1話 家を燃やされてしまいましたわ
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あの本に出会わなければ、こんなことにはなりませんでした。
私は今、後悔しているのでしょうか?
いいえ、後悔なんて絶対にしません。
していませんけど……たった今、すべての事を思い出してしまいました。
なので、とても辛いのです。
だって私、男だったのですから……!
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今、目の前には浅黒い肌をした長身の男が立っています。
男が無表情のまま、その右手を私の胸の中に入れています。けれど肌や肉を貫かれる感触はありません。
ただ心臓が痛く、掴まれている感触だけがありました。
わかっています。
これは私の望んだことなのですから。
この男は大悪魔で、私が呼び出しました。
私は彼と契約を結び、強大な魔力を手に入れたかったのです。
その条件は人々に悲劇を、絶望を、恐怖を齎すこと。
そして来るべき日、彼の尖兵になることです。
裏切りの代償は、死。
大悪魔と契約を結ぶのだから、そのくらいは当然。
誓いを破らぬよう、彼は私の心臓へ印を刻みました。
悪魔の表情は、暗い愉悦に満ちています。
激痛でした。
今まで生きた十二年間が、走馬灯のように脳裏を過ります。
大悪魔はもしかして、契約などどうでもいいのかも知れません。
いまここで、私を殺すつもりなのかもしれない。
そう思いましたが、もう、どうしようもありませんでした。
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私の父は、公国の主でした。
でも母は、使用人に過ぎなかった。
父は母を愛していませんでした。
ただ金髪碧眼の母を弄びたかっただけなのでしょう。
母が私を産むとすぐに興味を失い、捨て去ったのだから。
いいえ――一度だけ私を見に来たことがありましたね。けれど魔法の素養が無かった私を見て、
「使えぬな……」
とだけ言って去りました。
貴族は魔法が使えなければ、貴族の義務を果たせない。
ましてや使用人が産んだ子。何の能もないのに引き取れば、要らぬ争いの元でしょう。
だから私は物心がつくと、貧しい農村で暮らしていました。
そこは母の実家で、小さな騎士家の領地です。
けれど公爵から認知されない子を産み故郷に帰った母を、領主が歓迎するはずもない。たとえ母が実の娘だったとしても、です。
ましてやギラン・ミールという名の男――私の祖父は、近隣にも名を轟かす程の悪徳領主。すぐに私達は実家も追い出され、村はずれの水車小屋で生活をするようになりました。
それでも母はいつも同じ事を言い、苦しい生活に耐えました。
「いつか公爵様がお前のことを迎えにくるの……あの方は……あの方には理由がおありなのよ……」
この言葉が、私の耳には呪詛の様に残っています。
だけどいつまでたっても公爵である父は迎えに来ず、母はついに病に倒れてしまいました。
私は藁にも縋る気持ちで祖父の元へ向かい、医者を呼んでくれる様に頼みました。
しかし祖父は私を――ウジ虫を見る様な目で見つめ、「帰れ。ここはお前のような者が来て良い場所ではない」と言い追い返します。
このままでは母が死ぬ――そう思った私は、教会へ向かいました。
僧侶であれば、治癒の魔法で母を治せるかもしれないと思ったのです。
しかし教会は金銭を要求した。それも法外な額を、です。
十一歳の子供に、ましてや貧しい粉引きに、どうして払えるものでしょうか。
途方に暮れた私は、暫く教会に居座りました。
石造りの教会は村一番の大きさで、書庫もありました。
そのときどうして私が書庫へ向かったのか、それは分かりません。
けれど運命というものがあるならば、それは間違いなくそうだったのでしょう。
私はそこで、一冊の本と出会いました。
本は黒い装丁で、表紙には赤い文字で題が書かれています。
「異端の書」と。
私だって異端の意味くらいわかる。
世間から除け者にされた人――ということでしょう。
だったら、それは私も同じだと思いました。
だから私は、生まれて初めてモノを盗んだのです。
そしてその日、家に帰ると母は亡くなっていました――
◆◆
私は母の眠るベッドの脇で、異端の書に書かれていた“悪魔に関する頁”を開きました。
悪魔なら、母を蘇らせることができるかもしれないと思ったのです。
しかし私の思惑は外れ、悪魔にそのような力はないと悟りました。
月日は流れ、私は母を何とか共同墓地に埋葬しました。
葬儀はしていません、だって――お金がなかったから。
