っ!」

「そんなことをするより、中へ入れれば暖かいご飯があるかも知れないわよ? シチューとか」

「ならば進みなさい! わたくしの前を遮るものなど、この世にあってはならないのですっ!」

「でも、ソワール男爵はどうするの」

「男爵ごときの意思など、わたくしには関係ありませんわっ!」


 こうして馬車に乗り込み、私は再び前進を命じました。 

 こうなれば、俄然シチューが食べたいですね。


 こうして門前にたどり着くと、門衛とクロエの問答が始まりました。

 もはや空腹により一刻の猶予も無い私は、颯爽と馬車を降り、門衛へ言い放ちます。


「門を開けなさい、この半人前っ! わたくし、お腹がぺこぺこですのよっ!」

「はっ……あ、あなたは、もしかしてティファニー・クラインさまでは!?」

「そうですわ! そのわたくしが、空腹で行き倒れているのですわっ!」

「き、奇跡か……ここにいらして下さるとは……実は、領主様からは固く口止めされているのですが……」

「ならば言わなくて結構です、まずはシチューを出しなさい! もしくは温泉タマゴを油で揚げたアレでも良いですわっ!」

「いえ、お聞き下さい……今の我々には、そのシチューすら用意できないのです。温泉タマゴなんて、もっと……」


 そう言って語り出した彼の話は貴族の無様さを存分に示すもので、空腹の私を激怒させました。

 気を利かせたクロエ達がシチューを作ってくれなければ、餓死寸前の鬼神となった私は、キーマの長城を跡形もなく破壊するところだったのです。

メシテロはしません、たぶん

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