もちろん父である公爵が、私を迎えにくることもありませんでした。
私は来る日も来る日も粉をひき、パンを買う。
薄い塩味のスープに、肉が入ることなどありませんでした。
いつしか私は、異端の書を読みふけるようになりました。
そこには悪魔側から見た大陸の歴史が記され、人類の非道が多く書かれていたのです。
悪魔達は自らのことを悪魔とは呼びません。あくまでも魔族と呼ぶのです。
それは人族よりも一般的に魔力に優れているからこその呼称であって、それ以上でも以下でもない、とのことでした。
歴史によると、人族を一千年ものあいだ奴隷とした魔族達は、やがて魔力に優れた人族に駆逐されてゆくのです。
因果応報といえるでしょう。
魔族を打ち払った者達が、現在の王侯貴族の先祖でした。
彼等は魔族に勝る魔力と圧倒的な兵力をもって敵を駆逐し、大陸に覇を唱えたのです。
結果、それぞれが王国や公国の主となり現在の形を作り上げました。
これが事実なら、世界には悪魔なんていないのに……そう思いました。
そんなある日、村の市場から帰ると私の暮らす水車小屋に火が放たれていたのです。
母と共に暮らした思い出も何もかも、全てが燃やされてゆく。
絶望しました。
犯人は三人の男達で、見覚えがありました。
ギラン・ミールに仕える平民達で、彼等は自警団を名乗っています。
名前は確か「パット」「ブラン」「ボード」……。
「ティファニーを捜せ!」
「まてよ……本当に連れて行くのか、まだ十二歳だろ?」
「……それがどうした、領主さまのご命令だ!」
「パット! 命令なら何をしてもいいのか!? 領主さまがティファに何をするか、察しくらいつくだろうっ!」
「静かにしろっ、ボードッ! 俺だって領主さまには逆らえんのだ……なあ、ブラン」
「パットの言う通りだ。ん……だが燃える小屋を見て逃げ出したかもしれん。よし、村を探そう」
「村? 逃げるなら森だろう?」
「馬鹿を言うな。子供が一人で森に入れば、狼の餌になるだけだ。シャクシャの実でもあれば別だがな……シャクシャの実でもあればっ! さ、いくぞ! ブラン、ボード!」
三人が馬に跨がり、村へと駆け去って行いきます。
私は異端の書を抱えたまま、それを物陰から見ていました。
というより、見ている事しかできませんでした。
それでも捕まらなかったのは、運が良かったのでしょうか。
ですが、ただひたすらに悔しかったのです。
朝になったけれど、私の家はまだ火が燻っていました。
今日は粉をひくこともできません。
ひいた粉を買い取ってくれる人も、きっともう居ないでしょう。
――それどころか、預かった麦を燃やされてしまった。その保証をしなければなりません。
どうすれば良いのでしょうか?
身体を売れば、いくらかにはなるのでしょうか?
考えが纏まらず、私は燻る水車小屋を見つめ、呆然と立ち尽くすことしか出来ませんでした。
夜になると、雨が降り始めました。
幸い石造りの小屋は、僅かに屋根が残っています。
私は中に入り、雨をしのぐことにしました。
涙が止めどなく溢れてきます。
いっそ死んでしまおうかと思いました。
だって私には、身体を売ってまで生きる理由がありません。母はもう亡くなっているのですから……。
けれど、どうしてでしょう? そのとき私は異端の書を握りしめ、最後の頁を捲っていました。
そこには「契約」と書いてあります。
かつて魔族は人族を隷属させる代わりに、魔力を与えたとのこと。
その結果として能力が次代に引き継がれ、魔力を持った人間が生まれてしまったのだけれど。
ただし――契約は人の側から申し出ることが条件。魔族が勝手に人と契約を結ぶことは出来ない。
だから昔の人は、自分から望んで魔族の奴隷になったということでした。
私は思いました。
魔族は私に力を与えてくれるのかもしれない――と。
どうせ今は奴隷と同じ。だったら魔族の奴隷になって、強大な力を振るった方がマシかもしれません。
「お母さんが、何をしたっていうの……」
「私が何をしたっていうの……」
「ただ静かに暮らしたかっただけなのに……」
「幸せになっちゃいけないの? ねえ、お父さま?」
「ねぇ、お父さま!」
全てに対する怒りが、ふつふつと湧いてきます。
私達をこんな目に遭わせたギラン・ミールが許せない。
母を捨てたクライン公爵は、もっと許せない。
こんな世界であることが、私には許せない。
崩れた屋根は大降りになった雨を防ぐことが出来ず、私の身体を濡らし続けています。
けれど冷たさは感じません。どういう訳か、身体が熱を持っていましたから。
「あは……そうだ……悪魔と契約しよう。きっとそれでうまくいくから……あはは」
自分なりの悪役令嬢ものです。
よろしくお願いします。




